澁澤龍彦の自宅は北鎌倉。書斎部屋&イケメン画像が話題。死因は頚動脈瘤の破裂

日本でマルキ・ド・サドの著作『悪徳の栄え』の翻訳や、物事の暗黒面に焦点を当てた作品群で知られる澁澤龍彦(しぶさわ たつひこ)。

59歳の若さで亡くなった伝説の作家ですが、生前に暮らした自宅が今も北鎌倉に残っています。

今回は澁澤の自宅と話題の書斎部屋、生前のイケメン画像、死因を順に紹介します。

澁澤龍彦のプロフィール

本名:澁澤龍雄

生年月日:1928年5月8日

死没:1987年8月5日

身長:160cm

出身地:東京市芝区車町(現在の東京都港区高輪)

最終学歴:東京大学文学部フランス文学科

澁澤龍彦の自宅は北鎌倉

神奈川県鎌倉市山ノ内にある、臨済宗の寺院・明月院。


紫陽花の名所であるため「あじさい寺」として親しまれている寺院です。

明月院のすぐ左手に、昭和に活躍したフランス文学者で作家の澁澤龍彦が、亡くなるまで約20年間暮らした自宅が残っています。

この「北鎌倉」と呼ばれるエリアは、かつて関東管領山ノ内上杉家が治めていた土地でした。

紫陽花の季節には観光客が押しかけてにぎわうため、澁澤は執筆に集中できなかったのか、閉口していたそうです。

ただ、普段は鎌倉・室町時代の高級武士が暮らしていた土地らしい閑静な場所であり、落ち着いた生活を送ることができました。

エッセイ『初音がつづる鎌倉の四季』には、自宅が北鎌倉の円覚寺に向かう山の中腹にあり、自然豊かな環境だったことがつづられています。

季節に関わらず聞こえてくる鳥や虫の声を耳にしながら、ゆったりと過ぎる時間を楽しんでいました。

書斎のガラス戸を開いてみると、東慶寺や浄智寺など寺院の裏山が、正面に稜線を描いて連なって見えたそうです。


澁澤は山の色の変化を目にすることで、季節の移り変わりを味わっていました。

春には桜が咲いて薄紅色に染まった山、冬には白い雪をかぶった山を眺めて暮らしていたのです。

「色は移ろいながらも、山の形は鎌倉時代から変わっていない」と考えて、なんとなく愉快な気持ちにもなっていました。

澁澤のように都会の喧騒から離れ、いにしえの時代から変わらない自然の姿に思いを馳せる、風流な生活を送ってみたいものですね。

澁澤龍彦の書斎部屋は「珍書奇書」の宝庫

澁澤が自然の移り変わりに思いを馳せていた書斎部屋は、今なお多くのファンの間で話題になっています。

かつて三島由紀夫が「珍書奇書に埋もれた書斎」と評した書斎は、龍子夫人が今も亡夫の生前のままの様子で保存しています。

希少な書籍に加え、絵画やオブジェに飾られた室内は、稀代の作家である澁澤の精神をそのまま反映させたかのような様子です。

2019年には澁澤邸の内部にカメラを入れ、作家・澁澤龍彦の魅力に改めて迫るドキュメンタリー番組が制作されました。

番組では澁澤の研究者・スティーヴ・コルベイユさん、澁澤から大きな影響を受けた文学研究者・平井倫行さん、澁澤と交流していた舞踏家の笠井叡さんへのインタビューも実施。

龍子夫人の回想も含めて、澁澤の姿が鮮明によみがえるドキュメンタリー番組でした。

澁澤の生きた証であり、今もその息遣いが感じられる書斎部屋が映し出された瞬間に、ファンは胸を躍らせたに違いありません。

澁澤龍彦はイケメン

澁澤の最初の妻だった詩人の矢川澄子は、出会ったばかりの彼を「鼻の高い色白の美少年」と表現しました。

SNS上で人々のコメントを確認してみると、やはり多くの人がその美しい顔に魅了されていることが判明。

没後30年以上が過ぎたものの、生前の澁澤は現代人にとっても文句なしの「イケメン」だったのです。

色白の美しい顔立ちと豊かな黒髪、知性を感じさせる雰囲気は確かに魅力的ですね。

少し危うさや暗さも感じさせる点に、ついつい人は惹かれてしまうのかもしれません。

澁澤龍彦の死因は頚動脈瘤の破裂

若い頃から澁澤は身体が丈夫ではありませんでした。

晩年は病気がちで入院生活を送りながら、遺作『高丘親王航海記』を脱稿させています。

次作『玉蟲物語』を構想していた1987年8月5日。

入院先だった東京慈恵会医科大学附属病院の病床で読書中、あごの付け根あたりにある血管・頚動脈にできたしこりが破裂。

残念ながら回復することなく、この頚動脈瘤の破裂により59歳で亡くなりました。

葬儀は北鎌倉の東慶寺で営まれ、遺骨は自宅が山門から見える臨済宗の浄智寺に納められました。

自然豊かな自宅ではなく、都内の病室で亡くなったのは不本意だったかもしれません。

大好きな自宅を眺められる鎌倉の寺院に遺骨が納められたことは、せめてもの救いですね。


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