中満泉の夫は外交官。両親と娘2人、家族まとめ。フェリス女学院から国連目指す

日本人女性で初めて、国際連合(以下、国連)のトップである軍縮担当(UNODA)上級代表に就任した中満泉(なかみつ いずみ)さん。

国際社会の平和を守るため奔走しながら、愛する家族との生活も築いてきました。

今回は、外交官である夫、両親、娘さんの詳細から、中満さんの家族情報をまとめます。

併せて、フェリス女学院高校在学中に国連を目指し始めたという情報を確認します。

中満泉のプロフィール

本名:中満泉

生年月日:1963年 ※月日不明

身長:不明

出身地:東京都

最終学歴:ジョージタウン大学外交大学院修士課程

中満泉の夫はスウェーデン人外交官

まず中満さんの夫について確認します。

中満さんは、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地で勤務した後、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の本部で働きました。

2年間勤務した後、1997年2月にニューヨークの国連本部へ移ります。

ニューヨークで出会ったのが、スウェーデン人の外交官である旦那さんです。


当時の中満さんは国連改革チームに所属しており、スウェーデンの国連代表部にいた旦那さんと一緒に仕事をすることがありました。

出会った当初は違う意見の持ち主同士だったため、第一印象は良くなかったそうです。

しかししばらく後に再会し、何度か食事をしたことで、交際が始まったのです。

徐々に価値観が似ていることに気づいた2人。

また中満さんは、女性が働き、家事は夫婦で分担するのが当たり前であるスウェーデンの生活スタイルにも魅力を感じました。

詳しい時期は不明ですが、2人はめでたくゴールインし、共働きの結婚生活を送ります。

旦那さんはスウェーデンのストックホルムに単身生活するなど、仕事でお互い離れることも多かったようです。

それでも「世の中を良くしたい」という思いを抱く夫婦だからこそ、同じ志でいつも心はつながっていたに違いありません。

中満泉の両親、父は官僚

高い英語力を武器に国連で活躍してきた中満さんですが、帰国子女ではありませんでした。

日本で生まれ育ったにもかかわらず、幼少期から海外の情勢に関心が強かったそうです。

父が文部省(現在の文部科学省)の官僚だったため、その影響を受けて政治や社会問題に興味を持ったに違いありません。

官僚の父は転勤が多く、家族もその度に引っ越していました。

父が多忙だった分、おそらく母は専業主婦として子供たちを育てていたのではないでしょうか。

中満さんはしっかり者の長女として、妹と弟の面倒を見ながら、熱心に国際関連のニュースを見ていたそうです。

ニュースで見た平和会談に触発され、いとこを相手に議論を展開したこともありました。

母は議論の様子をカセットテープに録音し、今も大切に保管しているそうですよ。

幼少期から国連職員の片鱗を見せていたことがわかりましたね。

中満泉の娘は2人で4人家族

中満さんは国際社会の平和に貢献するべく邁進しながら、2人の娘さんも育ててきました。

娘さんたちが生まれた年はわかりませんが、すでに長女は大学に進学しています。

中満さんの公式ツイッターの情報によると、2022年5月に卒業予定ということでした。

5月は海外の大学の卒業時期ですから、留学していたことがわかりますね。

両親の背中を追って、大学卒業後は国際関連の仕事に就く予定なのかもしれません。

次女もきっと熱心に勉強しながら国際人を目指しているのでしょう。

中満泉はフェリス女学院高校で国連を目指す


中満さんが通っていた中学校と高校は、横浜にある私立フェリス女学院でした。

カトリック系のお嬢様学校として有名です。

高校生のとき、ある朝の礼拝の時間に、人道支援に尽くしたマザー・テレサのドキュメンタリー映画を視聴しました。

中満さんはのちに、
「私はマザー・テレサのように高潔な人間ではありません。ただ映画を見たことで、世界の役に立つ活動をする生き方を知りました」
と語っています。

ドキュメンタリー映画をきっかけに、自分がすべきことは何なのか考え始めました。

ジャーナリストや教師を目指すのも良いと考えていたそうですが、結果的に国連で社会貢献活動に励むことを目標に掲げます。

フェリス女学院高校を卒業後は早稲田大学法学部に進学。

21歳のときには交換留学生となり、ミシガン州のホープカレッジで勉強に励みます。

大学卒業後はアメリカのジョージタウン大学の大学院へ進学しました。

大学院ではある科目で、しっかり勉強したにもかかわらず、合格最低ラインのC評価を取ってしまいます。

理由を教授に聞いたところ、
「発言しなかったからだ。発言しない人間は、参加していない人間と同じ」
と言われたそうです。

教授の言葉に、自分の消極的な態度を省みた結果、積極的に発言をするようになります。

こうして培われた発言力は、自分の意見が求められる国連の仕事でも活用できているそうですよ。

1989年に大学院を修了すると、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)へ入所しました。


以来、クルド難民危機の対応や平和維持活動(PKO)の政策立案などに取り組み、国連のトップとして活躍しています。

フェリス女学院の教育理念は「For Others(他者のために)」。

フェリス女学院高校での経験を原点として、他者の役に立つ仕事に邁進してきた、見事な生き方ですね。

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