国内外のコンクールで高く評価され、名前を冠したコンクールも開催された、名ヴァイオリニスト・江藤俊哉(えとう としや)さん。
2008年に80歳で亡くなりましたが、今も現役で活動しているピアニストの息子さんについて確認します。
また弟子である一流ヴァイオリニスト・千住真理子さんへのレッスン内容をチェック。
最後に死因、病気の情報を確認します。
左から、早坂文雄(作曲家)伊福部昭(作曲家)上田仁(指揮者)梶原完(ピアニスト)江藤俊哉(ヴァイオリニスト)#早坂文雄 #伊福部昭 #上田仁 #梶原完 #江藤俊哉 pic.twitter.com/gOC8XLDTS3
— カエル岩 (@kaeruiwa1963) December 5, 2020
江藤俊哉のプロフィール
本名:江藤俊哉
生年月日:1927年11月9日
死没:2008年1月22日
身長:不明
出身地:東京都豊島区
最終学歴:カーティス音楽院
江藤俊哉の息子はピアニスト・マイケル江藤
江藤さんには、アメリカ人の妻・アンジェラさんとの間に2人の息子さんがいます。
長男のカーティスさんと、次男のマイケルさんです。
マイケルさんは音楽家である父のDNAをしっかりと受け継ぎ、優秀なピアニストとして活躍してきました。
1990年には親子での演奏が収録されたCD『シューマン:ヴァイオリン・ソナタ集』が発売されています。
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番~第3番 江藤俊哉、マイケル江藤 (1989) fontechttps://t.co/COm3iNA84E pic.twitter.com/BoRQa9VN4d
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) June 19, 2017
指導者としても一流だった江藤さんは、きっと息子さんにも厳しいレッスンをつけていたのでしょう。
マイケルさんは父の背中を追い、たゆまぬ努力を続けた結果、ピアニストとしての地位を確立できたに違いありません。
江藤俊哉の弟子・千住真理子へのレッスン
江藤さんの厳しいレッスンを受けた人々は、多くが優れた演奏家として活躍しています。
特に有名な弟子は、日本を代表するヴァイオリニストの千住真理子さんです。
千住真理子さん
ストラド デュランティ
20代 一時スランプに
大学 音楽大学でなく 慶応 哲学科 卒業
江藤俊哉さんに 師事 pic.twitter.com/7AUKKwKMwh— hh-11 野党共闘 政権交代 頑張れ 泉 志位 福島 山本 大石さん (@HhHosono) April 3, 2021
「演奏家は肉を食べなければならない」プロデビュー前のヴァイオリニスト千住真理子さんが師匠の江藤俊哉氏に言われた言葉だとか。これ、思いっきり同調。プロじゃないけど、ピアノの発表会や試験の前夜は必ず牛肉食べてたな。肉食べてぐっすり寝て、本番に思いっきり力を出す!
— 美葉奔多 (@vivaponta) December 5, 2011
1962年に生まれ、2歳の頃からヴァイオリンに触れていましたが、慶應幼稚舎時代は練習を怠ることもありました。
11歳のときから江藤さんに師事し始めると、このころから才能を開花させ始めます。
1973年に全日本学生音楽コンクール東京大会、全国大会小学生の部で優勝。
江藤さんの薫陶を受け始めて1年後、NHK交響楽団との共演を果たし、12歳でデビューしました。
15歳で日本音楽コンクール、17歳でパガニーニ国際コンクールにて、いずれも最年少での入賞を果たします。
コンクール出場に先立ち、江藤さんからは「あなた、落ちたら問題よ」と言葉を掛けられていました。江藤さんはなぜか女性らしい言葉遣いだったそうですよ。
「あなたが出場するなら、優勝する以外ないけれど、難しいことよ。飛び抜けていないとね」
恩師の言葉に納得した千住さんは、平日は学校の合間に4時間、休日はたっぷり14時間をレッスンにあてます。
権威あるコンクールで最年少での入賞を果たせたのは、厳しい特訓のおかげだったのです。
「天才少女」と呼ばれた千住さん。
しかし結果を出すためには、恩師からの𠮟咤激励と厳しいレッスンが不可欠だったのですね。
ただし江藤さんは単に厳しいレッスンを行っていたわけではありません。
ある日千住さんに対して「あなたは完璧な演奏をする。でも、いつか僕を泣かせてください」と言葉を掛けたのです。
千住さんは恩師から掛けられた言葉によって、ただ特訓するだけでは表現できないものがあると知ります。
音楽以外にもさまざまな世界を知るべく、音楽大学ではなく慶應義塾大学文学部哲学科へ進学しました。
視野を広げ、幅広い分野の勉強、体験をした結果、ようやく「完璧な」だけでなく「感動的な」音楽がわかってきたのです。
江藤さんは千住さんにとって、音楽の師であると同時に、人生の師だったのですね。
江藤俊哉の死因は心不全、病気は肺炎
2008年1月22日、江藤さんは80年の生涯を終えます。
以前から患っていた肺炎を原因とする、心不全によって亡くなりました。
肺炎は細菌やウイルスに感染し、肺の中を通っている気管支の先にある「肺胞」が炎症を起こす病気です。
咳や痰、熱など風邪に似た症状で知られますが、高齢者の場合は重症化して亡くなるケースもあります。
江藤さんも肺炎で臓器が弱り、血流が滞った結果、心臓が止まってしまったのです。
晩年は肺炎で苦しんでいたためか、身体は弱っていた様子でした。
ネット上には「晩年の江藤の演奏は聴けたものではない」という声もあるほど。
思うように身体が動かず、もどかしい気持ちを抱きながらも、できる限りヴァイオリニスト人生を全うしようとしていたのでしょう。
1996年から2008年までは、生前に暮らしていた東京都小平市で、「江藤俊哉ヴァイオリンコンクール」が開催されました。
どんなに身体が衰えても弓を持ち、演奏と後進の育成に励み続けた江藤さん。
その熱いスピリットは、息子さんや弟子たちに受け継がれ、生き続けています。
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