名脇役として、数多くのドラマやテレビに出演した入川保則(いりかわやすのり)さん。
息子がいて、元アイドルのホーンユキさんとの間に生まれたそうです。
ここでは入川保則さんの家族関連や若い頃、また2011年に死去した理由が「がん」だったことについて見ていきましょう。
入川保則のプロフィール
本名:鈴木安則(すずきやすのり)
生年月日:1939年(昭14和年)11月10日
死亡年月日:2011年(平成23年)12月24日
身長:171cm
出身地:兵庫県神戸市
最終学歴:関西学院大学中退
入川保則の息子は3人でホーンユキとの間に生まれた
入川保則さんは11歳年下のホーンユキさんと、39歳の時に結婚しました。
息子が3人いるとのことですが、一般人のようで情報がありません。
ホーンユキさんは1970年にアイドルグループ「ザ・シュークリーム」のメンバーとしてデビュー。
"Good morning"
ホーン・ユキ pic.twitter.com/NCQWZzKbYn
— Hello George (feel free to chat in English) (@ryochikun22) February 3, 2020
しかしグループとしては売れず、3年で解散。
その後ホーンユキさんは、女優として「傷だらけの天使」に出演するなど成功しました。
しかし、ドラマ「愛の珍客」で入川保則さんと出会ったことが人生を大きく変えました。
女優としては成功していましたが、ホーンユキさんは芸能界に嫌気が差していました。
その時に入川保則さんが優しく話を聞いてくれて、元気づけてくれたのです。
そこでつい「お嫁さんにして」と軽く言ってしまったそうですが、入川さんには妻子がいました。
そして2人は一緒に暮らし始めることに。
4ヶ月後に入川保則さんは前妻と離婚しました。
世間はそんな2人を厳しく批判しましたが、前妻とホーンユキさんの関係は良好だったのです。
入川保則さんを含めて前妻も一緒に、フジテレビ系「オールスター家族対抗歌合戦」にも出演したほど。
さて、ホーンユキさんは結婚を機に芸能界の仕事を減らしたそうです。
次男を産んですぐの時代劇ドラマの出演後は、専業主婦に。
3人息子を生み、幸せに暮らしているかに見えました。
しかし、イメージダウンで仕事が激減した入川保則さん。
家庭で、ホーンユキさんに手を挙げることが増えてしまったといいます。
さらには異常なほどの束縛まで始まり、夫婦ともに精神状態はボロボロに。
ある日ベランダを掃除中に、意識がなくなり3階から落ちてしまったホーンユキさん。
このままではもうダメだと思い、離婚に至りました。
離婚してからホーンユキさんは、工事現場のガードマンの仕事に就いたそうです。
肉体的にハードな仕事をこなして、3人の息子を育て上げたのだそう。
そういえば、先週のホーンユキさんと宙さんのイベントにサポートで参加した時の写真いただいちゃいました^_^
なかなかない現場でしたし、さすが語りが素晴らしかったホーンユキさんでした^_^ pic.twitter.com/Llb1K5vaJa— Satoshi Sammy Saito 🦋 (@SatoshiOto) August 24, 2015
2016年前後にガードマンの仕事を辞めて、スクリーンライブ活動をしています。
入川保則の家族について
入川保健則さんは、結婚を3回しています。
先ほど3番目の妻だったホーンユキさんと育んだ家族について見ましたので、ここでは残り2回の結婚について見てみましょう。
また3度の結婚の後、独り身になった入川保則さんの生活についてもお伝えします。
入川保則の最初の妻
入川保則さんの最初の妻について、詳しいことはわかっていません。
すでにその妻は亡くなっているようです。
さて、脇役のトップだった入川保則さんは収入がかなりありました。
それを自分のためだけに使ったのではありませんでした。
離婚の際は、きちんと慰謝料を渡したということです。
入川保則の2番目の妻
入川保則さんは2番目の妻と結婚して、娘を2人もうけました。
その娘はどちらも、国際結婚をしたそうです。
相手はそれぞれスペイン人とエクアドル人なのだとか。
この元妻と離婚したときも慰謝料をきちんと支払いました。
入川保則さんは元妻に、鎌倉の家と土地を譲渡してあげたそうです。
もちろん娘が成人するまで、毎月30万円の養育費もきちんと払っていました。
さらには元妻が作った借金までも、入川保則さんが払ってあげていたのだとか。
なかなか義理堅い性格の人だったことがわかりますね。
入川保則の離婚後
3度の結婚を経て、独り身になった入川保則さん。
住んでいたのは、神奈川県内の築48年で家賃が月33,000円のアパート。
特に寂しいと感じることもなく、一人暮らしを満喫していたそうです。
仕事がない時は、DVD鑑賞や読書をして楽しんでいました。
また掃除が大好きだったそうで、6畳と4畳半のキッチンがある1DKの部屋をいつも綺麗にしていたとのこと。
部屋には生花も飾っていたようです。
入川保則さんは結婚が失敗に終わり、家族がいない状態になったことについて次のように語っています。
「元妻たちのことを考えず、自分について来させようとした結果失敗した。
もし次があるのなら、相手に寄り添うのにな。」
しかし結局それ以降、再婚はしませんでした。
入川保則の若い頃
入川保則さんは17歳で俳優の道を歩み始めました。
幼い頃から映画が大好きだったそうで、セミプロの劇団に入ったのです。
「佐々木小次郎」、「水戸黄門」や「部長刑事」など時代劇やドラマに多数出演。
名脇役としての地位を確実なものにした俳優でした。
若い頃は、豪快に酒を飲みまくったそうです。
小林旭(こばやしあきら)さんと、ブランデーのロックを飲み合いしたこともあったといいます。
午後5時から酒を飲み始め、飲み終わったのが翌朝の7時半までかかったとか。
2人で合計7本半もボトルを空けてしまったそうです。
若いからこそできた飲み方ですね。
若い頃の入川保則さんは、カッコいい脇役として人気がありました。
スーパー晩御飯たいむ。#遠山の金さん みてました。#杉良太郎 さんがかっこいいのは勿論だけど… #入川保則 さんもかっこいいなぁ。 pic.twitter.com/7yYgd3rUjD
— 工藤友美(メルダー) (@Meldor_tomomi) December 13, 2021
悪役を演じても非常に上手で、どことなく不気味な怖さも兼ね備えていたとか。
入川保則の死去理由はがんで最後まで生き抜いた
2010年に仕事で沖縄に行っていた時のこと。
脱腸で病院に行ったところ直腸にがんがあり、あちこちに転移していたそうです。
とりあえず直腸がんだけ切除して舞台に復帰しました。
しかし2011年の初めに、余命いくばくもないと宣告された入川保則さん。
延命治療は一切断って、残りの人生を生きると決意しました。
その時の気持ちを著書「その時は、笑ってさよなら」に綴っています。
入川保則さんは2011年の秋までもたないだろうと思って、冬物の衣類を処分してしまったとか。
しかし11月の誕生日も無事迎えることができ、慌てて服を買いに行くことに。
どうやら入川保則さんは免疫力が高かったようです。
だから、予測よりもがんの進行が遅かったといいます。
自分の最後の出演と決めて臨んだ仕事は人生初めての主演映画。
その映画「ビターコーヒーライフ」の撮影も終わり、公開は2012年5月に決まりました。
入川保則さんは、公開日まではさすがに命がもたないと覚悟をしていたそうです。
ひょっとしたら年越しできるのではとも言われていましたが、不運が襲います。
12月8日に転倒して、大腿骨を骨折。
それから病状がどんどん悪くなってしまいました。
12月22日に長男の正則さんに「ありがとう」と言ったのが最後の言葉に。
12月24日に静かに息を引き取りました。
生前にすでに葬儀の手配も済ませており、葬儀用のお経も挨拶も録音していたという入川保則さん。
さらには死後に出版したいと、「自主葬のすすめ」という本まで書き終えていたといいます。
ホーンユキの現在。元夫は俳優・入川保則で息子が3人。若い頃と本名について
コメント