『秋日和』(1960年)や『エロス+虐殺』(1970年)などの映画で活躍した岡田茉莉子(おかだ まりこ)さん。
バラエティ番組への出演もこなしていましたが、最近はどうしているのでしょうか。
今回は岡田さんの現在、夫で映画監督の吉田喜重さん、子供ついて見ていきます。
また、家族情報とハーフの噂を確認します。
岡田茉莉子のプロフィール
本名:吉田鞠子
生年月日:1933年1月11日
身長:推定158cm
出身地:東京都渋谷区代々木
最終学歴:新潟市立沼垂高等学校(現在の新潟市立万代高等学校)
岡田茉莉子の現在
まず岡田さんの現在について見ていきます。
#岡田茉莉子 (まりこ)さま、なんとお美しい。マーベラス。 pic.twitter.com/BZ1wzANVNU
— 里芋☆実験4号 (@satoimo23) January 10, 2018
2024年で91歳になる岡田さん。
2020年8月には、毎日新聞の取材に応え、戦争体験を語りました。
ただ近年はほとんど仕事をしていない様子です。
2017年頃まではバラエティ番組で、往年の映画スターや監督について証言する姿を見かけました。
近年は、騒がしいバラエティ番組への出演に疲れてしまったのかもしれません。
ある時は、他のスターに関する証言ばかり求められるため、「私のことを聞きなさい」と憤慨されていました。
確かに、周りのスターに関する証言者として呼ばれるだけのバラエティ番組は、大女優にはふさわしくありませんね。
病気やけがの情報はないため、あえてメディア出演を控え、夫と共に老後の生活を楽しんでいるのではないでしょうか。
また岡田さんは運動が大好きなため、ジムに通い、エアロビやジャズダンスを楽しんできたそうです。
90歳を間近に控えてもなお、変わらずお元気なのは、適度な運動に励んできたおかげでしょう。
夫との別れと新たな人生の局面
岡田茉莉子さんは、2022年12月に89歳で亡くなった夫の吉田喜重さんとの別れを経験しました。
二人は公私ともに二人三脚で歩んできた関係でした。
突然の別れは岡田さんに大きな影響を与えたようです。
吉田さんの死後、岡田さんは以下のような心境の変化を経験しています:
- 遺品を元のままの状態で保管し、夫の存在を身近に感じ続けている
- 朝晩、亡き夫と会話をするような習慣を持っている
- 夫がいたからこそ生きてこられたという深い感謝の念を抱いている
岡田さんは、夫の死後も自宅で生活を続けています。
吉田さんのスリッパを定位置に置いたままにするなど、夫の存在を身近に感じられるようにしているそうです。
このような行動は、長年連れ添った伴侶を失った人々にとって珍しいことではありません。
夫の死後、岡田さんは新たな課題にも直面しています。
特に、分からないことを教えてくれる人がいなくなったことを困難に感じているようです。
これは、夫婦が互いに補い合いながら生活していたことを示しています。
岡田さんは、夫との思い出を大切にしながらも、新たな人生の局面に適応しようと努力しています。
テレビ出演などを通じて、自身の経験や思いを語る機会も増えているようです。
現在の岡田さんは、映画界の重鎮としての地位を保ちながら、私生活では夫の思い出と共に静かな日々を過ごしています。
彼女の姿は、長年連れ添った伴侶を失った後の人生の在り方について、多くの人々に示唆を与えているように思われます。
岡田茉莉子さんの現在の姿は、日本映画界の歴史を体現するとともに、人生の晩年を力強く生きる女性の姿を象徴しているといえるでしょう。
彼女の経験や言葉は、多くの人々にとって貴重な人生の指針となっているように思われます。
夫、吉田喜重との絆
岡田さんの夫である吉田喜重さんは、同い年でした。
大島渚さんや篠田正浩さんたちと「松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手」と並び称される映画監督でした。
監督作『秋津温泉』(1962年)に主演した岡田さんと、2年後に結婚。
旧西ドイツで海外挙式し、新婚旅行としてヨーロッパ旅行を行いました。
週刊平凡増刊 昭和39年/松竹スター岡田茉莉子さんと吉田喜重監督の結婚式が6月21日 立会人 木下恵介監督の付き添いのもとに西ドイツ ミュンヘン郊外のホテルで挙行されました。披露宴では新郎新婦がケーキにナイフを入れると「ハレルヤ」の歌声が流れ、村男達によって祝福のポルカが踊られました。 pic.twitter.com/kbOBmJFDda
— 島倉千代菊 (@wataridori333) November 20, 2019
結婚後、岡田さんは所属していた松竹を退社し、フリーとなります。
そして1966年、夫婦で「現代映画社」を設立。
監督と女優として、協力し合いながら、多くの映画を製作しました。
吉田さんの代表作『戒厳令』(1973年)では、岡田さんが女優ではなく、プロデューサーとして協力しています。
2人は公私共に支え合いながら、長年過ごしてきたのです。
仕事でも家庭でも、お互いにとって理想のパートナーだったのでしょう。
岡田茉莉子の子供
岡田さんの子供や息子について気になる人が多いようです。
しかし岡田さんは、子供を産みませんでした。
一説では、出産によって美貌が失われるのを避けるため、出産しなかったそうです。
出産した女優の多くが、美しさをキープしようと整形していたといいます。
岡田さんの目元にはきれいな涙袋があり、せっかくの美しい特徴を失わないため出産しなかったのかもしれません。
岡田茉莉子の家族。ハーフ?
岡田さんの家族は、夫の吉田さんだけで、子供はいません。
では血縁関係のある家族には、どのような人たちがいるのでしょう。
岡田さんは大きな瞳と、その下の涙袋が美しく、日本人離れした顔立ちですね。
ハーフという噂がありますが、実際に家族情報を見ながら、確認しましょう。
岡田さんの父は、無声映画時代のスター俳優だった岡田時彦さんです。
日活スターで30歳で結核で亡くなった岡田時彦、『東京物語』を撮った小津安二郎には「これから俺は何を撮ればいいのだろう」と言わしめて、渋い縞の着物に角帯で火葬されたらしい。棺には愛用の藤のステッキ、花札、手提げ籠、最後に谷崎潤一郎の『蓼喰う虫』が入れられたって、もう pic.twitter.com/59jv4WbStB
— 白い喪服 (@Venusorrow) October 17, 2020
やはり日本人離れした顔の二枚目俳優で、1933年公開の『瀧の白糸』や『祇園祭』に出演しています。
同年に娘の岡田さんが生まれるものの、時彦さんには結核の持病があったため、翌年に30歳で亡くなりました。
母は宝塚の男役出身だった田鶴園子さん。
夫の死後は女手一つで娘を育て、娘がデビューしてからも支え続けました。
1989年に81歳で亡くなっています。
岡田さんの両親はいずれも日本人だったため、彼女はハーフではありません。
父の記憶はないものの、往年の無声映画を観ることで、彼の姿を確認してきたのでしょう。
長年、第一線で活躍してきた岡田さん。
美貌と確かな演技力は、両親から受け継いだ宝物だったのでしょう。
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