岡田茉莉子の現在(2023)。夫・吉田喜重との絆。子供と家族、ハーフの噂

『秋日和』(1960年)や『エロス+虐殺』(1970年)などの映画で活躍した岡田茉莉子(おかだ まりこ)さん。

バラエティ番組への出演もこなしていましたが、最近はどうしているのでしょうか。

今回は岡田さんの現在(2023)、夫で映画監督の吉田喜重さん、子供ついて見ていきます。

また、家族情報とハーフの噂を確認します。

岡田茉莉子のプロフィール


本名:吉田鞠子

生年月日:1933年1月11日

身長:推定158cm

出身地:東京都渋谷区代々木

最終学歴:新潟市立沼垂高等学校(現在の新潟市立万代高等学校)

岡田茉莉子の現在

まず岡田さんの現在について見ていきます。

2023年で90歳になる岡田さん。

2020年8月には、毎日新聞の取材に応え、戦争体験を語りました。

ただ近年はほとんど仕事をしていない様子です。

2017年頃まではバラエティ番組で、往年の映画スターや監督について証言する姿を見かけました。

近年は、騒がしいバラエティ番組への出演に疲れてしまったのかもしれません。

ある時は、他のスターに関する証言ばかり求められるため、「私のことを聞きなさい」と憤慨されていました。

確かに、周りのスターに関する証言者として呼ばれるだけのバラエティ番組は、大女優にはふさわしくありませんね。

病気やけがの情報はないため、あえてメディア出演を控え、夫と共に老後の生活を楽しんでいるのではないでしょうか。

また岡田さんは運動が大好きなため、ジムに通い、エアロビやジャズダンスを楽しんできたそうです。

90歳を間近に控えてもなお、変わらずお元気なのは、適度な運動に励んできたおかげでしょう。

夫、吉田喜重との絆

岡田さんと共に老後を過ごしているのは、同い年の夫である吉田喜重さん。

大島渚さんや篠田正浩さんたちと「松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手」と並び称される映画監督でした。

監督作『秋津温泉』(1962年)に主演した岡田さんと、2年後に結婚。

旧西ドイツで海外挙式し、新婚旅行としてヨーロッパ旅行を行いました。

結婚後、岡田さんは所属していた松竹を退社し、フリーとなります。

そして1966年、夫婦で「現代映画社」を設立。

監督と女優として、協力し合いながら、多くの映画を製作しました。

吉田さんの代表作『戒厳令』(1973年)では、岡田さんが女優ではなく、プロデューサーとして協力しています。

2人は公私共に支え合いながら、長年過ごしてきたのです。

仕事でも家庭でも、お互いにとって理想のパートナーだったのでしょう。

岡田茉莉子の子供

岡田さんの子供や息子について気になる人が多いようです。

しかし岡田さんは、子供を産みませんでした。

一説では、出産によって美貌が失われるのを避けるため、出産しなかったそうです。

出産した女優の多くが、美しさをキープしようと整形していたといいます。

岡田さんの目元にはきれいな涙袋があり、せっかくの美しい特徴を失わないため出産しなかったのかもしれません。

岡田茉莉子の家族。ハーフ?

岡田さんの家族は、夫の吉田さんだけで、子供はいません。


では血縁関係のある家族には、どのような人たちがいるのでしょう。

岡田さんは大きな瞳と、その下の涙袋が美しく、日本人離れした顔立ちですね。

ハーフという噂がありますが、実際に家族情報を見ながら、確認しましょう。

岡田さんの父は、無声映画時代のスター俳優だった岡田時彦さんです。

やはり日本人離れした顔の二枚目俳優で、1933年公開の『瀧の白糸』や『祇園祭』に出演しています。

同年に娘の岡田さんが生まれるものの、時彦さんには結核の持病があったため、翌年に30歳で亡くなりました。

母は宝塚の男役出身だった田鶴園子さん。

夫の死後は女手一つで娘を育て、娘がデビューしてからも支え続けました。

1989年に81歳で亡くなっています。

岡田さんの両親はいずれも日本人だったため、彼女はハーフではありません。

父の記憶はないものの、往年の無声映画を観ることで、彼の姿を確認してきたのでしょう。


長年、第一線で活躍してきた岡田さん。

美貌と確かな演技力は、両親から受け継いだ宝物だったのでしょう。

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