澁澤龍彦の家系図に渋沢栄一。妻は2人・澁澤龍子と矢川澄子

シュルレアリスムやエログロ、SMなどに対する強い関心がうかがえる思想評論や小説などを執筆した澁澤龍彦(しぶさわ たつひこ)。

2023年には没後36年を迎えますが、独特な感性を持つ作家として今なお根強いファンを獲得し続けています。

今回は澁澤の家系図に、大河ドラマの主人公にもなった渋沢栄一がいるという情報を確認しましょう。

また2人の妻・澁澤龍子さんと矢川澄子とのエピソードを紹介します。

澁澤龍彦のプロフィール

本名:澁澤龍雄

生年月日:1928年5月8日

死没:1987年8月5日

身長:160cm

出身地:東京市芝区車町(現在の東京都港区高輪)

最終学歴:東京大学文学部フランス文学科

澁澤龍彦の家系図に渋沢栄一。栄一の伯父が高祖父

銀行や企業を数多く設立し、「近代日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一。


偉大な実業家として知られ、2021年には大河ドラマ『青天を衝け』で、主人公としてその生涯が描かれました。

昭和のシュルレアリスム作家である澁澤とは、関係がないように思えますが、実は親戚同士でした。

渋沢栄一の伯父・宗助が、澁澤の高祖父にあたります。

澁澤が幼かった頃、まだ健在だった渋沢栄一と会ったことがありました。

赤ん坊だった澁澤は、秋祭りに行くため帰郷していた渋沢栄一の膝の上でお漏らしをしてしまったそうですよ。

渋沢栄一は幼い子孫たちを非常にかわいがっていたため、このときも笑顔で許してくれたのかもしれません。

澁澤龍彦の妻は澁澤龍子

澁澤は生涯で2度結婚しており、彼に最後まで寄り添ったのは2番目の妻・澁澤龍子(しぶさわ りゅうこ)さんでした。

名前の漢字が3文字も同じであるため、まるで兄妹のようにも思えますね。出会った当初は名前が似ている点に運命を感じたのではないでしょうか。

2023年も健在で、澁澤関連のイベントにはよく参加しています。

龍子さんは1940年に神奈川県鎌倉市で生まれ、成人後はエッセイストとして活動しました。

雑誌「芸術新潮」の編集者として勤めていた1968年、澁澤と出会って翌年に結婚。

出会ってからわずか1年でゴールインした点から、意気投合してすぐに惹かれ合ったことがうかがえますね。

1970年には新婚旅行としてヨーロッパ旅行に出かけました。

このときを含めて、夫婦は合計4度の西欧旅行を楽しんでおり、その様子は澁澤の『滞欧日記』に詳しく書かれています。

また京都をはじめとする日本各地も夫婦で巡っています。

旅行は澁澤にとって小説や随筆の題材を探すうえで欠かせない習慣だったのです。

龍子さんは夫の旅行に同行することで、精神面から彼の執筆生活を支え続けました。

1987年8月5日、澁澤は頚動脈瘤の破裂により59歳で亡くなります。


遺作『高丘親王航海記』の後には、夫婦の最後の旅行先となった山口県を舞台にした作品を書く予定でしたが実現しませんでした。

龍子さんは夫の死から18年後、著書『澁澤龍彦との日々』を発表。知られざる夫婦生活についてつづりました。

書斎のオブジェ、愛用の品々を紹介しつつ、食卓の様子、夫婦喧嘩、散歩の習慣などから、1人の人間として彼を掘り下げました。

現代人が澁澤龍彦という稀有な作家の作品を楽しめるのは、ともに旅を続けた1人の女性の存在があったおかげだったのですね。

澁澤龍彦の元妻・矢川澄子は天才詩人で最期は自殺

龍子さんという理想的な伴侶に恵まれた澁澤ですが、1度目の結婚には失敗していました。

最初の妻は教育学者・矢川徳光の次女で、詩人として活躍した矢川澄子です。

早くから文才を評価され「天才少女」と呼ばれていました。

東京女子大学外国語科を卒業後、学習院大学独文科に編入学。在学中に同人誌「未定」に作品を発表しました。

卒業後は東京大学文学部美学美術史学科に学士入学し、間もなく中退。

この間に岩波書店校正室のアルバイトとして澁澤と知り合い、交際を始めています。

1959年1月に澁澤と結婚し、鎌倉市小町で暮らし始めました。

澁澤は結核で仕事ができない状態だったため、澄子は必死に看護していたそうです。

さまざまな苦労をともに乗り越えたはずでしたが、夫婦は1968年4月に協議離婚。

貧しい生活を支え合って生きていたものの、すれ違いが多く、お互いに浮気をしていたともされています。

また澄子は夫の要求に従い、4度も妊娠中絶を行って出産できない身体となってしまったため、それも大きな要因だったのかもしれません。

澄子は「おにいちゃん」と慕った澁澤について『おにいちゃん 回想の澁澤龍彦』というエッセイにまとめています。

彼から「人並みの幸せを求めるのはやめよう」と言われていたという澄子。

稀代の芸術家・文学者だった澁澤とは、平穏な「ごく普通の生活」を送ることはできませんでした。

澄子もまた文筆家ですから、それは覚悟のうえだったはず。

お互いの強烈な個性がぶつかり合った結果、夫婦生活は破綻してしまったのかもしれません。

結果的に澁澤は「自分よりも夫を優先して尽くしてくれる妻」である龍子と巡り会いました。


一方、澄子は理想の伴侶と出会うことなく、孤独に自殺を遂げました。

晩年もまだ「澁澤に惚れている」という気持ちをあらわにすることがあったそうです。

筆者を含め澁澤のファンならば、誰にも救われず、孤独に散った天才女性詩人の存在を忘れてはならないように思えます。

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