カーリーヘアが印象的だった歌手の内藤やす子(ないとうやすこ)さん。
2023年現在は、娘や夫と暮らしているのでしょうか。
またカンボジアと関係があるようですし、病気をしたとも言われています。
その辺りを一つ一つ見ていきましょう。
内藤やす子のプロフィール
本名:内藤泰子(ないとうやすこ)
生年月日:1950年(昭和25年)9月28日
身長:155cm
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:豊島丘女子学園高等学校中退
所属事務所:プロダクションオーロラ
内藤やす子は現在も芸能界で活躍中
1975年に「弟よ」という曲でデビューし、翌年に「六本木ララバイ」の大ヒットで存在感を高めた歌手の内藤やす子さん。
2000年前後10年間ほど休養した後、芸能界にカムバックしました。
それからは、以前にヒットした曲を中心に歌番組で披露し続けています。
内藤やす子さんの歌には迫力と独特の味がありますよね。
それは、自身の生き方が映し出されているようにお見受けします。
家出をして常に金欠状態の中、仲間と米軍キャンプやジャズ喫茶で歌っていた素人時代。
デビュー前に一度騙されて、借金までして渡したお金60万円を取られたこともありました。
さらにデビュー後1977年には芸能関係者60名ほどが大麻取締法違反で逮捕されましたが、内藤やす子さんもその1人。
起訴猶予で釈放されましたが、芸能生活には大きな痛手となりました。
薬だけでなく、酒とタバコも大量に摂取していた内藤やす子さん。
バーボン1本と3〜4箱のタバコを毎日、という生活で体はボロボロに。
血圧も上が190まであったほどの高血圧に陥ってしまっていました。
後述しますが大病を患い、オーストラリア人の夫の支えで病気を克服したことで落ち着いた生活を送っているようです。
このような半生を全て詰め込んだような曲が、内藤やす子さんの歌には有りますよね。
内藤やす子に娘がいて夫はオーストラリア人という噂の真相
内藤やす子さんには一人娘がいて、夫は年下のオーストラリア人だと言われています。
詳細を追ってみましょう。
内藤やす子に娘はいるのか
内藤やす子さんには、結婚した夫との間に、娘がいるという噂があります。
45歳の時に結婚したので、子供がいるなら出産は相当大変だったでしょう。
しかし、娘も息子もいないことがわかりました。
内藤やす子さんは結婚後しばらくして、病気で芸能界を離れた時期がありました。
だから、その時に休養していたのを「妊娠・出産のためか」と勘違いされてしまったのかもしれません。
また内藤やす子さんが「娘が欲しかった」と言っていたことから、娘がいるという誤った情報につながった可能性もあります。
内藤やす子の夫はオーストラリア人
内藤やす子さんの夫は、オーストラリア人だそうです。
名前はマイケル・クリスティンソンさんと言い、なんと21歳も年下なのだそう。
日本人は欧米人と比較して、若く見られがちです。
ですから、実際の年齢差をそれほど感じないかもしれません。
マイケルさんは、英語を教えたこともある牧師さんだといいます。
2人の出会いは、六本木のバーでした。
マイケルさんが内藤やす子さんを一目見て、恋に落ちたとか。
そこからアタックをかけて口説き落とすことに成功。
2年の交際期間を経た後、内藤やす子さんが45歳でマイケルさんが24歳の時に結婚しました。
年齢だけでなく身長もかなり差があり、マイケルさんは内藤やす子さんより30cmも高い185cm。
内藤やす子さんは夫のことを「マイちゃん」と呼んでおり、病気になった時も手厚く介護してもらって強い絆で結ばれているのです。
内藤やす子はカンボジアに関わりがあるのか
歌手の内藤やす子さんが、カンボジアで外交官の夫と結婚したという噂があります。
確か夫のマイケルさんは外交官ではありませんでしたね。
ひょっとして内藤やす子さんはバツイチで、前夫が外交官なのでしょうか。
詳しく見てみたところ、名前が「内藤泰子(ないとうやすこ)」さんという、読み方が同じ別人のことだと判明。
何で知ったのか忘れましたが、クメール・ルージュ支配下の #カンボジア から奇跡的に生還した #内藤泰子 さんの体験を著した『戦果と混迷の日々(副題:悲劇のインドシナ)』(#近藤紘一 著 #文春文庫)を入手。
これまた何故か分かりませんが、数十冊の積ん読在庫をよそに(汗)読み始めました。 pic.twitter.com/r0EPbMr4i3— ㊄/marugo/៥រង្វង់🇰🇭🇯🇵 (@05mfg_) November 12, 2019
この内藤泰子さんは、カンボジアが1970年代に共産軍が支配して政情不安定になった時に家族全員を亡くしました。
なんとか1人生き残って、1979年に日本へ帰還できたのです。
NHKの特番として報道されたりと、メディアは内藤泰子さんに注目しました。
当時のことを覚えている人も多いかもしれません。
残念ながら1982年に内藤泰子さんは乳がんで亡くなったそうです。
内藤やす子は過去の大変な病気を克服した
それは2006年5月28日のことでした。
福島でディナーショーを行っていた際に、突然内藤やす子さんの体を病魔が襲いかかったのです。
脳内出血が起こって倒れ、そこから緊急入院。
1ヶ月半ほど入院して退院した後も、後遺症に苦しみました。
内藤やす子さんは、歌手だった記憶すら無くなってしまったのだそう。
そんな時に支えてくれたのが、夫のマイケル・クリスティンソンさん。
夫の手厚い介護と懸命なリハビリのおかげで、10年かけて後遺症を克服したそうです。
倒れてしばらくは夫以外の記憶を失い、歌手だったことを5年経ってからようやく思い出したといいます。
2016年3月TBS系バラエティ番組「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に出演し、壮絶な闘病生活を語った内藤やす子さん。
「六本木ララバイ」などのヒット曲をしっかり歌い上げました。
すると放送翌日には、iTunesの歌謡曲ダウンロードランキングで「内藤やす子ヒットメドレー2016」が1位に。
同年7月には原宿で復活記念のライブを行うことができました。
まだ右半身には麻痺が残り、サ行の発音が難しいという内藤やす子さん。
そんなことを微塵も感じさせないほど、2023年現在もパワフルに歌を歌い上げています。
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