代表作『大統領のクリスマスツリー』で知られる小説家・鷺沢萠(さぎさわ めぐむ)さん。
2004年に突然、35歳の若さで亡くなってからも、ファンは増え続けています。
酒とたばこを愛した豪快な女性でしたが、うつ病を患い、人知れず苦しんでいたそうです。
今回は鷺沢さんがなぜ亡くなったのか、当初報道された死因とともに確認します。
また病気、生い立ち、姉、夫だった利重剛さんについて詳細を見ていきます。
鷺沢萠のプロフィール
本名:松尾めぐみ
生年月日:1968年6月20日
死没:2004年4月11日
身長:159cm
出身地:東京都世田谷区生まれ、大田区田園調布育ち
最終学歴:上智大学外国語学部ロシア語学科除籍、延世大学校留学
鷺沢萠はなぜ自殺?死因は心不全と報道
2004年4月11日、鷺沢さんは自宅で亡くなりました。
遺体が発見されたときの状況から自殺・縊死であると推定されました。
わたしの大好きだった作家さん
鷺沢萠さん愛する犬「コマ」を残して
ドアノブで逝ってしまったこの人の気持ち今なら少し
わかる気がする#鷺沢萠 pic.twitter.com/6FUfJxzKCS— よし༓٩(❛ᴗ❛ ๑)༊༅͙̥̇३३३*˚ (@sarang_yeongwon) October 20, 2020
ただ、当初は心不全と報道されていたため、すぐには事実確認ができなかったのではないでしょうか。
親族は密葬を行った後、ごく親しい人たちだけに連絡して、ひっそりと通夜を営みました。
心不全との報道に納得した人は多かったかもしれません。
大酒のみでたばこも大好き。売れっ子小説家で原稿依頼が絶えず、演劇活動にも取り組んで、6月には劇団の公演を控える多忙な日々を送っていました。
ストレスと疲労によって、寿命を縮めてしまったとしても不思議ではありません。
しかしその後、鷺沢さんは自殺をしたと認定されたのです。
鷺沢萠の病気はうつ病
一人暮らしをしていた鷺沢さんは、愛犬を残したまま、首を吊ってしまいました。
遺書はなかったものの、遺体発見当初の状況から、自殺である可能性は極めて高かったそうです。
周囲の人々は、豪快で明るい彼女を慕っていました。
しかし長期間、うつ病で苦しんでいたことを、ごくわずかな人々は知っていたようです。
ブログでは、不眠、お風呂に入ることさえできないほど無気力になっている状況を自虐的につづっていました。
彼女らしいユーモアを交えて、不眠や虚無感といったうつ病特有の症状を公表していたのです。
それでも読者や周囲の人々は、「豪放磊落な鷺沢さんなら病気も乗り越えられる」と思い込んでいたのかもしれません。
間違っても「死にたい」などと口にせず、常に明るい文体で症状についてつづっていたためです。
「うつ病も楽しみながら克服できる人」だと勘違いされたまま、誰にも悩みを相談できなかったのではないでしょうか。
結果的に「死にたい」という衝動を抑えられず、愛犬さえ目に入らなくなり、自ら命を絶った。
あくまでも筆者の推測に過ぎませんが、このような流れで亡くなってしまったのかもしれません。
鷺沢萠の生い立ち、在日韓国人でたばこ好きな高校時代
鷺沢さんはよく、小説家・柳美里さんと比較されることがあります。
2人は在日韓国人で、同じ1968年生まれの小説家という共通点がありました。
柳美里『人生にはやらなくていいことがある』読んで思ったことは、柳美里変わった。こんなに前向きじゃなかった(良かった)。鷺沢萠との関係については少ないけど新鮮。大学行って勉強したいって。なんか凄いな~。でかくなった子息を自転車泥棒と間違えるとこは笑った。
— 愚銀 (@kghgugin) January 24, 2017
鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』の文庫解説は柳美里だった。私は1971年生まれで、少し年上のこのふたりの作家があるときから気になって気になって仕方なく、今でも気にしているのだ。因みに私は6月19日生まれ。太宰治と同じ。
— ブラック・ギロチン (@kubotakashi1313) December 18, 2016
柳さんはいわれなき人種差別を身近に感じながら、恵まれない幼少期を送ったとされています。
対照的に鷺沢さんは、自身のルーツさえ知らずに、世田谷区の裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。
高校時代はたばこを1日20本も吸い、六本木や自由が丘で夜遊びを楽しんでいました。
しかし父の会社が倒産し、家族は一気に困窮してしまいます。
鷺沢さんはスナックでアルバイトに励んで、高校の学費は自分で捻出していたそうです。
アルバイトの傍らトップの成績を維持し、名門・上智大学に現役合格。
そして『川べりの道』で第64回文學界新人賞を受賞し、女子大生小説家として一躍名を馳せたのです。
鷺沢萠の姉は3人、1人は検察官
鷺沢さんは4人姉妹の末っ子でした。
3人の姉は一般人のため詳細は不明ですが、1人は検察官であることが判明しています。
鷺沢さんは北朝鮮出身の祖母について作品につづったことがありました。
しかし祖母が隠そうとした事実まで記してしまった結果、姉から責められてしまったそうです。
「こんなことを言いたくないけれど、おばあちゃんがずっと守り続けてきたものを壊す権利は誰にもないよ」
姉の言葉が胸に刺さった鷺沢さんは、その後、罪悪感を抱き続けることになりました。
鷺沢さんが26歳のとき、祖母は亡くなります。
今わの際に駆け付けた4人の孫娘たちに、祖母は1人1人の手を握って言葉を掛けました。
鷺沢さんの順番が来たとき、祖母は「おばあちゃんのことは、もうよしとくれ」と言ったそうです。
「私のことはもう本に書かないでほしい」というお願いが、最期の言葉となりました。
鷺沢さんは頭を殴られるほどの衝撃を受けたといいます。
このときの罪悪感、祖母の言葉、姉との溝。人には隠し続けたものの、鷺沢さんはこれらの要素に生涯、苦しみ続けたのかもしれません。
鷺沢萠の夫は映画監督・俳優の利重剛
鷺沢さんは22歳のときに結婚し、すぐに離婚しています。
夫は映画監督で俳優の利重剛さんでした。
映画『さよならドビュッシー』の監督やドラマ『半沢直樹』の出演俳優として知られています。
岡本喜八監督の映画『近頃なぜかチャールストン』では主演・共同脚本・助監督を担当したマルチな才能を持つ男性です。
1981年の映画「近頃なぜかチャールストン」鑑賞。主演の利重剛と監督の岡本喜八による共同脚本。集団での反社会生活をコミカルに描いた作品。田中邦衛と岸田森を筆頭に登場仲間みんなどこまでも面白く生活できてて妙にカッコいい。笑いどころは作中数えきれない程で邦画史上でも稀なレベルの傑作喜劇。 pic.twitter.com/NxZszh8C2y
— ryot_m (@ryot_m) April 20, 2021
お芝居が大好きだった鷺沢さんは、多才な映画人として活躍している利重さんと、芸術論などを楽しみながら語り合っていたのでしょう。
それでも夫婦としてはわかり合えず、あっという間に破局したのかもしれません。
自分を心から理解し、支えてくれる人が不在だったことは、鷺沢さんにとって最大の不幸だったのではないでしょうか。
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