渡辺和子に結婚歴なし。父は渡辺錠太郎、母と4人兄弟。真面目な性格と生い立ち

売上200万部を超えるベストセラーとなった書籍『置かれた場所で咲きなさい』の作者・渡辺和子(わたなべ かずこ)さん。

18歳で洗礼を受け、29歳でシスターとなり、亡くなるまでキリスト教の教えに従って生き続けました。

今回は渡辺さんについて、結婚相手、父で軍人の渡辺錠太郎、母、兄弟の情報を確認していきます。

またどのような性格の女性だったのか見ていき、生い立ちをまとめます。

渡辺和子のプロフィール

洗礼名:シスター・セント・ジョン

本名:渡辺和子

生年月日:1927年2月11日

死没:2016年12月30日

身長:不明

出身地:北海道旭川市、東京都

最終学歴:上智大学大学院西洋文化研究科修士課程

渡辺和子に結婚歴はなし

シスターは神様と結婚するつもりで、独身を貫く必要があります。

渡辺さんはシスターとして生涯を送りましたから、当然結婚していません。

シスターとなる前に結婚歴があったわけでもないため、生涯独身でした。


強いて結婚相手を挙げるなら「イエス・キリスト」ということになりますね。

では、なぜ結婚する自由が認められないシスターの道を選んだのでしょうか。

かつて渡辺さんは名門・雙葉高等女学校(現在は雙葉中学校・高等学校)に通っていた頃、常に成績トップを目指して勉強していました。

「1位の成績をキープしなければならない」という気持ちを抱いていたため、必死に努力していたのです。

わき目もふらず猛勉強していたためか、あるとき同級生から「鬼のようだ」と言われて、大きなショックを受けました。

同級生の言葉がきっかけとなり、「優しい性格になりたい」と考えます。

雙葉高等女学校はキリスト教系の学校で、シスターが常駐していたため、渡辺さんは性格を変えるにはどうすべきか相談。

シスターと話をして、「生まれ変わろう」と考えた結果、18歳で洗礼を受けたのです。

渡辺和子の父は渡辺錠太郎

まだ洗礼を受けていなかった幼少期、渡辺さんは「いつか父のような人と結婚したい」と考えていました。

父は陸軍大将の渡辺錠太郎。

渡辺さんを遊びに連れて行ってくれたり、書道のお手本を書いてくれたりする、非常に優しい父親だったそうです。

しかし錠太郎は1936年、青年将校や兵士が政府の要人を襲撃した二・二六事件で暗殺されました。

当時9歳だった渡辺さんは、父が殺害されるところを、1メートルほど離れたところから目撃しています。

朝6時前、兵士たちが自宅に押し掛けて来て、射撃の名手だった錠太郎と銃撃戦をくり広げました。

父のことが大好きだった渡辺さんは、錠太郎の元へ駆けつけます。

錠太郎は渡辺さんに、座卓の後ろへ隠れるよう合図をしました。

その後、渡辺さんはふすまの中に入り、そこから父が将校たちに射殺されるのを見届けるのです。

将校たちが去った後、渡辺さんは父を呼びましたが、錠太郎は血の海の中で絶命していました。

渡辺和子の厳しい母

渡辺さんは父の死後、母から厳しく育てられることになります。

必死に勉強したのは、母から常に「1番になりなさい」「テストで100点を取りなさい」と言われて育ったためです。

頑張ってテストで90点を取っても、100点でなければ叱られるため、家出をしようと考えたこともありました。

母自身は学歴が低かったことで苦労したようでした。

そのため子供にはエリートになってもらうべく、厳しく育てていたのでしょう。

渡辺さんが洗礼を受けたがると、母は猛反対しました。

娘が「異国の宗教」の信者になることが許せなかったようです。

しかし渡辺さんは厳しい母に反抗心を抱いていたため、反対されるほど洗礼を受けたがりました。

結果的に18歳で洗礼を受け、聖心女子大学と上智大学大学院で学んだ後、29歳でシスターとなります。

31歳のとき、アメリカのボストンにある修道院へ派遣されました。

ボストンカレッジ大学院で教育学の博士号を取ると帰国。


ノートルダム清心女子大学の教授となった後、36歳の若さで同大学の学長となりました。

キリスト教を快く思っていなかった母も、最終的には娘の活躍を喜んでくれたそうですよ。

渡辺和子は4人兄弟

渡辺さんは4人兄弟の末っ子として育ちました。

22歳年上の姉の下に、兄が2人いたそうです。

兄弟は一般人のため詳細は不明ですが、優秀な家系ですから、いずれも各分野のエリートとして活躍したのかもしれません。

渡辺和子は生真面目な性格

渡辺さんは穏やかな雰囲気のシスターでしたが、元々は厳しい性格の人だったとされています。

かなりの努力家で、同級生から「鬼」と呼ばれるほど、一時期は凄まじい形相で猛勉強していたようです。

しかし厳しい性格を変えるために努力を続けます。

特に父を殺害した人間のことを、葛藤を抱えながらも、必死に許そうとしてきました。

二・二六事件で最愛の父を殺した軍人たちを恨んでいるか質問されたときは、
「いいえ。あの方たちなりの大義があったのですから、恨んでいません」
と回答しています。

しかしあるテレビ番組の収録で、父を殺害した兵士と再会したとき、ショックでその場にあったコーヒーを飲めなかったそうです。

軍人たちを「恨んでいない」と答えたものの、「本当は許していないかも」という自分の気持ちに気づいてしまいました。

渡辺さんはシスターとして、文字通り「親の仇」を許すための努力を続けた、生真面目な性格の人だったのです。

渡辺和子の生い立ち

渡辺さんは北海道旭川市で生まれた後、父である錠太郎の転勤により、台湾や東京を転々としました。

錠太郎は中年になってから恵まれた娘である渡辺さんを非常にかわいがり、自分の膝の上で論語を音読させていたそうです。


この習慣により渡辺さんは成蹊小学校1年のとき、論語を完璧に音読して金賞をもらいました。

渡辺さんが常に努力を続けていたのは、「父に恥じない生き方をしたい」という思いを抱いていたためかもしれませんね。

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