丸山圭子の現在は教授&学歴がすごい。父と死別、離婚の原因とは。病気で教育の道へ

現在は歌手として活動する傍ら大学教授としても活躍する丸山圭子(まるやまけいこ)さん。

その凄すぎる学歴を見れば教壇に立つのも納得する事でしょう。

教育者だった父と若くして死別した事も今の立場と無関係ではないのかもしれません。

離婚や病気による入院を経験するなど私生活は波乱万丈。

ただ、その全てが糧となり今に繋がっている事は間違いありません。

丸山圭子は現在、大学教授になっていた

オーディションを経て1972年にデビューしたシンガーソングライターの丸山圭子さん。

3枚目のシングル「どうぞこのまま」が50万枚を超える大ヒット。

同曲は人気歌手の椎名林檎さんがライブで披露したこともありました。

時代を超えて今もなお人々に愛される名曲として知られています。


その後、作・編曲家や音楽プロデューサーとして活躍する佐藤準さんと結婚。

そして子供に恵まれるもアーティスト活動は継続していました。

ですが、両親と会えない時間も少なくなかった事で子供が情緒不安定になってしまったんだとか。

そのため子供の事を考え音楽活動から遠ざかるようになります。

それから10年以上、表立った活動をしていなかった丸山圭子さん。

活動を再開し始めたのは1996年頃。

活動再開当初は作詞家としての活動がメインでしたが、徐々に音楽活動も行うように。

また、音楽専門学校の講師を務めるなど、後進の育成も行うようになりました。

2021年現在もライブやテレビ出演など、アーティストとして精力的に活動。

それと同時に御手洗学園音楽大学の客員教授として作詞・作曲の講義も行っています。

今では教育者と表現者という二足の草鞋を履く丸山圭子さん。

今後、教え子の中から時代を代表するようなアーティストが誕生するかもしれませんね。

丸山圭子は学歴が凄かった

高校生の頃に受けたオーディションでデビューが決まった丸山圭子さん。

実は通っていた高校がとんでもない難関校だったんです。

丸山圭子さんが通っていた高校は浦和第一女子高校。

偏差値は常に72〜73と公立の女子高では日本一。

毎年のように東大への合格者を輩出する名門校として知られています。

県内では誰もが知るような名門校だけに「お固い」学校だったようです。

そのためフォークソングを歌っていると知られた丸山圭子さんは職員室に呼び出されてしまったんだとか。

当時は反戦というイメージが強かったフォークソング。

それだけに名門校の生徒がフォークソングを歌っているなんて学校としては一大事だったのでしょうね。

なお、丸山圭子さんは高校卒業後、大学に進学はしていません。

勉強よりも音楽に夢中だったためか模擬テストも散々な結果だったそうです。

レコード会社からスカウトが来たのはちょうどその頃。

大学進学を考えていなかった丸山圭子さんにとっては「渡りに船」だった事でしょう。

丸山圭子は若くして父を亡くしていた

丸山圭子さんが歌手デビューを果たしたのは18歳の時。

その2年前、16歳の時に父親を亡くしているんです。

高校教師だったという父親は幼少期から病弱気味。

肺炎や肝臓の病気などで入退院を繰り返しながらも大学の教壇に立つことを夢見ていたそうです。

そして念願かなって大学の助教授になるも、それから暫くしてから難病であるALSを発症。

その後、47歳という若さで亡くなってしまったんだとか。

まだ高校生の娘を残して亡くなるなんて無念の一言に尽きますよね。

これから娘がどんな人生を歩んでいくのか見届けたかったはず。

丸山圭子さんも歌手として活躍する姿を父親に見せられないのは残念だった事でしょう。

ただ、後に父親と同じく大学の教壇に立つようになった丸山圭子さん。

歌手から教授に転身するなんて、なかなかある事ではありませんよね。

何だか人知を超えた不思議な力が働いたように思えてなりません。

丸山圭子は夫と離婚していた

ミュージシャンとして活躍する佐藤準さんと結婚した丸山圭子さん。

音楽家の二人だけあって出会ったきっかけも音楽でした。

佐藤準さんは丸山圭子さんの複数の楽曲で編曲を担当。

最初は仕事のパートナーだった二人ですが徐々に恋愛関係となっていたったのでしょう。

恐らくミュージシャン同士という事で音楽を生み出す楽しさ辛さも共有出来ていたはず。

こうした共通理解が結婚の決め手にもなったように思います。

その後、歌手としての活動よりも子供を優先するため家庭に入った丸山圭子さん。

その一方、夫の佐藤準さんはどんどん売れっ子となり多忙に。

家庭を大切にしたい丸山圭子さんと仕事が忙しい佐藤準さん。

こうした互いの思いや立場の違いにより気持ちにズレが生じていったのでしょう。

4年間の別居の末に2年の離婚調停を経て1995年に離婚が成立。


子供達は丸山圭子さんが引き取り、シングルマザーとして育てる事となりました。

なお、丸山圭子さんが活動を再開したのは離婚の翌年。

シングルマザーとなり子供を養う必要がある事も活動再開の大きな要因となったのでしょうね。

病気で入院したおかげで教育者に?

離婚が成立した頃、卵巣嚢腫が見つかった丸山圭子さん。

子供達の世話を友人の家族の協力してもらい、すぐ手術。

手術は無事に終了し検査の結果、腫瘍は良性と判明。

ただ、開腹しての手術だった事もあり入院生活は4週間にも及んだそうです。

そして大部屋で入院生活を送っていた丸山圭子さん。

ある時、同室の女の子に「音楽を教えて欲しい」とお願いされたんだとか。

この依頼を快諾し、退院後にマンツーマンでボイストレーニングから作詞、作曲のレッスンを行うように。

すると教え方が上手かったのか口コミで生徒が増え、あっという間に生徒の数が増加したそうです。

その後は前述の通り音楽専門学校や御手洗学園音楽大学で音楽を教えるようになりました。

父親だけでなく母親も教育者だったという丸山圭子さん。


レッスンをするようになった事で教育者の才能が開花したのでしょう。

もし、入院しなければ人に音楽を教える事は無かったかもしれません。

そう考えると今の丸山圭子さんがあるのは病気のおかげと言っても過言ではないかもしれません。

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執筆・編集者

AKBグループをはじめ、女性アイドル全般を網羅。
事実報道を精査し芸能ニュースを寄稿。