河野裕子(歌人)は乳がんで闘病。夫は永田和宏。京都での経歴、短歌の代表作

第1歌集『森のやうに獣のやうに』でデビュー以来、長きにわたり短歌界の重鎮として活躍した河野裕子(かわの ゆうこ)さん。

歌人としての生涯を全うした彼女の、乳がんで闘病した晩年について見ていきます。

また夫で同じく歌人の永田和宏さんについても紹介。

併せて京都で本格的に歌作を始めてからの経歴、短歌の代表作について見ていきます。

河野裕子のプロフィール

本名:河野裕子

生年月日:1946年7月24日

死没:2010年8月12日

身長:不明

出身地 熊本県上益城郡御船町、滋賀県湖南市

最終学歴:京都女子大学文学部国文科

河野裕子は偉大な歌人。乳がんで闘病中も短歌を創作

河野さんは現代短歌界の重鎮であり、今では国語の教科書に作品が載っています。

長男・永田淳さん、長女・永田紅さんも「塔」の歌人として活躍しており、優れた歌人のDNAの濃さがうかがえますね。

河野さんは女性ならではの繊細な感情を凝縮した作品群で知られ、毎日新聞歌壇やNHK短歌で選者を務めました。

また皇室の行事である「宮中歌会始」でも選者を務めています。

まさに短歌界のカリスマ的存在だったのです。

しかし晩年は乳がんに冒され、闘病生活を送りました。

2010年8月12日、64歳で亡くなってしまいます。

早すぎる死でしたが、闘病中も夫との短歌のやり取りを通じて、多くの歌を詠んでいました。

河野裕子の夫は永田和宏

河野さんの夫は、歌人で細胞生物学者の永田和宏さんです。

学者としてはコラーゲン生成に機能を持つ「熱ショックタンパク HSP47」を発見。

タンパク質の品質管理に影響する新たな遺伝子を多く発見し、京都大学で名誉教授を務めるなど活躍していました。

歌人としては京都大学理学部在学中、学内の短歌会に入会。

その後は短歌結社「塔」に入会し、主宰も務めました。

河野さんとの出会いは歌会でのこと。

京都女子大学の学生だった彼女に対して抱いた第一印象は、「生意気でかわいい」だったそうです。

考えをはっきりと口にする強さと、繊細なガラスのようなもろさを持っている女性でした。

感受性の鋭い彼女に対して永田さんは、「君はそのままでいい」と伝えたといいます。

河野さんは彼の言葉に励まされ、のびやかな美しい歌を作り続けたのです。


永田さんも、就職後も歌を作り続け、1975年に第1歌集『メビウスの地平』を刊行しています。

その後は研究者を志し職を辞して、京都大学の無給研究員となりました。

夜は塾講師として必死に働く生活を送ったといいます。

河野さんは自分の道を貫く夫を支え続け、2人で歌を詠み合うこともありました。

やがて1993年に永田さんは短歌会「塔」の主宰者、河野さんは選者として、夫婦で短歌の道を極めることになります。

2人が想いを伝え合ったいわゆる「相聞歌」は1,000首近くあります。

2008年7月、河野さんは乳がんが再発したときも、夫へ向けて歌を詠みました。

「一日に 何度も笑ふ 笑ひ声と 笑ひ顔を 君に残すため」

「あなたのために何度も笑って見せる」などとは、恥ずかしくて口にできませんよね。

照れくさい気持ちも、歌にすれば堂々と表明できたのでしょう。

永田さんは以下の返歌を作ります。

「一日が 過ぎれば一日が 減つてゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ」

40年近い歳月で、最期まで愛を込めた歌を贈り合った2人。

2人の作品そのものが、深い愛情の証といえますね。

京都女子高校在学中に歌作を開始。経歴まとめ

熊本県に生まれ、滋賀県で育った河野さん。

中学時代から歌作を始め、本格的に新聞や雑誌へ投稿し始めたのは京都女子高校に進学後でした。

河野さんは高校3年生のときに、自律神経の病気によって1年間休学することになりました。

休学期間中は歌人集団の「コスモス」に参加し、本格的に短歌を学びます。

その後は京都女子大学に進学して、文芸部に所属。

加えて同人誌「幻想派」にも参加し、短歌を発表し続けます。

22歳で角川短歌賞を受賞し、歌人としてスタート地点に立ちました。

1972年、永田さんと結婚した直後に第1歌集『森のやうに獣のやうに』を刊行。

華々しくプロデビューを果たしたのです。

その後は歌集『ひるがほ』で現代歌人協会賞、歌集『桜森』で現代短歌女流賞など数々の賞に輝きました。

子供たちである永田淳さん、永田紅さんも立派な歌人として成長。

短歌の道を真っ直ぐに進んだ女流歌人でした。

河野裕子の短歌の代表作

河野さんの短歌の代表作は、高校の国語の授業で習った人もいるかもしれませんね。

デビュー作『森のやうに獣のやうに』に収録された1作です。

「たとへば君 ガサッと落葉 すくふやうに 私をさらって 行つてはくれぬか」

「落ち葉を勢いよくすくい上げるように、私をさらって欲しい」と愛する人に訴える、情熱的な歌です。

愛する人と一体化したい感情をわかりやすい口語で表現し、現代短歌界を代表する作品となりました。

筆者がもっとも好きな作品は、2009年の歌集『母系』に収録された作品です。

シンプルな言葉しか使っていないものの、老いてゆく母の姿を見つめる娘の悲しみが見事に表現されています。

「石の上に わたしの母が 腰おろし 夏のひざしに 縮まりてゆく」

実母を看取るまでを歌った作品が収録された同歌集。

斎藤茂吉短歌文学賞と迢空賞受賞し、高く評価されました。


自身の病や老いとも向き合いながら、情景を的確に歌で表現し続けた河野さん。

偉大な歌人が歌った等身大の作品群は、悲しみや苦しみと向き合う人々の心に優しく寄り添い続けてくれることでしょう。

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