2010年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の原作となった自伝の作者・武良布枝(むら ぬのえ)さん。
国民的漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である故・水木しげるさんの妻として有名です。
ドラマ『ゲゲゲの女房』では、布枝さんをモデルとするヒロインが、高身長であることをからかわれるシーンがありました。
今回は、布枝さんの実際の身長を確認しつつ、若い頃から現在までの経歴を見ていきます。
さらに弟さんが溺死したという情報、生家の詳細に迫ります。
武良布枝のプロフィール
【百年ニュース】1922(大正11)年3月8日(水) 漫画家の水木しげるが大阪市住吉区で誕生。鳥取県境港市で育つ。本名は武良茂。1943(昭和18)陸軍に召集,ニューギニア戦線に出征し復員。1958(昭和33)デビュー。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』。2010(平成22)NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』。2015没,享年93。 pic.twitter.com/TnbPZjdLwS
— 吉塚康一💙💛/毎日が100周年/百年ニュース (@KoichiYoshizuka) March 7, 2022
本名:武良布枝
生年月日:1932年1月6日
身長:165cm
出身地:島根県能義郡大塚村(現在の安来市大塚町)
最終学歴:安来高等女学校(現在の島根県立安来高等学校)
武良布枝の身長は165cm
布枝さんは女学校へ上がった頃、学年で1番背が高かったそうです。
ドラマ『ゲゲゲの女房』でも、ヒロインが「電信柱」というあだ名を付けられて、高身長をからかわれるシーンがありましたね。
ドラマでは布枝さんがモデルであるヒロイン「布美枝」を、松下奈緒さんが演じていました。
身長174cmの高身長が、ヒロイン役を射止める決め手になったに違いありません。
ところで、実際の布枝さんも174cmだったのでしょうか。
当時の女性は身長150cm台が一般的だったため、170cm台だったとすれば外国人に近い体格で、かなり目立ったはずです。
確認したところ、布枝さんの実際の身長は165cmでした。
さすがに170cmには届いていませんが、現代の女性の平均身長は158cmのため、今の感覚でも高身長ということになりますね。
水木さんは身長168cmだったため、釣り合いが取れている点が結婚の決め手だったようですよ。
武良布枝の若い頃は引っ込み思案
布枝さんは幼少期から引っ込み思案な性格で、まったく目立たない子供でした。
内気だからこそ積極的に婚活するタイプではなく、当時としては遅めの29歳で結婚しました。
しかし結婚後は漫画家の夢を追う水木さんとともに、貧しい生活を送ることになります。
長女が生まれると布枝さんは自分の着物を売るため、質屋へ通っていたそうです。
次女が生まれたときには、水木さんは漫画家として知名度を獲得していました。
生活は楽になったものの、今度は夫が忙しすぎるあまり、家族でゆっくり交流する暇がなくなってしまいました。
それでも布枝さんは、一心に漫画家の道を突き進む夫を心から尊敬していたそうです。
2015年に水木さんが亡くなるまで、サポートをし続けました。
武良布枝は現在も健在
水木さんが亡くなってから5年が経った2020年、布枝さんは亡くなった夫への思いを語っていました。
「一心不乱」に自分の選んだ道を開拓し続けた夫について、「一生懸命」に頑張っていたとコメント。
死別してからも、我が道を進んだ夫を尊敬し続けている様子ですね。
2022年には水木さんの生誕100年を記念し、故郷の鳥取県境港市で「水木しげる生誕祭」が開催されました。
「水木しげる記念館」の前庭で行われたセレモニーには、90歳の布枝さんも出席。
詰めかけたファンたちに向けて「感無量です。盛り上げていただき、夫も喜んでいると思います」と言葉をかけました。
水木しげるさん生誕100年祭 妻の武良布枝さん「感無量」https://t.co/0qW4Rj1LLm
布枝さんは「しょっちゅう金欠で、赤貧時代も明るかった。今思い出してもあの頃はなつかしい」と振り返りました。
— 毎日新聞 (@mainichi) March 7, 2022
布枝さんにはまだまだ長生きして、ファンたちとの交流を楽しんで欲しいですね。
武良布枝の弟は溺死
布枝さんは姉2人、兄、弟、妹がいる6人兄弟の4番目として育ちました。
その中の弟さんは、残念ながら38歳の若さでこの世を去っています。
父が経営する酒屋を手伝う真面目な弟さんだったそうで、その後は婿養子として結婚。
しかし海で釣りをしていたときに溺れて亡くなったそうです。
弟さんの悲劇的な死のエピソードは『ゲゲゲの女房』の原作本には書かれていないものの、ドラマ内では描かれていました。
ドラマでは遺体の腐食を防ぐため、通夜より先に火葬をする描写がありました。
原作にはないエピソードとはいえ、非常にリアルな描写ですから、火葬を急いだのはおそらく事実でしょう。
あまりにつらい思い出のため、布枝さんは『ゲゲゲの女房』に弟さんの死を描かなかったのかもしれません。
武良布枝の生家は観光地に
布枝さんは1932年に、島根県安来市にある大塚で生まれました。
祖母、父、母に6人兄弟という9人家族の中で育ちます。
安来地方には妖怪伝説が残っており、布枝さんは祖母が土地の民話や怪談を語ってくれるのを楽しんでいたそうです。
父親は村の議員を務めたのち、反物をはじめとする生活必需品を売って生計を立てていました。
戦後には父親が酒屋「飯塚酒店」の営業を開始。
店は繁盛し、布枝さんは女学校を卒業後、結婚するまで家業を手伝っていました。
2023年現在も島根県安来市大塚町には「飯塚酒店」が現存しており、観光地となっています。
最後は武良布枝さんの生家・飯塚家を見てお終い。 pic.twitter.com/LCovfWGSEO
— 筑後守@山陰の戦国史跡を歩く(発売中) (@tikugokanri) November 29, 2021
布枝さんと水木さんのお見合い写真や結婚写真など、展示されている貴重な資料を見ることができますよ。
『ゲゲゲの鬼太郎』ファンは、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
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