『宮本武蔵』や『新・平家物語』などの歴史小説を多く発表した吉川英治(よしかわ えいじ)。
私生活について詳しい人は少ないかもしれませんが、最初の妻と2番目の妻が、彼の活動を陰から支えていました。
今回は吉川の妻、息子、娘の情報を確認しつつ、孫や子孫もいるのか見ていきましょう。
吉川英治のプロフィール
本名:吉川英次
生年月日:1892年8月11日
死没:1962年9月7日
身長:150cmほど
出身地:神奈川県横浜市中区
最終学歴:太田尋常高等小学校
吉川英治の最初の妻・やす、再婚相手の文子
吉川は歴史小説家として名を馳せる前、職を転々とする若者でした。
彼に惹かれた売れっ子芸妓・やすは、同棲を経て結婚。
糟糠の妻として、貧しい生活の中、作家として大成することを夢見る夫を支えました。
しかし吉川が有名作家となり、巨額の印税収入を手に入れるようになると、生活は一変してしまいます。
やすは高級な洋服や食事を楽しむようになり、それなりの遊び人だった吉川は外で女性と交際を始めました。
勘の鋭いやすは夫の遊びに気付き、やきもちを焼いて激しく彼を問い詰めました。
すると吉川は家を逃げ出してしまい、1年近く帰って来なかったそうです。
結局やすのヒステリーが悪化し、夫婦は結婚から14年目に離婚しました。
再婚相手は文子
色男だった吉川は、離婚後も女性と交際を続け、間もなく池戸文子という女性と再婚します。
文子は身体が弱い父親に代わり、家計を支えるため銀座の料亭で働いていました。
その料亭で吉川と出会い、1937年に結婚します。
吉川は43歳、文子はまだ16歳で、27歳も年齢が離れた夫婦となったのです。
文子は吉川の代表作『宮本武蔵』に登場する、美しい女性「お通」のモデルとされています。
作品に魅力的な女性として描くほど、彼女を愛し、いつくしんでいたことがうかがえますね。
1962年、吉川が70歳で亡くなると、文子は42歳で未亡人となりました。
夫の死後に発足した「公益財団法人吉川英治国民文化振興会」では理事に就任。
1988年からは吉川英治記念館の館長となり、2002年に退任後は名誉館長となりました。
おはようございます☀️
青梅市吉川英治記念館は10時から開館します❗️
本日は開館直後から小学校の移動教室で約70名ほどが来館されます。
12時ごろまでの滞在になり、駐車場にも大型バスが2台駐車いたします。
この時間帯にお越しの皆様は何卒ご理解とご協力のほどお願い致します🙇♂️#移動教室 pic.twitter.com/2kykIH28KU
— 青梅市吉川英治記念館 (@ome_yoshikawa) June 23, 2022
夫の死後40年以上にわたり、彼の業績を伝え続け、「有名作家の妻」としての役割を全うしたのです。
2006年4月23日、転移性肺腫瘍により亡くなります。
…そういえば、吉川英治記念館で展示されていた『吉川文子/お父さま、ごめんなさい』には、なぜ吉川英治が戦後暫く筆を絶ったのか奥さんの視点で書かれていて言葉が出てこなかった。重い。
文劇3を見てグァァアってしてる人たちにそれ読んでみてほしい…— midori (@haru_3d) September 27, 2020
夫の生前も死後も、彼に尽くし続けた85年の生涯でした。
息子・英明は吉川英治記念館の館長
吉川と文子は2男2女に恵まれました。
長男は文筆家で吉川英治記念館の館長・吉川英明さんです。
菊池寛記念館では、11月23日に「菊池寛と親友作家の家族」と題した座談会を開催します。入場無料ですが、10月24日から菊池寛記念館、高松市役所にて配布の整理券が必要です。講師は菊池夏樹氏(菊池寛孫)、吉川英明氏(吉川英治長男)、植村鞆音氏(直木三十五の甥)です。詳しくはHP へ♪ pic.twitter.com/K8BMBg7tG1
— 菊池寛記念館は香川県高松市にあります(^^) (@nunuonu) October 13, 2017
1938年に生まれ、小学校時代から父の作品に親しんでいました。
一時期は父が夕食後に書斎の隣にある部屋で、子供たちに義経や信長、武蔵などの英雄譚を語り聞かせてくれていたそうです。
父の物語を夢中で聞く時間が、何よりも楽しみだったといいます。
1961年に慶應義塾大学法学部を卒業すると、NHKの放送記者として活躍。
10年後に退局すると、書店「レイク・ヨシカワ」の経営者として十数年活動しました。
その後は母から吉川英治記念館館長の座を引き継ぎ、2011年からは公益財団法人吉川英治国民文化振興会理事長を兼務します。
父の十三回忌には家庭人としての吉川の姿を描いた著書『父 吉川英治』を発表しました。
息子しか知り得ない、厳しくも優しかった父の姿を描き切った名エッセイです。
【#父の日】吉川英明著『新装版 父 吉川英治』『宮本武蔵』『新・平家物語』など数多くの名作を残した故吉川英治の長男である著者が、70歳で逝った父の十三回忌を機に、青梅の吉野村に疎開した昭和19年からの想い出をまとめた一冊を復刻。https://t.co/jSIpQjWWKk pic.twitter.com/VmgSS08ek6
— 講談社文庫 (@kodanshabunko) June 19, 2021
ほかにも『水よりも濃く』『いわめの歯ぎしり』などのエッセイを発表しており、文筆家として活躍しています。
今から、吉川英治氏のご子息英明氏のエッセイ『いわめの歯ぎしり』に取り掛かります( ◠‿◠ ) pic.twitter.com/FPaB44rCgZ
— 山村善教 (@yama15quinze) June 14, 2017
英明さん以外の子供たちは文筆業とは関係のない仕事をしていたようで、詳しい情報は見当たりません。
次男の吉川英穂(よしかわ ひでお)さんは1940年生まれということがわかっていますが、現在どのように過ごしているかまでは不明です。
娘は曙美と香屋子、養女の園子
吉川の娘たちは2人いて、1942年生まれの長女・曙美さんと1950年生まれの次女・香屋子さんです。
曙美さんが20歳で結婚したときは、吉川は肺がんの手術によってできた傷跡の痛みをこらえながら、結婚式に出席しました。
痛みを感じながらも、娘の晴れ姿に微笑みを絶やさなかったそうです。
しかしおよそ半年後に発作を起こして入院し、リンパ節転移が発見されました。
9月7日に亡くなってしまいましたが、生前に娘の花嫁姿を見ることができたのは幸運でしたね。
また吉川は先妻のやすと結婚していた時期、園子さんという女性を養女として迎えていました。
そのため吉川の子供たちは、厳密には5人いるということになりますね。
吉川英治の孫は大麻所持で逮捕
吉川には吉川英資さんという孫がいます。
そば店の店主でしたが、42歳のとき、乾燥大麻を所持した容疑で逮捕されています。
好奇心から大麻の栽培を始め、およそ2年間、ほぼ毎日吸引していたそうです。
5人の子供のうち、誰の直系かは不明ですが、吉川の子供たちは自分たちの家から逮捕者が出てしまい悲しんだに違いありません。
英資さんが更生し、大麻に頼らず再出発していることを願うばかりです。
吉川英治の子孫について詳しい情報はない
吉川には5人の子供がいるため、英資さん以外にも子孫が複数いる可能性が高いです。
しかし2023年時点で、詳しい情報はありませんでした。
文才を継いだ長男の英明さんのように、いつか子孫が文壇に躍り出る日が来るかもしれませんね。
関連記事
司馬遼太郎、息子はいるが娘はいない。二人の妻。再婚の経緯&死因は腹部大動脈瘤の破裂
江戸川乱歩の性格が暗かった&引っ越し46回。名前の由来、妻と孫について
コメント