『鹽壺(しおつぼ)の匙』や『赤目四十八瀧心中未遂』で知られる直木賞作家で俳人の車谷長吉(くるまたに ちょうきつ)さん。
放浪や挫折経験を土台とした私小説の書き手として有名でした。
2015年に69歳で急逝しましたが、死因がイカを食べたことによる窒息死という噂があります。
車谷さんの死因は窒息死だったのか、あるいは病気を患っていたのか確認していきましょう。
また家族の詳細について、妻で詩人の高橋順子さん、小説の題材にもなった百姓の弟さんの情報を見ていきます。
車谷長吉のプロフィール
本名:車谷嘉彦
生年月日:1945年7月1日
死没:2015年5月17日
身長:不明
出身地:兵庫県飾磨市下野田221番地(現在の姫路市飾磨区下野田3-221)
最終学歴:慶應義塾大学文学部独文科
車谷長吉の死因はイカを丸呑みしたことによる窒息死
まず車谷さんの死因を確認します。
2015年5月17日、車谷さんは妻が留守にしている間に、解凍済みのイカを丸呑みして喉に詰まらせました。
酒のつまみにイカを生のまま食べようとして、窒息してしまったのです。
帰宅した妻が、自宅の居間で倒れている夫を発見。
車谷さんは文京区の病院に搬送されたものの、間もなく亡くなったことが確認されました。
喉の奥にイカのゲソが引っかかっていたそうです。
#あすなろ選書
『赤目四十八瀧心中未遂』車谷長吉生のイカを丸呑みしたことによる窒息死。
尋常ではない生涯を送った作家・車谷長吉を象徴するような死に方ではないだろうか。
直木賞を受賞した本作は言うまでもなく素晴らしい。
彼の小説を所詮私小説と揶揄する向きもあるが、→ pic.twitter.com/zKUSaCMDSQ— あすなろ@読書 (@readingmaururer) September 28, 2021
その日車谷さんは、妻に対して「書きたいことがある限りは死なない」と約束してくれたばかりでした。
妻にビール代をねだり、散歩から帰宅した後、突然亡くなってしまったのです。
イカは翌日に大根と一緒に煮る予定だったものでした。
奥さんは想定外の最期に、悲しみが溢れ、どうしても最期の様子を周囲に語れなかったようです。
大切な人との突然の別れは非常につらいものですから、奥さんの気持ちは痛いほど分かりますね。
車谷長吉の病気は遺伝性蓄膿症など複数
車谷さんは鼻の奥の空洞に炎症ができる遺伝性蓄膿症を患っていました。
また頭蓋骨に膿が溜まる病気も患い、2度の大手術を受けています。
さらに強迫神経症や脳梗塞など複数の病気を患い、ふさぎがちになることもしばしばあったそうです。
車谷さんは病気を「苦しみ」と捉え、「苦しみと闘い続けるのが人生」と考えていました。
しかし1人だけで闘病生活を乗り越えることはできませんでした。
最愛のパートナーの存在があったからこそ、長年の苦しみとも折り合いを付けられるようになったのです。
車谷長吉の妻は詩人の高橋順子
車谷さんは詩人の高橋順子さんに、突然恋文らしき「絵手紙」を送り付けました。
毎月1通ずつ、合計11通目の絵手紙が届いたそうです。
独り言のような内容のものもあり、彼と面識のなかった高橋さんは「薄気味悪い」と感じていました。
高橋さんは『海へ』で三好達治賞に輝いた実力ある詩人です。
車谷さんは彼女の作品からうかがえる人柄に惹かれて、アプローチし始めたのでしょう。
それでも面識がない人に対して、何通もの絵手紙を送り続けるとは、ユニークな発想の持ち主ですよね。
気味悪がっていた高橋さんは「こんなことをするのは、どういう人なのか」と気になり始め、1990年の大晦日に彼と会うことにします。
喫茶店で会った2人ですが、車谷さんは一切喋らなかったといいます。
「やはり気味悪い人」と感じた高橋さんですが、彼の美しい瞳に惹かれるようになりました。
2人は小説集を自費出版するため、度々会うようになります。
1993年に車谷さんの『鹽壺の匙』が芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞を受賞。
受賞エッセイの中に、高橋さんに対する告白の言葉がつづられていました。
こうして2人は50歳を目前にして、遅い結婚をするのです。
病気がちだった夫を妻が支え続けた点で、苦労の多い夫婦だったといいます。
「夫・車谷長吉」(著・高橋順子/文藝春秋)読了。強迫神経症で、小説のモデルたちに訴えられ怒りを買う夫との波乱の夫婦生活。凄まじい……けど、どこか他人事とは思えない。とりあえず私は絶対に小説家とは結婚したくないです……。 pic.twitter.com/gv8NpLaW6y
— 花房観音・11/17「鳥辺野心中」11/25「ヘイケイ日記」 (@hanabusakannon) July 16, 2017
しかし文筆家同士、相手への想いを文章にして表すことで、きずなを強めていったようでした。
夫婦仲睦まじく暮らす中で、車谷さんは病状も改善し、南半球をピースボートで一周するほどの元気が出たそうです。
突然の別れが訪れる直前も、互いの愛を確かめ合っていた2人。
もう1組、「いい夫婦」と聞いて思い浮かぶのは、車谷長吉・高橋順子夫妻です。写真はご自宅近くの根津神社を散歩する夫妻の後ろ姿。見事にお二人の足並みが揃っておられるのです。ちょっと隠し撮りみたいですが、10年前に開催した車谷長吉展図録の奥付ページに掲載した、中の人お気に入りの1枚です。 pic.twitter.com/ZNPAyK3YAn
— 姫路文学館 (@himeji_bungaku) November 22, 2017
高橋さんは言い知れぬ寂しさを感じながら、いつくしむように彼の作品を読み返しているのでしょう。
車谷長吉の弟は百姓で『吃りの父が歌った軍歌』のモデル
車谷さんの短編小説に『吃りの父が歌った軍歌』という作品があります。
エッセイストの白洲正子さんに絶賛された作品で、内容は車谷さんと弟さんをモデルに兄弟関係を描いたものでした。
母に愛される弟を憎む主人公の心に、車谷さんの複雑な思いが反映されている作品です。
車谷長吉『吃りの父が歌った軍歌』
行蔵の父は吃りで上手く喋る事ができない。しかし行蔵の弟が連れてきた友達のザガニガがヴェトナム戦争に行くという晩餉、その席で吃らずに軍歌を歌ってあげたのであった。此の話は長吉氏が自らの曲げられぬ曲がった性格、人生を省みている様な小説なのだと感じた。— ゆうが (@UtsuroBooks) March 29, 2020
実際の弟さんは小学校4年生の頃から新聞配達員として働き、成人後は百姓となりました。
兄と同じく遺伝性蓄膿症を患っていたため結婚はせず、田んぼは自分の死後、恵まれない人の施設に寄付すると語っていたそうです。
弟さんは非常に思いやり深い人で、長年、親に捨てられた子供や貧しいご老人の面倒を見てきました。
今もご健在かは分かりませんでしたが、お元気であれば人々のために尽くす人生を送り続けているのでしょう。
車谷さんは弟さんの人格のすばらしさに対して、嫉妬したことがあるのかもしれません。
親の愛情を一身に受けている優秀な彼への嫉妬心を、作品に投影させて、心を落ち着けようとしてきたのでしょうね。
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