金子國義は結婚せず家族はいない。自宅解体後アトリエ部屋の運命。虚血性心不全で死去

澁澤龍彦の小説の挿し絵などを手がけ、退廃的な雰囲気の作品を多く描いた画家の金子國義(かねこ くによし)さん。

1967年に澁澤からすすめられて開いた個展でデビューし、新潮文庫版『不思議の国のアリス』の挿し絵などの代表作を残しました。

今回は金子さんの結婚と家族の詳細を確認し、知られざる私生活に迫ります。

併せて、自宅解体の詳細とアトリエ部屋に残された作品について確認し、死去した際の様子を見ていきます。

金子國義のプロフィール

本名:金子國義

生年月日:1936年7月23日

死没:2015年3月16日

身長:非公表

出身地:埼玉県蕨市

最終学歴:日本大学芸術学部デザイン科

金子國義は結婚せず生涯独身、家族は養子

金子さんは結婚せず、生涯独身を貫きました。


しかし決して孤独に過ごしていたわけではありません。

金子修さんという男性を養子に迎え入れ、公私にわたって支えてもらっていたのです。

1971年3月に生まれた修さんは20代の頃、日雇いの土木作業員として働きながら、大阪で暮らしていました。

1992年8月、宗右衛門町のバーで飲んでいたところ、展覧会で大阪に来ていた金子さんから声をかけられます。

「あなた金太郎みたいね」

金子さんは修さんの肉体美に魅了された様子で、目を輝かせながら、上着を脱ぐよう指示。上着を脱いだ修さんの姿をスケッチし始めました。

土木作業員だった修さんの身体は美しく引き締まっており、日焼けした健康的な肌も魅力的だったのです。

2年後の1994年、金子さんは個展開催のため再び大阪にやって来ました。

修さんが個展の会場に足を運んでみたところ、金子さんは「3か月くらい、東京に来てみない?」と誘ったそうです。

「アシスタントになってほしい」という要望でした。

ちょうど仕事を辞めたばかりだった修さんは、「3か月だけなら」と考えて、そのまま帰京のための運転手となります。

その後はアシスタントとして勤務。約束通り3か月後に「帰ります」と伝えたところ、大反対されてしまいました。

ただ修さんにも大阪での生活があったため、金子さんの反対を押し切って強引に帰ったそうです。

すると自宅に金子さんの友人だった詩人・高橋睦郎さんから電話がかかってきました。

「1人の画家が、絵を描けなくなる、と言っている」

この言葉に「戻らなければダメだな」と判断し、東京で金子さんと暮らすことになりました。

修さんは偶然の出会いによって、40キロのセメントを運ぶ肉体労働者から、一流画家のモデル、アシスタント、マネージャーとなったのです。

常識を気にしない金子さんの世話をするためには、相当な労力が必要でした。

画家としては一流だったものの、ATMの使い方さえわからないほど、社会性のない人だったそうです。

スケジュールやお金の管理、食事、洗濯などのあらゆる世話を修さんが担当しました。


金子さんに寄り添い続けた結果、2002年2月22日、修さんはついに金子家の養子になったのです。

それまでは区役所や郵便局の手続きで、金子さんとの関係性や委任状について問いただされることが多くありました。

養子になってからは晴れて「身内」と名乗ることができ、スムーズに手続きを終えられるようになったのです。

「金子國義の息子」という肩書きを手に入れた後は、展覧会の運営やデザインのアシスタントも手伝い、活動を支え続けました。

2015年3月16日、金子さんは78歳で亡くなります。

一般的な価値観に惑わされず、自身の価値観に従い続けた彼の生き方には、修さんも感銘を受けたそうです。

数奇な運命に導かれて有名画家の養子になり、「気付いたときには喪主になっていた」と語っています。

金子國義の自宅解体後、アトリエ部屋の作品は保存されている

金子さんの死後、相続人がいない自宅は解体されてしまいました。

自宅にあったアトリエ部屋も解体されたため、残念ながら生前の仕事の様子がわかる場所はもうありません。

柱が老朽化し、屋根の一部は腐っていたそうですから、仕方がありませんね。

ただ解体業者が有名画家のアトリエだったことを知らずに作業に着手したため、残っていた作品のうち数点は破棄されてしまったそうです。

アトリエと作品の情報が業者に共有されていれば、貴重な作品が失われずに済んだであろうことを思うと残念でなりません。

ただ貴重な資料や手紙、作品群は大部分が修さんの新居の倉庫に移されていたため無事でした。

また解体業者が偶然、机の引き出しに張り付いていた未発表の絵を見つけ出してくれたのも大きな幸運でした。

失ったものを嘆くより、残ったものを大切に保管して、偉大な画家の偉業を伝えていくことが大切ですね。

金子國義は虚血性心不全で死去

2015年3月17日、金子さんは東京都品川区にあった自宅で、78年の生涯を終えました。

死因は心臓が弱ることで生じる血液の循環不足「虚血性心不全」でした。

17日未明に自宅で亡くなっているのを、家族が発見したそうです。

「家族」と報じられましたが、発見者は修さんだったに違いありませんね。

ドラマで描かれるような運命的な出会いに導かれ、有名画家の助手・養子となった修さん。

金子さんを魅了した肉体美の持ち主は、いつしか常識にとらわれない金子さんの生き方に魅了され、お互いに心を通わせていたのでしょう。


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