水木しげるの妻・布枝の身長と性格。夫妻の娘と孫、長寿の水木三兄弟

闇に潜む「人間ではないもの」に光を当て、妖怪漫画という新たなジャンルを切り拓いた水木しげる(みずき しげる)さん。

言わずと知れた日本漫画界のレジェンドですが、妻もまた「ゲゲゲの女房」として有名な武良布枝(むら ぬのえ)さんです。

テレビ番組などで見る布枝さんはかなり背が高い印象を受けますが、実際の身長はどれくらいあるのでしょう。

あわせて夫妻の娘や孫、さらに水木さんの兄弟についてお送りします。

水木しげるのプロフィール

本名:武良茂(むら しげる)

生年月日:1922年3月8日

死没:2015年11月30日

身長:168cm

出身地:大阪府大阪市住吉区、鳥取県境港市入船町

最終学歴:高等小学校(精華美術学院中退)

水木しげるの妻は「ゲゲゲの女房」こと武良布枝

コロナ禍のなか、水木プロダクションがツイッターにて公開したアマビエの原画が大きな反響を呼んだ水木しげるさん。

神々しさと愛らしさを併せ持つアマビエの姿に、コロナ終息の御利益を期待する声が続出したのはいうまでもありません。

さすがは妖怪漫画の大家という感じの画力ですが、そんな水木さんにも下積み時代がありました。

赤貧時代から苦楽をともにした妻が武良布枝さんです。

2010年には自伝『ゲゲゲの女房』が連続テレビ小説でドラマ化され、その良妻賢母ぶりが共感を呼んだのも記憶に新しいところです。

布枝さんは1932年1月6日、島根県能義郡大塚村の商家の三女として誕生。

安来高等女学校卒業後は、姉たちが嫁いでいくなか家に残り、祖母の手伝いをしていました。

しかし、やがて祖母も他界して家業も人手が足りるように。


よい縁談を待ちわびていたところに舞い込んできたのが水木しげるさんとのお見合い話でした。

一方の水木さんは、まもなく40歳になる息子を心配する両親のすすめもあって、これが結婚できる最初で最後のチャンスとお見合いを決意。

水木さんは太平洋戦争でラバウルに出征し、米軍の空襲で左腕を失っていました。

加えて、当時は貸本漫画家として必死に働くも極貧の生活。

つい見栄をはって「会社員の倍の収入がある」と言ってしまったそうです。

二人はお見合いの5日後に結婚式を挙げて晴れて夫婦に。

布枝さんは、聞かされた話とかけ離れた生活に驚いたそうですが、懸命に仕事に打ち込む夫の姿を見ているうちに尊敬の念を抱くようになったといいます。

夫が売れっ子漫画家になると、今度は依頼が殺到して多忙をきわめ、家族と過ごす時間すらなくなりました。

貧乏時代より、このほうがつらかったと布枝さんは振り返っています。

妻・布枝の身長は?

布枝さんは自著『ゲゲゲの女房』のなかで、身長は165センチメートルと記しています。

身長が急に伸びたのは女学校時代で、学年でいちばん背が高かったのが布枝さんでした。

当時は引っ込み思案な性格だったそうですが、それは多分、女性で高身長というコンプレックスがあったせいだろうと述べています。

昭和一桁生まれということを考えると、女性で165センチメートルというのは飛びぬけて大柄ですね。

それゆえに、結婚に対しても臆病なところがあったのかもしれません。

ちなみに水木しげるさんの身長は168センチメートルなのだそう。

自分より背の高い男性だったことも、結婚の決め手のひとつになったのではないでしょうか。

水木しげるの二人の娘たち

水木しげる&布枝夫妻には尚子さんと悦子さんという二人の娘がいます。

長女の尚子さんは1962年12月24日生まれ。

小学校の教員を務めたのちに水木プロダクションの社長に就任しました。

次女の悦子さんは1966年12月24日生まれ。

誕生日が同じ日というめずらしい姉妹です。

悦子さんは短大卒業後に水木プロダクションに入社し、父の海外取材旅行にもしばしば同行するなど、公私ともにサポートしてきました。

当初は本名の「武良悦子」を名乗っていましたが、水木プロの活動やエッセイの執筆に合わせて「水木悦子」と名義を変えて活動しています。

著書に『お父ちゃんのゲゲゲな毎日』『ゲゲゲの娘日記』などがあります。

子供の頃から父に繰り返し言われたことは、自分の幸せは自分にしかわからないということと、その幸せは生きていれば必ずわかるということ。

たとえ今がつらくても、これを乗り越えればいいことが待っていると思えるようになったのは、そんな父の姿を見てきたおかげだと語っています。

水木しげるの孫は男児

長女の尚子さんのフルネームは原口尚子さんといい、結婚して男児を出産しています。

尚子さんのツイッターに「息子」として登場する方ですね。


水木しげるさんは2008年の『女性自身』のインタビューで「100歳まで生きなくちゃならん」と語っていたといいます。

その理由は、孫にあたる尚子さんの息子が成人式を迎えるのが、ちょうど100歳のときだから。

水木さんは1922年生まれですから、100歳を迎えるのが2022年。

孫は2002年に誕生したと考えてよさそうですね。

のちに『女性自身』は、孫は一人であることも報じています。

孫の名前など詳しいことは不明ですが、彼は顔立ちが祖父によく似ていることから、水木しげるさんも喜んでいたそうです。

水木しげるの兄弟・宗平と幸夫

水木しげるさんには2歳年上の兄・武良宗平さんと、2歳年下の弟・武良幸夫さんがいました。

水木しげる著『ゲゲゲの老境三昧 水木3兄弟、合わせて270歳』には、座談会を中心に老境を楽しむ兄弟のようすが描かれています。

宗平さんはBC級戦犯として収容された過去があり、2017年に97歳で死去。

水木しげるさんが亡くなってからは、すっかり元気をなくしていたといいます。

幼少期を過ごした鳥取県境港市にある水木プロ中国支部を担当していたのは、宗平さんの娘夫婦です。

幸夫さんは水木プロの立ち上げから、ゼネラルマネジャーとして兄の活躍を支え、2021年に96歳で大往生。

兄弟そろって長寿という驚くべき三兄弟。

とても仲がよかったそうですから、天国での再会も喜んだことでしょう。

90歳を超えてなお漫画の新連載をはじめるなど、生涯現役を貫いた水木しげるさん。


おそらく頭の中にはまだまだアイデアや構想があふれていたのではないかと思います。

それらが作品になる前に時間が尽きてしまったのはとても残念ですね。

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