千住真理子の自宅&青葉台の実家。兄弟は千住博と千住明。母、父、祖父もすごい

15歳のとき日本音楽コンクールで最年少での優勝を果たし、天才少女と呼ばれたヴァイオリニストの千住真理子(せんじゅ まりこ)さん。

一流のプロヴァイオリニストとして活躍し続けていますが、家族も逸材ぞろいでした。

今回は真理子さんの自宅、青葉台の実家について紹介しつつ、華麗なる一族の情報を見ていきます。

兄弟である千住博さんと千住明さん、母、父、祖父を順番に紹介します。

千住真理子のプロフィール

本名:千住真理子

生年月日:1962年4月3日

身長:不明

出身地:東京都杉並区

最終学歴:慶應義塾大学文学部哲学科

千住真理子の自宅は防音スタジオ付きの高級マンション

まずは真理子さんの自宅について確認しましょう。

防犯にかなり気を遣っているため、自宅の正確な位置は分かっていません。

自宅に関する情報が流出しないように細心の注意を払っている様子です。

分かっているのは、自宅が高級マンションであること。

高級マンションということは、麻布や六本木など、一等地と呼ばれるエリアにあるのかもしれません。

自宅での練習がはかどるよう、マンションには完全防音のスタジオが付いているそうです。

自宅に入るまでにあるベランダには大量の赤外線が敷かれており、5つもの鍵を解除する必要があります。

さらに部屋の中にも赤外線が敷かれているとのこと。

ここまで防犯に気を遣う理由は、数億円のヴァイオリン「ストラディバリウス」を守るためだそうです。

マンションが倒れても、ヴァイオリンを入れたケースは残るようにシェルターのような仕掛けが施されているといいます。

真理子さんがヴァイオリンにかけた情熱が、防犯設備からもうかがえますね。

実家は青葉台

真理子さんは東京都杉並区出身ですが、実家は神奈川県横浜市青葉区青葉台にあるそうです。

杉並区で生まれてしばらく経ってから、一家で青葉台に引っ越したのかもしれませんね。

噂によると実家はかなりの豪邸とのことでした。

青葉台は高級住宅街で、ミシュランガイドに掲載された名店も多く、セレブ向けのエリアです。

真理子さんの実家がかなり裕福だったことがうかがえますね。

千住真理子の兄弟:兄は千住博

真理子さんの実家の家族は、全員がエリートコースを歩んだ人々でした。

兄はニューヨーク在住の日本画家・千住博さんです。

滝がモチーフの代表作『ウォーターフォール』は1995年にヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞。

大徳寺聚光院や金剛峯寺大主殿の襖絵も手掛け、世界的に高く評価されてきた有名画家です。

幼少期は真理子さんと共にヴァイオリンを習っていたそうですが、絵を描くことの方が好きでした。

慶應義塾高校に在学中、所属していた美術部で、先輩が持っていたデザイン雑誌を見て衝撃を受けます。

永井一正さんや田中一光さんなどのグラフィックデザインに感銘を受け、美術系大学への進学を決意しました。

東京藝術大学に進学し、同大学院まで修了。

修士課程修了作品の『回帰の街』は、首席で評価され、大学の買い上げとなるなど学生時代から頭角を現しました。

滝を中心に風景を描いてきたのは、都会出身だからこそ、ビルではなく自然の景色に惹かれたためだそうです。

博さんは大いなる自然を描き続けてきた、現代を代表する一流画家なのです。

千住真理子の兄弟:弟は千住明

博さんと真理子さんの弟は、作曲家の千住明さんです。

大河ドラマ『風林火山』やアニメ『機動戦士Vガンダム』など、数々の人気作品の音楽を手掛けてきました。

2003年の映画『黄泉がえり』をはじめ、これまで3作品で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞しています。

やはりヴァイオリンを習っていたものの、慶應義塾高校在学中からバンド活動に没頭。

慶應義塾大学工学部在学中はバンド「きゅうてぃぱんちょす」でキーボード担当となり、ヤマハポピュラーソングコンテストで入賞しました。

音楽のプロを目指し始め、大学を中退して、2年の浪人生活を送った後に東京藝術大学作曲科に入学します。

卒業後は、同大学院を兄と同じく首席で修了しています。

コンピュータで作曲した修了作品『EDEN』は東京藝術大学の買い上げとなりました。

博さんに続いて作品が大学に買い上げられるという快挙を成し遂げたのです。

今でこそバラエティ番組にも出演し、親しみやすい雰囲気をまとっている明さん。

実はハイスペックな一流音楽家だったということが分かりましたね。

母は教育評論家の千住文子

真理子さんの母は教育評論家の千住文子さんです。

3人の一流芸術家を育てた経験を土台に、『千住家の教育白書』『母と娘の協奏曲』などの著作を発表しました。

元々は明治製菓研究所の薬品研究室研究員で、抗生物質を研究していたエリートでした。

退職後に結婚すると、教育評論家やエッセイストとして活動。

肩書きから分かる通り、教育熱心な女性で、子供たちには勉強も習い事も「必死でやれ」と伝えていたそうです。

文子さんは2013年6月27日に、多臓器不全により87歳で亡くなりました。

真理子さんは「母が、誕生日ごとに書いてくれたカードの言葉が、今の私を支えてくれる」とコメント。

厳しいながらも愛情深く育ててくれた母がいたからこそ、千住3兄妹は全員が立派な芸術家となり得たのでしょう。

父は経営工学者の千住鎮雄

真理子さんの父は、経営工学者で慶應義塾大学名誉教授の千住鎮雄さんです。

投資に関するバイブルとして扱われている『経済性工学の基礎』『経済性工学の応用』を執筆したことで知られています。

慶應義塾大学工学部を卒業後、慶應義塾大学理工学部や杏林大学社会科学部の教授を務めました。

また国際大学の国際経営研究所長としても活動。

日経品質管理文献賞の受賞歴もあります。

真理子さんによると「父は学問一筋で、趣味を持たなかった」とのこと。

家族との時間を楽しむこともせず、2000年9月2日に77歳で亡くなるまで、学問だけに生きた人生でした。

寡黙で仕事熱心ではあったものの、きっと心の内ではいつも子供たちを気にかけて、あたたかく見守っていたのでしょうね。

千住真理子の祖父は医化学者の角倉邦彦

真理子さんの祖父もまた、優秀な人材でした。

母・文子さんの父にあたるのが、医化学者で農学博士の角倉邦彦さんです。

東北帝国大学農科大学農芸化学科(現在の北海道大学)に在学中、山岳部パーティーに参加し、初めて冬季富士山の登頂を成功させました。

卒業後は同大学の助手となります。

同大学予科の専任講師、教授を経て、東京農業大学農学部専任講師、鳥取高等農業学校の教授に就任しました。

1929年に論題『産漆の酸化酵素ラクセーゼに就て』で農学博士号を取得。

1944年からは5年間、鳥取農林専門学校で校長を務めました。

その後も鳥取大学や共立女子大学、山脇学園短期大学で教授を務め、1966年に同短期大学を退職。

学問一筋に生きた生涯は、義理の息子である鎮雄さんの生き方に大きな影響を与えたのでしょう。


祖父と両親からエリートの血を継ぎ、豊かな感性を磨いて大成した千住3兄妹。

今後も末永く、アーティスティックな感性を武器に活躍し続けるに違いありませんね。

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