『流星たちの宴』や『天国への階段』などの代表作を残した作家の白川道(しらかわ とおる)さん。
2015年に69歳で亡くなりましたが、突然の死の原因は何だったのでしょうか。
また若い頃の活動を見ていきつつ、事実婚で結ばれていた妻の中瀬ゆかりさん、交際相手だった横森理香さんとのエピソードを確認。
さらに前科の詳細にも迫ります。
白川道のプロフィール
本名:西川徹
生年月日:1945年10月19日
死没:2015年4月16日
身長:不明
出身地:中華民国北平市(現在の中華人民共和国北京市)生まれ、神奈川県平塚市育ち
最終学歴:一橋大学社会学部
白川道の死因は大動脈瘤破裂
2015年4月16日、白川さんは突然、自宅で意識を失いました。
内縁の妻だった中瀬ゆかりさんが倒れている彼を発見し、病院に連絡。
白川さんは搬送されたものの、残念ながら意識が回復することはなく、69歳で亡くなりました。
死因は大動脈瘤破裂でした。全身に血液を送る臓器・大動脈が拡大して破裂してしまう、死亡率の高い病気です。
作家、白川道氏逝去(69才》
中瀬ゆかり女史の最愛のパートナーでもあった。
中瀬親方の昨日の番組お休みは そういう事だったんだ。
あんなに仲良しだったし 寂しいだろうな…合掌。#5時夢 pic.twitter.com/GmG5mGQh3L— Baban (@lanikai818) April 17, 2015
当時は夕刊フジで毎週土曜日にコラム『俺ひとり』を連載していました。
また毎日新聞では相談コーナー「天の耳」で回答者を務めるなど、元気に活動していたのです。
自身も周囲も突然この世を去ることなど想像していなかったでしょう。
初七日には日本列島で大きな流星群が観測されました。白川さんの魂は、流星に乗って天国へと旅立って行ったのかもしれませんね。
白川道の若い頃の活動
1945年10月19日、白川さんは中国の北京市で生まれ、戦後に神奈川県平塚市に引き揚げました。
神奈川県立平塚江南高校に在学中から読書に励み、お気に入りの作家は太宰治でした。
一橋大学社会学部を卒業すると、大手電機メーカーに就職します。
しかしわずか3か月で退職し、大手広告代理店に入社。しかしそこも26歳で退職しました。
その後は先物取引会社で勤務し、旅行会社や書店を起業したものの、失敗の連続でした。
結婚して松山市にある妻の父の会社で役員となりますが、2年半で離婚。子供を松山市に残したまま、東京に戻りました。
日本橋兜町の投資顧問会社で勤務し、その後は自ら株式投資顧問会社を起業して成功。
億単位のお金を動かしながら女子大生と同棲し、贅沢な生活を送るようになりました。
バブル全盛期の1980年代に株の世界に入り、栄光を手に入れたのです。
しかしその後は不正に関与して一気に転落。挫折を味わった体験を土台に小説『流星たちの宴』を執筆し、作家デビューを果たしました。
挫折体験についてはのちほど詳しく紹介します。
白川道と中瀬ゆかりは事実婚関係
白川さんは、19歳年下の新潮社出版部部長・中瀬ゆかりさんと交際し、19年間事実婚の関係で結ばれていました。
2人の関係は漫画家の西原理恵子さんがよく作品に描いていましたね。
毎日新聞読んでたらサイバラちゃんが新潮社中瀬ゆかりさんのトーチャン(白川道氏)のことを描いててジーンとなった pic.twitter.com/DddSd9SlOA
— Arai Kaoru (@araikaoru) November 2, 2015
中瀬さんは白川さんと「価値観のツボ」が一致しており、何時間でも一緒に話していられたそうです。
些細なことに2人で笑い転げて、お互いを「魂の双子」と呼び合っていました。
博打をするときも旅に行くときも、いつでも2人は一緒でした。
よく白川さんは「わしが死んだらどうするんや。お前は生きて行けんだろう」と中瀬さんに言っていたそうです。
その後「俺が先に逝って、いちばん光る星になってお前が迷子にならないよう待つ。その星を目指して飛んで来い」と続けていました。
死の前日、白川さんは夜遅くまで大好きな麻雀に打ち込んでいました。
仕事を終えた中瀬さんがメールを送ると「わかった」と返事が来たそうです。
白川さんはメールを覚えたばかりで、やり取りする相手は中瀬さんと、晩年に仲良くしていた俳優の三浦友和さんだけでした。
帰宅した中瀬さんは疲れていたため、彼の帰りを待たずに就寝。2人の対話はメールでのやり取りが最後となりました。
翌朝9時に咳き込む音で目が覚めた中瀬さんが居間に行くと、白川さんは吐血してソファの下に倒れていたそうです。
救急車で病院に向かい、死亡宣告を受けるまでの詳細はあまり記憶がないといいます。
突然の別れではあったものの、中瀬さんはいずれいちばん輝く夜空の星に出会えることを信じて、これからも力強く生きて行くのでしょう。
白川道は横森理香と交際
白川さんは中瀬さんと出会う前、作家の横森理香さんと交際していました。
何億円ものお金を動かしていたバブル期に付き合い始め、最終的には破局しています。
2人の交際の様子は白川さんの小説『流星たちの宴』と横森さんの小説『ぼぎちん バブル純愛物語』に詳しく書かれています。
『ぼぎちん』横森理香著
80年代バブル期の社会を駆け抜けた男女を描いた小説。軽快な文章は読みやすく、本質をついた一文が所々で刺さってくる。登場人物の「ぼぎちん」は作家である白川道氏をモデルにしている。白川側から描いたのが『流星たちの宴』という作品でこちらもおもしろい。 pic.twitter.com/eQJcUaH7aa
— 坂本 宙彌🚀スタートアップ×採用&キャリアコンサルタント@XAION DATA🚀 (@hirooo_sakaaa) December 13, 2021
『ぼぎちん バブル純愛物語』は女子大生の沙耶が、アルバイト先である投資顧問会社で中年男「ぼぎちん」と出会い、交際を始める物語。
ピュアな恋から始まったものの、大金を手に入れては使い果たす日々を送るうちに、2人の感覚は麻痺していきます。そのうちに愛もすたれてしまうという展開が続くのです。
バブル期を謳歌した白川さんと横山さんの実体験を土台とした、生々しい物語です。
その後、2人はお金とは別の形の幸せを追い求めつつ、心の奥底ではかつてのパートナーの幸せも願っていたのかもしれません。
白川道には前科があり懲役3年の実刑判決を受ける
白川さんはバブル期に投資ジャーナルに関わり、インサイダー取引、マネーロンダリングなどの不正に関与しました。
逮捕されて懲役3年の実刑判決を受け、実際に2年半は刑務所で服役しています。
服役中に小説の書き方を学び、派手な栄光と転落を味わった体験を土台に作品を執筆。
1994年、49歳で『流星たちの宴』により作家デビューを果たしたのです。
2015年、死去した際は自宅で亡くなったため、死因の調査のために遺体は警察署に運ばれました。
かつて刑務所での「おつとめ」を経験した彼の遺体に対して、中瀬さんは「トウチャン、死んでからもまた警察の厄介になったね」と語りかけたそうです。
麻雀と競輪などのギャンブルに熱中した、最後の無頼派ハードボイルド作家。
一方どこまでもピュアで、中瀬さんに甘えたがる寂しがりやの、憎めないろくでなしでした。
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