水木しげるは調布で生活。深大寺の鬼太郎茶屋、自宅と生家。島根ではなく鳥取境港が故郷

大ヒット漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の作者として名を残した水木しげる(みずき しげる)さん。

水木さんの故郷として有名なのが鳥取県境港市ですが、東京都調布市にもゆかりがありました。

今回は、漫画家デビューを果たしてから亡くなるまで暮らしていた調布の深大寺にある、人気の関連スポットを紹介します。

また自宅と生家を見ていきつつ、島根県とも関係があるという情報を確認し、幼少期を過ごした境港市の関連スポットを見ていきます。

水木しげるのプロフィール

本名:武良茂(むら しげる)

生年月日:1922年3月8日

死没:2015年11月30日

身長:168cm

出身地:大阪府大阪市住吉区、鳥取県境港市入船町

最終学歴:高等小学校(精華美術学院中退)

水木しげるの第2の故郷・調布/深大寺

東京都調布市は水木さんにとって第2の故郷でした。

調布市に暮らし始めたのは、漫画家デビューしたばかりの1959年のことです。

2015年に亡くなるまで56年もの間、調布市で暮らし続けました。

都心に近く、自然豊かで暮らしやすい街のため、非常に気に入っていたに違いありませんね。


名誉市民にも選ばれ、市が発行する広報誌の表紙絵を描いたこともありました。

調布市には有名なパワースポットである深大寺があります。

奈良時代から続く古刹である深大寺は緑濃い森の中にあり、自然に触れるために都心から訪れる人も多い場所です。

重要文化財「釈迦如来像」は飛鳥時代後期に造られた貴重な仏像で、参拝客は後を絶ちません。

『ゲゲゲの鬼太郎』をテーマにした「鬼太郎茶屋」は、趣ある木造建築のお店で、訪れる人を楽しませています。

鬼太郎茶屋

鬼太郎をはじめ妖怪たちが出迎えてくれるため、水木作品のファンは思わず興奮するはずです。

1階はカフェとお土産ショップ、2階は自然を見渡せるすてきなテラスや水木さんの妖怪画を楽しめるギャラリーもあります。

カフェのメニューも妖怪にちなんだ楽しいものばかり。

「一反もめんの茶屋サンデー」や「ぬり壁のみそおでん」などは、視覚的にも味覚的にも満足できますね。

またかわいらしい妖怪たちが描かれた本格的なラテアートも楽しめますよ。


水木作品を知らない人もメニューを一目見れば、どれを頼もうか楽しみながら悩むことでしょう。

「鬼太郎茶屋」はバスを降りて山門の方へ向かえばすぐ目に入るため、気軽に入店してみてはいかがでしょうか。

筆者は、ぬり壁のみそおでんと、目玉おやじのクリームぜんざいをいただきました。

ぬり壁のみそおでん

目玉おやじのクリームぜんざい

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』公開直後の日曜日とあって混雑していましたが、”10分以上並んだ甲斐があった”と感じられる美味しさでした。

特にぬり壁のみそおでんは、弾力たっぷりのこんにゃくに甘いみそが絶妙に調和していて、クセになりそうです。

店内の壁には水木さんの写真と名言が書かれた紙が飾られています。

さらにクッションやテーブル上の小物、店員さんの制服を見ていると、水木ワールドに入り込んだように思えて、時間を忘れて楽しめますよ。

鬼太郎茶屋

水木さんは生前、自然の少ない都心は「妖怪の数が少ない」と語っていました。

葉っぱが擦れる音や夜には薄暗くなる畑など、自然の中に妖怪が暮らしていると考えていたのです。

深大寺をはじめ自然豊かな場所が多い調布市で、水木さんは妖怪の気配を感じながら過ごしていたのかもしれませんね。

水木しげるの自宅は調布市

1959年から2015年まで水木さんが暮らしていた調布市の自宅は、事務所から歩いて約30分の場所にあります。

調布市の人の中には、散歩中の姿を目撃した人もいるそうです。

水木さんはよく空を見つめて考えにふけっており、人と目が合うとにっこり微笑んでいたといいます。

水木さんのお墓があるのは、自宅からほど近い浄土真宗本願寺派「覺證寺(かくしょうじ)」です。

鬼太郎とねずみ男が墓守のように佇んでいるかわいらしいお墓で、今も多くのファンがお花を供え続けています。

もしかすると水木さんは魂となって、妖怪たちとともに今も調布市で暮らし続けているのかもしれません。

水木しげるの生家は島根ではなく鳥取の境港

水木さんの生家は鳥取県境港市にあります。

場所は「水木しげる記念館」から約1キロほど境水道沿いに進んだところです。

車であればJR境港駅から8分、米子空港から10分で到着します。

水木さんは廻船問屋の次男として生まれ、1943年までこの家で暮らしました。

ちなみにインターネット上では水木さんと「島根県」の関係を調べる人が多いようです。

しかし島根県とは直接的な関係はありません。

生家がある鳥取県と、島根県の文字の形がよく似ているため、間違えてしまった人が多いのではないでしょうか。

場所も隣り合っている県のため、地元の人以外は「紛らわしい」と感じることでしょう。

ちなみに生家の目の前に広がる境水道からは、対岸の島根半島まで眺めることができます。


そのため幼少期の水木さんにとって、確かに島根は馴染み深い場所だったのかもしれません。

人生で一度は、水木少年が眺めた美しい風景を眺めて、妖怪漫画の巨匠の生涯に思いを馳せてみたいものですね。

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