泉アツノの現在と死亡説。上岡龍太郎が糾弾。元宝塚である占い師の意外な経歴

80年代末から、「こんなん出ましたけど…」という決め台詞がウケて人気を呼んだ占い師の泉アツノ(いずみあつの)さん。

すでに90代という高齢のせいか、テレビで姿を見ることはなくなりましたが、2023年現在もお元気なのでしょうか。

霊能力・オカルト懐疑派の上岡龍太郎さんに糾弾された話や、ネット上に飛び交う死亡説、また宝塚出身の占い師という意外な経歴にも迫ります。

泉アツノの現在。死亡説は本当?

泉アツノは2023年現在、消息不明

「白蛇が体に降りてくる」という設定の白蛇占いでブレイクした泉アツノさん。

2023年に98歳を迎えており、すでにかなりの高齢です。

近況について調べたところ、残念ながら手がかりはまったく得られませんでした。


泉さんは90年代の終わり頃、テレビ出演を控えるように親族らに忠告されて、以降はテレビから距離をおいたとのこと。

とはいえ表舞台から完全に退いたというわけではなく、ラジオ出演や雑誌の取材などには応じていました。

その後、85歳の時に受けたインタビューから、大阪府の高齢者施設に入所しており、昔からの顧客数名だけに占いをしていることが判明。

確認できた最後の消息は、2013年12月31日放送の『ムシカエシ!』に関する話題で、この時は88歳でした。

番組に「一世を風靡した占い師に来年を占ってもらう」という企画があり、泉さんに出演オファーをするために日本占術協会に連絡をとったところ、高齢のため引退したとの返答があったそうです。

泉アツノにささやかれる死亡説

一世を風靡した人が表舞台から姿を消すと死亡説が流れることがありますが、泉アツノさんも例外ではありません。

しかもこの方の場合は「もしかしたら亡くなったのでは?」という推測のレベルではなく、ネット上には「ワイドショーで死去の報道を見た」「草野仁がコメントしていた」「遺産相続でもめたというニュースを見た」という書き込みも。

掲示板の書き込みですから、信憑性ははかりかねますが、やけに具体的なところが気になります。

ですが、死亡が確認できる信用性の高いソースは見当たりません。

生存が確認できている85歳の時点で、すでに死亡説は流布していたようです。

ここ数年の近況がまったくつかめないこと、また高齢であることから浮上した憶測にすぎないことを祈りたいですね。

泉アツノ、オカルト嫌いの上岡龍太郎に斬られる

心霊現象や霊能力といったオカルト全般に、一貫して否定的なスタンスをとっていた上岡龍太郎さん。

占いやスピリチュアリズムに対しても懐疑的だったため、泉アツノさんも槍玉にあげられたことがありました。

占い師としてブレイクするまでは歌手や女優として活動していた泉さん。

この前まで大部屋女優だったのに、なぜ霊視ができるようになったのかとバッサリ斬られてしまいます。

よくオカルト系の番組で、不幸が続くのは先祖の供養をきちんとしていないからなどと霊能者が回答することがありますが、上岡さんに言わせると、これはナンセンスなのだそう。

子供や孫や子孫が自分のお墓に花を手向けてくれないからといって、彼らを不幸にする先祖などいるわけがないという理屈です。

そもそも上岡龍太郎さんがオカルト嫌いになったのは、ご本人の実体験が大きく影響していました。

占いや祈祷に熱心だった母が乳がんを患った際、たくさんの占い師や霊媒師が近づいてきて、霊感商法で母を苦しめようとしたそうです。

局長を務めた『探偵! ナイトスクープ』の上岡局長激怒事件も有名ですね。

幽霊の存在というテーマを突き詰めず、ただ面白おかしいVTRを流したことに激怒して収録途中で席を立ってしまった騒動です。

泉アツノは宝塚歌劇団出身の占い師

泉アツノは宝塚29期生だった

泉アツノさんが宝塚歌劇団出身の占い師ということを知っている人はどれくらいいるでしょうか。

もともと歌手をめざしていた彼女は、「若梅昌子」の芸名で、29期生として在団していました。

同期生に淡島千景さんがいます。

1942年の花組公演『ピノチオ』と『風流陣』の出演者に「若梅昌子」の名前が確認できます。

退団したのは1944年とのことですが、やめた理由はよくわかっていません。

宝塚時代の先輩が経営するクラブに勤めたことが縁で、大阪の北新地でクラブのママをしていた時期もあるそうです。

泉アツノはどんな占い師?

紫の頭巾をかぶった和服姿がなかなかのインパクトだった泉アツノさん。

白蛇を体に降ろして占う時は指で印を切り、絞り出すような低い声で白蛇の言葉を伝えていました。


「汝」「おのこ(男子)」「おなご(女子)」などといった言葉が飛び出すのも特徴。

占いが終わると満面の笑みを浮かべ、別人のような可愛い声で「こんなん出ましたけど…」と言うのもお約束でした。

白蛇が憑依している状態から本来の自分に戻った時のギャップがウケていましたね。

ちなみに、「こんなん出ましたけど…」の決め台詞は偶然の産物。

三浦雄一郎さんを占った際、悪い結果ばかり出て、「こんなん出てしまいまして、すみません」と謝ったのがはじまりです。

泉アツノの意外な経歴

この章では、1989年刊行の著書『こんなん出ましたけど』を参考に経歴をまとめます。

まずは宝塚歌劇団に入団した年ですが、29期生は1939年に宝塚音楽舞踊学校に入学し、1941年あるいは1942年に宝塚歌劇団に入団して初舞台を踏んだ53人のことですから、泉さんもこのうちの1人でしょう。

1944年の退団後は作曲家の古賀政男さんに弟子入りして、「泉あつ子」名義で歌手活動をスタート。

しかし芽が出ず、大阪へ戻っています。

大阪では結婚と離婚を経験。

画数がいいということで「泉アツノ」に改名したのはこの頃のよう。

50年代はミヤコ蝶々さんや榎本健一さんらとテレビ番組で共演したり、端役で時代劇に出演したりしていました。


その後、日本占術協会会長だった浅野八郎さんのアドバイスで、もともとあった霊感を生かして占い師に。

やがて白蛇占いでブレイクし、1989年には決め台詞が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞。

また人気ドラマの必殺スペシャルで白蛇占い師のお駒役を演じたり、ポッカコーポレーションのCMに出演したりするなど、一世を風靡しました。

元タカラジェンヌという、占い師としては異色の経歴をもつ泉アツノさん。

近況が伝わってこないのが気になります。

歌手活動、結婚と離婚、クラブのママと、けっこう波乱万丈な人生を歩んでいたのですね。

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コメント

  1. 泉アツノさんのおまじないの本を買ったのは今から36年も前です。とてもよく叶ったのでよく驚いたものです。只当時まだ子供だった私がモテるおまじないでことごとくタイプでない男子3人から好かれてる事が判り、德も積んでないのに甘い話はないと思いました。

  2. 追伸ですが、未だにボロボロになっても大事に持ってます。いざという時にまたおまじないに助けて貰うためには捨てるわけには行きませんから。昔はこんなん出ました!とふざけてると思ってましたが違いました、疎遠になった友達との仲が復活する様にとしたおまじないも本当に効果があり今では親友です、有難うございましたのひと言につきます。