野球殿堂入りも果たした伝説の投手である斎藤雅樹(さいとう まさき)さん。
その凄さは今更語るまでもなく皆さんご存知のことでしょう。
今回は彼の全盛期の年俸や、その球種や独特の投球フォームがどのように作られたのかをお伝えいたします。
斎藤雅樹のプロフィール
愛称:平成の大エース
本名:斎藤 雅樹
生年月日:1965年(昭和40年)2月18日
身長:181cm
出身地:埼玉県川口市
最終学歴:川口市立川口高等学校
所属球団:読売ジャイアンツ
斎藤雅樹は凄さは数多くの受賞歴が示している
斎藤さんといえば1990年代の読売ジャイアンツのエースとして桑田真澄さん、槙原寛己さんと共に「三本柱」と呼ばれた名投手です。
沢村栄治賞3回・最多勝利5回・最優秀防御率3回・最多奪三振1回・最高勝率3回・ベストナイン5回・ゴールデングラブ賞4回・最優秀選手1回など挙げればキリがないほど多くのタイトルや表彰を獲得しました。
2016年1月18日、野球殿堂入りも果たし、まさに日本プロ野球会のレジェンドと呼べるでしょう。
巧みな投球術で対戦する打者を翻弄し、中でもスライダーのキレは凄まじくまさに魔球と呼べるものでした。
独特のサイドから投げ込む投球フォームも、上から速いストレートを投げ下ろすという当時のエースのイメージを塗り替えたと言っても過言ではないでしょう。
そのスタミナや安定感もとても高く評価されており、中でも1994年から1996年にかけて3年連続開幕戦完封勝利を達成したことは圧巻でした。
これぞエース! 3年連続の開幕戦完封
近年のプロ野球では完投する投手が減ってきているだけに、先発したら完投するという姿が、いかに凄いものであったかあらためて実感します。
ただ一つだけ残念だったことは、通算180勝とプロ野球界の投手にとって名誉と言われる200勝を達成できなかったことでしょうか。
それでも彼の凄さはまったく色褪せる事なく、皆さんの脳裏に焼き付いていることでしょう。
斎藤雅樹の全盛期の年俸は3億3000万円!
斎藤さんが凄い投手であったことは周知の事実ですが、全盛期にはどれだけの年俸を得ていたのでしょうか。
様々なタイトルを獲得した投手ですから、さぞかし高額の年俸を稼いでいたと想像できます。
そこで気になる全盛期の年俸について調べてみました。
斎藤さんの全盛期といえば1989年から1996年でしょう。
プロ野球の年俸は前年の成績に応じて翌年の年俸に反映されるので、年度ごとの翌年の年俸を紹介します。
1989年(4500万円)、1990年(8400万円)、1991年(7500万円)、1992年(1億1800万円)、1993年(1億1500万円)、1994年(1億8000万円)、1995年(2億7000万円)、1996年(3億3000万円)となっています。
いかがでしょうか、彼の凄まじい成績に比べて少し年俸が低く感じてしまいます。
1990年代半ばまでは日本人最高年俸が2億円台から4億円弱ほどで、年俸が1億円を超えた選手は1億円プレーヤーと呼ばれ一流とみなされていました。
斎藤さんは1億円から3億円強の年俸を稼いでいたので、超一流プレイヤーと言っていいでしょう。
斎藤雅樹の球種や投球フォームは、高校からプロに入ることにとって変化していた
斎藤さんといえばサイドから投げ込む投球フォームのイメージが強いですが、実は高校時代はオーバースローだったことはご存知でしょうか。
上からオーバースローで投げ下ろす姿には驚きですね。
斎藤さんはプロ入り後もしばらくはオーバースローで投げていたそうですが、あまりにも打たれてしまうので二軍の首脳陣は野手転向させることも考えていたようです。
しかし、投手としてやっていきたいと考えていたので、打撃練習を拒否していたそうです。
そんな時に1983年当時読売ジャイアンツの一軍監督である藤田さんが、二軍の練習を見に来たそうです。
その際に斎藤さんに対して、腕を下げてサイドスローにしてみてはどうかとアドバイスをしました。
サイドスローに転向してから、始めはストレートが走らないことに首を傾げたそうです。
しかし、カーブを投げてみたところ驚くほどのキレで曲がったことから、サイドスローに専念しようと考えるようになりました。
斎藤さんといえばスライダーというイメージですが、実は彼の中ではスライダーというよりカーブというイメージで投げていたそうです。
2023年現在ではそういった球種はスラーブとも呼ばれているので、サイドスローに転向したことにより、スラーブという球種を覚えたといってもいいのかもしれませんね。
高校時代のオーバースローから、藤田監督との出会いでサイドスローに転向し大投手へと成長した斎藤さん。
一つのことにこだわることも良いかもしれませんが、その柔軟な考え方と運命的な出会いにより自らの道を切り開きました。
私達もその姿から私達も学ぶことは多いのかもしれません。
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