水木しげる、左腕を麻酔なしで切断。戦争エピソードと階級。若い頃の壮絶体験

『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』で知られる漫画家の水木しげる(みずき しげる)さん。

生前、漫画やエッセイに、自身の戦争体験をつづっていました。

今回は、左腕を麻酔なしで切断した話をはじめ、水木さんが書き残した有名な戦争エピソードを紹介します。

また軍の階級をわかりやすく説明した漫画も紹介し、若い頃の壮絶体験をまとめます。

水木しげるのプロフィール

本名:武良茂(むら しげる)

生年月日:1922年3月8日

死没:2015年11月30日

身長:168cm

出身地:大阪府大阪市住吉区、鳥取県境港市入船町

最終学歴:高等小学校(精華美術学院中退)

水木しげるは左腕を麻酔なしで切断

水木さんは太平洋戦争中、ニューギニアに派遣され、敵からの攻撃に遭いました。

この攻撃によって左腕に大怪我を負ってしまいます。

就寝中、敵機に描かれた大きな翼のマークが見えたため、穴の中へ避難しようとしたそうです。

しかし身体を思うように動かせないでいたところへ、爆弾が落とされました。


水木さんは爆風を感じると同時に、左手に衝撃を感じます。

左腕に直接攻撃を受けて、大怪我を負ったことは明らかでした。

「やられた」と思っている間にも、痛みは急速に広がり、言葉を発せなくなりました。

このときバケツ一杯ほどの分量の血を流したそうです。

翌日、軍医がナイフで水木さんの左腕を切断。

麻酔を打たずに切断したそうですから、痛みを想像するだけで気が滅入ってしまいますね。

ただ水木さん自身は左腕を切り落とされたとき、意識が朦朧としていたため、痛みを感じなかったそうです。

想像を絶する痛みを感じずに済んだことは、せめてもの救いだったのかもしれません。

水木さんのように、戦争で手足を失った人は数多くいます。

彼らは傷痍軍人と呼ばれ、復員後は大半が定職に就けず、駅前で物乞いをしながら過ごす人もいました。

身体にハンディキャップを負っている人が、安定した仕事に就けないのは、現代でも同じですね。

その点、水木さんは左腕がないことによる困難を乗り越え、国民的な漫画家として大成できました。

おそらく「自分はまだ恵まれている」という意識を、頭の片隅に抱いていたのではないでしょうか。

水木さんは二度と傷痍軍人となる人々が生まれないよう、戦争のむごさを伝え続けていたに違いありません。

水木しげるの戦争エピソード

太平洋戦争の激戦地だったラバウル。

水木さんは1944年5月頃、ラバウルの最前線であるバイエンに派遣されました。

13人で構成された部隊に所属していたものの、生還したのは水木さんだけ。

5月下旬の早朝、オーストラリア軍の指揮を受けた現地人部隊に襲撃され、彼以外の隊員は全滅してしまいました。

水木さんは兵舎から約50メートル離れた海岸線で、見張りを担当していたそうです。

美しい海を眺めて「平和だなあ」と考えていたところ、山側から機関銃の音が聞こえてきました。

夜の間に兵舎が包囲されてしまっていたのです。

水木さんは銃弾が耳元をかすめていく中、身を伏せて小銃で反撃します。


しかし分隊長と仲間たちは起床直前で、兵舎で眠っていたところを襲われたため、全員が亡くなってしまったのです。

水木さんは仲間が兵舎から出て来て、地面に倒れ込む姿を目撃しました。

ふと気がついたときには海岸線を走り、必死に逃げていたそうです。

その後は海を泳ぎ、ジャングルを抜けて、飲まず食わずのまま5日後に陣地へ辿り着きました。

しかし上官からは「なぜ死なずに逃げた」と詰問されたのです。

部隊が全滅することを「玉砕」として美化していた当時、生き残ることは「恥」でした。

労いの言葉も掛けられなかった水木さん。

人間の命を軽んじる戦争に対して、大きな憤りを感じたに違いありません。

水木しげるが軍の階級をわかりやすく説明

戦争は嫌なものですが、たとえば戦争を題材にしたアニメや小説などの内容を理解するには、ある程度知識を付けたいですよね。

その際に参考となるのが、水木さんが漫画『コミック昭和史』で、軍の階級をわかりやすく説明していた箇所です。

自身が描いたキャラクター「ねずみ男」が、一般兵の目線で「軍曹」「兵長」「大佐」などの階級について解説。

一般兵士にとって「兵長」は「カミサマ」のような存在だというコメントを付けるなど、階級をイメージしやすい表となっています。

ちなみに水木さんは、もっとも下の「二等兵」から、最終的に「上等兵」まで昇進していたそうです。


戦争の実態について知りたい人、戦争もののフィクション作品への理解を深めたい人におすすめの解説ですよ。

水木しげるの若い頃の壮絶体験まとめ

勝てないことに気づいていながら戦い続け、「部下の死を美化したい」という上官の思いに従って玉砕を強要された水木さん。

自分以外の仲間と左腕を失い、残ったものは、暗く不愉快な戦争の記憶だけでした。

補給路も確保せず、むやみに戦線を広げ、兵士を犠牲にした日本軍のやり方は狂気に満ちていました。

水木さんは戦記ものを描くだけで、戦争体験を思い起こし、強い怒りを感じていたそうです。

戦争は戦記映画や大河ドラマ、ファンタジーもののアニメ、ゲームなどで描かれるような、ロマンに満ちたものではありません。

人の尊厳は踏みにじられ、命は軽んじられる、虚しい戦いでしかないのです。

その虚しさを書き残し、語り継いでくれた水木さんの遺志を、私たち1人ひとりが継いでいくことが重要ですね。


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漫画家
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