田中裕子(たなかゆうこ)さんは、1979年にデビューした女優。
1983年出演したNHK連続テレビ小説『おしん』は平均視聴率52.6%の日本のドラマ史上1位のヒット作という記録も持ちます。
そんな田中裕子さんといえば旦那・沢田研二さんとの仲よし夫婦というイメージがありますよね。
しかし、実は2人の始まりは不倫からの略奪婚だったのをご存じでしたか。
今回は、田中裕子さんと夫の結婚式や共演と馴れ初めなど、2人の関係にまつわる話題を中心にまとめてみました。
田中裕子のプロフィール
本名:澤田裕子(さわだひろこ)
生年月日:1955年(昭和30年)4月29日
身長:160cm
出身地:大阪府池田市
最終学歴:明治大学文学部演劇学科卒業
所属事務所:アニマ出版
田中裕子と旦那・沢田研二は略奪婚
今でこそ仲睦まじいおしどり夫婦といういいイメージのある沢田・田中夫妻ですが、もともとは不倫・略奪婚からスタートしています。
ここでは男女の出会いから略奪婚まで一連の流れをさらってみましょう。
1度目の結婚と2人の出会い
ジュリーという愛称でもお馴染みの沢田研二さんは、1975年6月27歳の頃に7年間の交際期間を経て元ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚。
2人の間には79年に子供も誕生しています。
順調な家庭生活を送っていたかに見えるジュリーですが、82年に田中裕子さんと知り合います。
その後も仕事上での共演を経て、いつしか不倫関係に陥ったようです。
徐々に2人の熱愛が騒がれるようになり、83年には田中さんの自宅へ通う沢田さんの姿が目撃されています。
当事者2人が沈黙を貫く中、マスコミによる熱愛報道は過熱する一方。
追い回された沢田さんはストレスが溜まっていたのか、リポーター相手に怒りをぶつけることもあったといいます。
沢田研二が前妻と離婚、世間驚愕の慰謝料
田中裕子さんとの不倫愛が騒がれる中、沢田さんは86年にはついに前妻・長男と暮らしていた自宅を出て行きます。
それから約1年がたった1987年1月には前妻・伊藤さんとの間に離婚が成立。
実は家を出た時点で沢田さんは既に離婚届けに印鑑を押していったといいます。
離婚に際しては、長男の親権は母親が持つことと同時に超高額の慰謝料が支払われることもとり決められていました。
18億超の慰謝料には世田谷区のテニスコート付きの自宅・伊豆の別荘などが含まれていたのだとか。
途方もない数字だなと思われるでしょうが、それもそのはず、実はこの額は日本の芸能界史上最高額なのです。
まさに沢田さんは全てを捨てて、田中裕子さんの元へ走ったという印象ですね。
不倫・略奪愛の影響
最近でも芸能人の不倫はワイドショーの恰好のネタであり、世間からの非難も激しいですが、2人の時代もそれは同様でした。
以前は端麗な容姿を武器に10代・20代の若い女性の間で驚異的な人気を誇ったジュリー。
不倫によるネガティブなイメージでファン離れが進み、ファンクラブ解散に追い込まれます。
ついには、2人の破局説まで流れ始め、略奪愛は悲しい結末を迎えたかに思われたことすらあったのです。
しかし、結局2人は愛を貫き89年に結婚、正式に夫婦として新たな一歩を踏み出したのでした。
田中裕子の旦那・沢田研二の現在
類まれなるルックスで貴公子的な扱いを受けていた若い頃の沢田研二さん。
2023年現在はどのようになっていて、どういう活動をしているのかを探ってみましょう。
ジュリーは太った
沢田研二さんの最近の姿に関して、「太った」という驚きの声が上がっているようです。
太った岸部一徳さんではありません、ジュリーこと沢田研二さん pic.twitter.com/6S8n9tmLXZ
— れきおっち (@rekio2011) February 2, 2015
因みにこちらが若い頃のジュリー。
大晦日ずっと沢田研二の曲を聴いている。
作詞:阿久悠/作曲:大野克夫の作品は名曲揃いだ。時の過ぎゆくままに
勝手にしやがれ
憎みきれないろくでなし
サムライ
ダーリング
ヤマトより愛をこめて
LOVE (抱きしめたい)
カサブランカ・ダンディジュリーなぜ太った pic.twitter.com/DUejT3XLPu
— ブライアン (@setzer311) December 31, 2021
確かに人々の記憶にある沢田研二さんとは、かなり姿が変貌しているようです。
年齢も年齢ですから、体型や見た目に変化が出るのは自然なことですが、一部のファンにとってはショッキングな変わりっぷりといえそう。
持病を抱えつつ現在も精力的に活動
1948年生まれの沢田研二さんは、2023年現在で75歳。
世間一般の感覚からいうと、リタイアして余生を楽しんでいてもいい年ごろですが、まだまだ元気に活躍中です。
2020年には、沢田さんに関して少し心配な知らせが届きました。
沢田さんが糖尿病を患っていると週刊誌が報じたのです。
当時沢田さんは菅田将暉さんとのダブル主演映画『キネマの神様』の撮影中でしたが、コロナ禍ということもあって徹底的な感染対策の中仕事をこなしたとのこと。
沢田さんが既に70代であること、そして糖尿病という基礎疾患があるということでかなり気をつかって役に挑んでいたのすね。
俳優業だけでなく、もちろん音楽活動も行っています。
2022年7月からスタートした全国ツアーは、2023年6月にさいたまスーパーアリーナでファイナルを迎えました。
当日は沢田さん75歳の誕生日ということで瞳みのるさん・森本太郎さん・岸辺一徳さんら元・タイガースのメンバーがゲスト出演。
昔からのファンにとってはたまらないひと時となったことでしょう。
田中裕子、沢田研二と出雲大社で結婚式
2人は1989年の11月に出雲大社で結婚式を挙げ、正式な夫婦となりました。
不倫からの略奪愛で結ばれた2人、夫の前妻との離婚から2年経っての挙式です。
実はこの2年間の間には、彼らの周辺で様々な出来事が起こりました。
まずは、離婚成立後ほどなくして沢田さんの芸能界での恩人である所属事務所社長が他界。
ちょうど不倫によりファンが減っていた時期でもあったため、再婚という雰囲気ではなくなってしまったようです。
その後は田中さんの父親が動脈瘤で亡くなるなど試練の時は続きます。
しかし、田中家の葬儀に沢田さんが親族同様の形で参列するなど、2人の絆が途切れることはありませんでした。
翌年、田中さんの父親の1周忌が明けた89年2人は結婚。
新郎41歳・新婦34歳、出雲大社で挙げられた式は、初穂料2万円だけを納めた極めて一般的な式でした。
後日開かれた披露宴もカメラや取材陣は一切入れずに行われたそうです。
それでも新婦・田中さんは幸せそうに次のような言葉を残したといいます。
私は沢田さんという大好きな神様に会えたことを感謝します
もともと不倫略奪婚ということもあってか、結婚式・披露宴ともに当時の感覚からいえばかなりの地味婚だった2人。
しかし、様々な試練を乗り越えて一緒になった夫婦にとっては幸せな結婚式だったことが伝わってきますね。
田中裕子と沢田研二の共演と馴れ初め
田中さんと沢田さんの出会いは、ザ・タイガース再結成のコンサートでした。
その後、1983年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した2人。
撮影中にスタッフの間で2人の仲が噂になるくらい、お互いに強く惹かれ合ってしまったようです。
85年には映画『カポネ大いに泣く』で再び共演。
また、同時期に田中さんが初めてコンサートを開催したときには、沢田さんが音楽監督を任されています。
87年には田中さんが主演した『二十四の瞳』の撮影が行われた小豆島で沢田さんの姿が目撃されるなど、2人は片時も離れたくなかった様子。
当時から不倫に対する世間の目は厳しく、田中さんは「魔性の女」などと書かれることもしばしばあったようですが、それでも沢田さんへの愛を貫いたのです。
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