加藤陽子の夫・野島博之が活動家ではなく予備校講師。家族情報と経歴まとめ

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』などの著作がある、日本近現代史家で東京大学教授の加藤陽子(かとう ようこ)さん。

柔らかい物腰と分かりやすい語り口調で知られており、2020年には日本学術会議の会員任命を拒否されたことで話題となりました。

私生活では、やや癖の強い男性と結婚したようですので、詳細を見ていきましょう。


夫の野島博之さんについて、活動家で予備校講師という情報があるため、真相を確認します。

加えて、実家の家族を含む家族情報と、加藤さんの現在までの経歴をまとめます。

加藤陽子のプロフィール

本名:野島陽子

生年月日:1960年10月

身長:不明

出身地:埼玉県さいたま市

最終学歴:東京大学大学院人文社会系研究科修了(文学博士)

加藤陽子の夫は野島博之

加藤さんは東京大学2年生の時期に、日本近代史を研究することを決意しました。

1989年に東京大学大学院の博士課程を満期退学し、山梨大学教育学部で専任講師を務め始めます。

同時期に1歳年上の野島博之さんと結婚しました。

加藤さんにとって東京大学の駒場校舎で初めて出会った男性が、野島さんだったそうです。

2人は同じ文学部出身ですから、在学中から交際を続けていた可能性が高いですね。

加藤さんが大学院生から無事に社会人となったタイミングを見計らい、ゴールインしたのではないでしょうか。

加藤陽子の夫・野島博之は活動家ではない

加藤さんの夫・野島さんについては、活動家であるという噂が流れています。

確認したところ、野島さんは活動家ではありませんでした。

ただ文筆家として活動してきたため、著作やブログを通して、歴史に関する自身の見解を発信しています。

著作『謎とき日本近現代史』では、昭和天皇が戦犯にならなかった理由など、歴史上の疑問にメスを入れました。

分かりやすい言葉で、歴史初心者も読みやすいよう配慮された本のため、ネット上のレビューは大方が好評価となっています。

またブログでは、日本学術会議の会員候補6人が任命を拒否された件について、撤回を求める署名活動のリンクを貼っていました。

もちろん妻が任命を拒否されたことへの怒りもあったのでしょうが、日本の学術界の現状を危惧していることがうかがえますね。

ただいずれも「活動家」と呼べるほどの活動とは言えない印象があります。

あくまで自身の歴史観や政治的見解を、平和的な手段で述べているだけにとどまっていますよね。

「活動家である」という噂が流れたのは、きっと野島さんが黒いサングラスを掛けた、強面の風貌だからではないでしょうか。

権力を恐れない革命家のような雰囲気をまとっているため、「怖い活動家」と考えた人がいるのかもしれませんね。

加藤陽子の夫・野島博之は予備校講師

野島さんの本業は活動家ではなく、予備校講師です。

駿台予備校や東進ハイスクールで日本史を教えてきたカリスマ講師でした。

『謎とき日本近現代史』や『野島のセンター攻略日本史B』などの著作を通して、受験生をサポートしてきました。

SNSやYouTubeでも受験生に有益な情報や励ましのメッセージを発信しています。

いかつい雰囲気で「怖い」と感じる人もいるかもしれませんが、実際は親身に受験生を支えてくれるすてきな先生のようですよ。

加藤陽子、現在(2023)の家族は野島博之のみ

加藤さんには子供がいるのか確認しましたが、特に情報はありませんでした。

つまり今は夫の野島さんと2人暮らしである可能性が高いですね。

加藤陽子の実家の家族


加藤さんの実家の家族には、両親と姉、父の先妻の母がいました。

父は1923年生まれで、戦時中は満州の東寧で守備隊を務め、1944年10月に内地へ戻ります。

幹部候補生試験に合格し、本土決戦要員として高知県の高角砲陣地に配属され、終戦を迎えました。

戦後に結婚したものの、最初の妻は結核で亡くなったため、加藤さんと姉の母は後妻とのことです。

自宅には先妻の母が同居していましたが、家族関係は良好だったといいます。

時おり先妻の母と、加藤さんの母との間に緊張が走ったため、加藤さんは子供ながらに2人を気の毒だと感じていたそうです。

昔の女性は自分の意見を堂々と述べられませんでした。

そのため2人の女性はいずれも本音を押し殺し、窮屈な思いをすることが多々あったのでしょう。

特殊な家庭環境で育った加藤さん。

今は夫の野島さんに深い愛情を注ぐことで、緊張感のない幸せな家庭を築けているのではないでしょうか。

加藤陽子の経歴まとめ

加藤さんは幼少期、古代エジプトブームが巻き起こっていたため、流行に影響され考古学者を夢見ていたそうです。

トップレベルの女子校である桜蔭中学校と高校では社会科部に属し、文化祭で1930年代のアメリカをテーマに発表しました。


中高時代から歴史に造詣が深い才女だったことが分かりますね。

東京大学に進学すると、「右派」とされていた歴史学者・伊藤隆さんの「戦争と知識人」がテーマの講義に影響を受けました。

2年生で日本近代史研究者を目指し、伊藤さんに師事して、大学院では1930年代の外交関連の研究を行います。

中高時代から一貫して、1930年代の世界情勢に関心が高かったようですね。

世界恐慌から第二次世界大戦までの過程を研究し、戦争という過ちをくり返さないためのヒントを探り続けてきたのかもしれません。

博士課程を修了後は山梨大学教育学部の専任講師となり、1990年代には文部省在外研究員となってアメリカに渡っています。

1993年には初の著作『模索する一九三〇年代』を出版し、翌年から東京大学助教となりました。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』では小林秀雄賞、『戦争まで』で紀伊國屋じんぶん大賞を受賞するなど、研究者として活躍。

2013年に成立した特定秘密保護法に反対し、リベラル思想の研究者として知られるようになっていきました。

ただ加藤さんは右派・左派にとらわれず、真実を突き詰めて研究してきた誠実な歴史家です。

2020年に日本学術会議の会員候補になりながら、当時の菅義偉首相に任命を拒否されたのは残念ですね。

少しリベラルな要素があるからと言って、加藤さんの存在を拒否したのであれば、国による言論封殺になりかねません。


加藤さん自身はこの問題について「私、へこたれていませんよ」とコメントしています。

決して感情的にならず、冷静に物事に対処できる立派な研究者として、今後も学術の世界で活躍を続けてくれそうですね。

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