中村哲の生い立ちと若い頃。ゆかりの大牟田、祖父は小説のモデル。出身大学は?

アフガニスタンの人々に寄り添い、人道・復興支援に尽くす姿が日本のメディアでもたびたび報じられてきた医師の中村哲(なかむら てつ)さん。

突然の訃報を聞いてから、その功績や人となりを初めて知り、偉大さを実感した人もいたのではないでしょうか。

この記事では、国際貢献に生涯をかけた中村さんの原点である生い立ちや若い頃に注目します。

自宅があった福岡県の大牟田や、小説や映画のモデルになった祖父、また母校の九州大学についてまとめました。

中村哲の原点は生い立ちにあった

2019年12月4日、アフガニスタンで武装勢力の銃撃を受け、志半ばでこの世を去った中村哲さん。

現地では「カカ・ムラト(ナカムラのおじさん)」と呼ばれていました。

信条は「誰も行きたがらない場所へ行け、誰もやりたがらないことを為せ」。


しかし、それにはリスクが伴います。

ある取材で、「まぐれで生きてこられたようなものです」と語ったこともありました。

危険な異郷で自ら重機を操り、乾いた大地に用水路を作る医師。

そんな中村さんの原点は、幼少時代を送った北九州市の若松にありました。

祖父の玉井金五郎は港湾労働者を組織する玉井組の組長。

哲少年は、労働者や流れ者の男たちが行き交う環境で育ちます。

金五郎亡きあと一家を束ねた祖母・マンは、汗まみれで働く労働者に一目置いていたようで、「職業に貴賤はない」「率先して弱い者を助けよ」「どんな命だって尊い」といった、人として大切なことを哲少年に教えました。

折に触れて祖母が説いた言葉が、自分の倫理観の基盤になっていると中村さんは著書に記しています。

6歳になると古賀市に転居したため、若松で過ごしたのはほんの数年間。

それでも祖母の言葉と若松の労働者の姿が幼い中村さんに大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。

中村哲は若い頃に受洗してクリスチャンに

中村哲さんはパキスタンやアフガニスタンの人々の信仰を尊重して支援活動を続けましたが、自身はクリスチャンでした。

福岡市の西南学院中学校で出会ったキリスト教も、中村さんの精神を形づくったもののひとつでしょう。

牧師の藤井健児さんの自宅を訪れては、何時間も政治や文化について語り合っていたそうです。

やがて中村さんは、目が不自由なのにがんばっている藤井先生のように、僕も世の中の役に立ちたいと思うように。

藤井さんの名前から一字をもらい、長男を「健」と名づけました。

医師免許取得後は国内の病院に勤務。

そして、同じ病院に勤務していた看護師の尚子さんと結婚。

その後、日本キリスト教海外医療協力会からの打診を受けてパキスタンのペシャワールへ。

妻と幼い子供を連れての赴任でしたが、のちに家族は帰国します。


やがてアフガン難民の苦境を目の当たりにすると、今度は両国で医療活動を展開するようになりました。

しかしハンセン病の治療に取り組むうちに、病気の背景に深刻な水不足があることに気づきます。

水がなければ農作物は実らず、食糧不足と慢性的な栄養失調は増えるばかり。

そのうえ汚い水を飲んでいるのですから、感染症が根絶できるわけがありません。

中村さんは、清潔な飲料水の確保と農地の整備が急務と考え、一から土木を学んで、井戸や用水路を掘りはじめたのです。

宿舎では、現地のスタッフや日本人有志との共同生活。

部屋の本棚には、キリスト教思想家・内村鑑三の『後世への最大遺物』があったといいます。

あとに続く人たちに残せる最大の遺産は「勇ましい生涯」だと内村鑑三は述べています。

「誰も行きたがらないところへ行け」という信条は、同著の一節でもありました。

中村哲とゆかりの深い大牟田(おおむた)

中村哲さんは帰国するたびに、福岡県大牟田市にある自宅で家族と過ごしていました。

同市は日本での生活拠点であり、労災病院での勤務経験もあり、2023年現在も家族が住む、ゆかりの深い地です。

銃撃事件からおよそ1か月後の2020年1月には大牟田市民栄誉賞が授与され、市役所に招かれた尚子さんに表彰状が贈られました。

自宅では机に向かっているか、庭いじりをしているかのどちらかで、穏やかな人だった、と尚子さん。

中村さんを誇らしく思う大牟田市民は多いことでしょう。

市内では、折に触れて追悼行事も開かれています。

活動を紹介する記録映像の上映や、写真・新聞記事の展示など、中村さんの思いや業績を知ることができる絶好の機会ですね。

祖父・玉井金五郎は『花と龍』のモデル

港湾荷役業を営む玉井組組長・玉井金五郎は母方の祖父でした。

親分肌な人物で、妻のマンとともに気性の荒い男たちを束ねていたそうです。

作家・火野葦平(ひのあしへい)は金五郎の長男で、父をモデルに大河小説『花と龍』を書きあげました。


火野葦平の妹の息子が中村哲さんです。

幼い頃、玉井家の実家で執筆にいそしんでいた和服姿の伯父をよく覚えているそうです。

『花と龍』は映像化され、萬屋錦之介さん、高倉健さんらが金五郎を演じました。

中村さんと金五郎は風貌が似ていただけでなく、弱い者を助けるために率先して動いたり、正義が勝つと信じて信念を貫いたりする姿もそっくりでした。

金五郎の正義感や使命感は、確実に孫にも受け継がれたようですね。

宿舎の部屋の机の上には書類やパソコン、灰皿のほか、金五郎の写真も飾ってあったそうです。

中村哲の出身大学は九州大学

中村哲さんは脳神経内科を専門とする医師です。

一浪の末に九州大学医学部に入学し、1973年に卒業しています。

九州大学の第23代学長で内科医の久保千春さんは同級でした。

また以前からスーダンで国際支援活動に携わり、東北大震災時には現地入りしてボランティア活動にも従事した川原尚行さんは後輩にあたります。

母校の九州大学では、高等研究院の特別主幹教授も務めていた中村さん。


中央図書館内に開設された「中村哲医師メモリアルアーカイブ」や「中村哲記念講座」開講の発表など、その志を継承するためのプロジェクトも展開されています。

銃撃という許しがたい形で命を奪われた中村哲さん。

病気や戦火、干ばつに苦しむ人々に最後まで寄りそった努力と献身は、まさに日本の良心にほかならないでしょう。

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