伊藤淳史の現在。チビノリダーの子役時代から高校、大学時代の逸話まとめ

子役時代にバラエティ番組の『とんねるずのみなさんのおかげです』チビノリダー役で一躍有名になった伊藤淳史さん。

その後もドラマ『電車男』や映画『海猿』などに出演するなど俳優として活躍する伊藤さんの現在と生い立ちについてご紹介します。

伊藤淳史のプロフィール

本名:伊藤淳史(いとうあつし)

生年月日:1983年(昭和56年)11月25日

身長:162cm

出身地:千葉県船橋市

最終学歴:法政大学経営学部

所属事務所:クォータートーン

受賞歴:

第28回放送文化基金賞 出演者賞(特集ドラマ『僕はあした十八になる』)

第46回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞(『電車男』)

第39回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞(『映画 ビリギャル』)

第25回日本映画批評家大賞 助演男優賞(『映画 ビリギャル』)

伊藤淳史の現在

子役時代にチビノリダーとして活躍した伊藤淳史さんは、2022年現在も役者として活動しています。

役者として駆け出しの頃はチビノリダーの印象が消えず、気の弱いヘタレの役が多かった伊藤さんですが、今では30代になり主役から端役まで数多くこなすベテラン役者となりました。


伊藤さんが所属している事務所のクォータートーンは少数精鋭で知られており公式HPがなく、伊藤さん自身もTwitterやInstagramなどのSNSで公式アカウントを持っていません。

そのため私生活が謎に包まれていますが、役者としてだけでなく3児の父でもあります。

2022年現在、奥さんと7歳の女の子と5歳と1歳の二人の男の子に囲まれ充実した暮らしを送っているそうです。

伊藤は2010年に一般女性と結婚しており「2015年に長女を、2017年に長男を授かりましたが、新しい家族を迎え、幸せと喜びを感じると共に、父親としての責任の大きさに、身の引き締まる思いです」と家族が増えた喜びをつづるとともに「これからも感謝の気持ちを決して忘れず、俳優としてより一層頑張って参ります」と決意を新たにした。

仕事の都合で子供が起きている時間に会えないことも多いそうですが、寝ている子供の横にいるだけで疲れが吹っ飛ぶのだとか。

そんなエピソードから伊藤さんが暖かな家庭を築いていることが伺えますね。

そんな幸せいっぱいの伊藤さんですが、賑やかすぎて家で台本が読めなくなったことが悩みだそうで、セリフを覚えるときは近所のカフェに足を運んでいるそうです。

またゴルフが趣味の伊藤さんは、役者の仕事だけではなくBSテレ東ではスペシャルゴルフ番組『伊藤淳史ののほほーんゴルフ“80切りできるかな”』でMCを努めたことがあります。

これからは役者業だけでなくスポーツ番組やバラエティ番組など伊藤さんの幅広い活躍が期待されますね。

チビノリダーを代表する子役時代のエピソード

チビノリダーが生まれたきっかけはおばあちゃん!?

伊藤さんが芸能の世界に入ったきっかけは、おばあちゃんが子役オーディションの広告を見て、「テレビに出たい?」って聞いたところ「うん」と答えたことだそうです。

その後、1987年伊藤さんが4歳の時に『とんねるずのみなさんのおかげです』の1コーナー「仮面ノリダー」のチビノリダー役に抜擢され、一躍有名になります。

この「チビノリダー」の撮影や当時のチビノリダー人気について、伊藤さんはまったく当時のことを覚えていないそうです。

一時期は「チビノリダー」のことを全く覚えていないことに対して悩むこともあったそうですが、大人になってからは昔の成功体験のせいで調子に乗らずに済んでよかったと前向きに思っているのだとか。

1990年7歳の頃にはドラマ『渡る世間は鬼ばかり』に出演します。


作中ではえなりかずきさんをいじめる子供役を演じ注目され、第二シーズンまで出演しました。

子役時代にサッカー選手を目指していた

順調に子役として活躍していた伊藤さんですが、ある時転機が訪れます。

1993年、伊藤さんが小学校3年生の時にJリーグが始まり、役者ではなくサッカー選手になることを夢見るようになりました。

学校と芸能の仕事の傍らサッカー選手になることを夢見て毎日サッカーに明け暮れる日々を過ごしていたそうです。

僕、中学時代に本気でサッカー選手を目指したことがあって、当時所属していた劇団を一度やめたことがあるんです。

中学生になったらサッカー部に所属してひたむきに練習を重ね、かなりの実力をつけていたそうです。

1998年、伊藤さんが中学2年の頃にはサッカーに専念するために当時入っていた劇団をやめて芸能活動を一時休止していたのだとか。

芸能活動を一時休止するほどのめり込んだサッカーですが、1999年、中学3年生の夏の大会では辛くも成果を残すことができず、サッカーに対する情熱が少し冷めてしまったそうです。

そんな時に以前所属していた劇団のマネージャーから映画『独立少年合唱団』のオーディションを受けてみないか連絡があり、挑戦してみると主演に抜擢されます。

この出演は芸能活動再開という伊藤さんの役者人生の大きな転機となったのだとか。

劇団のマネージャーが、芝居を離れていた僕に「これ、絶対、伊藤くんにいいと思う」と、映画のオーディションの話を持ってきてくれて。そこまで言ってくれるならと受けたら、幸運にも主役に抜擢していただいて。

それが『独立少年合唱団』(2001)という映画でした。この映画に出演したことで、やっぱり芝居の仕事がしたいと思うようになりました。

芸能活動やアルバイトに明け暮れる高校時代

1999年、中学3年の夏の大会に敗れサッカーに対する情熱が薄れた伊藤さんですが、高校はサッカーの強豪校に進学しようとしていたそうです。

ですが両親に説得されたことからサッカーを諦め地元の進学校である国府台高校に進学します。

高校時代も芸能活動は続けていきますが、学業を優先するために連続ドラマなど長期間撮影するものには出演しないようにしていたそうです。

また学業と芸能活動のかたわら中華レストランのバーミヤンの厨房でバイトを始めます。

最初は洗い場の担当でしたが真面目に取り組む姿勢を認められ、だんだん調理も任されるようになり、最終的に難易度の高いチャーハンづくりまで任せてもらうようになっていたそうです。


目に見えて仕事の幅が広がるのが楽しくて、受験勉強が本格的に始まるまでの2年間くらい続けていたそうです。

2002年、高校3年の夏頃からは大学受験の勉強を始めます。

大学では芸能と全く関係ない分野を勉強してみたかったため、経営学部のある大学の受験を目指していたそうです。

学生の時間というのは長い人生の中で限られた時間だから、それを4年も削るのはものすごくもったいない気がしました。

だったらこの4年で、できるだけ芸能とはまったく関係ない分野というか、あまり縁のないところで、いろんな人と出会っていろんな勉強もしてみたいなと思って大学を受けました。

高校時代は学業優先しようとしていましたが、結果的に芸能活動とアルバイトに明け暮れていたため、成績はあまり良くなかったそうで大変苦労したのだとか。

苦労の末、数々の大学を受験したそうですが、結果が振るわずスベリ止めの大学も落ちてしまいます。

残念な結果が続き大学進学は半ば諦めていたそうですが、試験前夜に見ていたところがそのまま試験に出題されるという奇跡的な強運を引き当て、法政大学の経営学部に進学することができました。

多忙を極める大学時代

法政大学経営学部に進学した伊藤さんですが、数々のテレビドラマや映画の撮影が決まりとても忙しい日々を過ごしていたそうです。

大学生とは言え仕事を優先し、仕事の合間に学校の勉強やレポート作成をしていたそうです。

撮影と授業が重なってしまった時は友人にノートを見せてもらっていたそうですが、単位を落とすことも多く大学4年生の時には単位を一つも落とせない状況になってしまったのだとか。

そのため地方で仕事があった時は、飛行機で大学とロケ地を往復することもあったそうです。

このまま仕事優先では大学卒業できないと事務所とも相談していたそうですが、4年生の前期試験の時に伊藤さんの代表作となるドラマ『電車男』の出演が決まります。

『電車男』の撮影中には後期は学業に専念させてほしいと頼んだそうですが、『電車男』のクランクアップと立て続けにドラマ『西遊記』の出演が決まってしまい、大学中退も覚悟したのだとか。


なんとか大学は卒業したいと撮影の合間はずっとレポートとテスト勉強をして、どうにか単位を落とすことなく大学卒業することができたそうです。

このときの経験から、役者として多少のピンチなことがあっても「大学の状況を乗り越えられたんだから大丈夫だ」と常に自信と余裕を持って仕事ができているのだとか。

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