175㎝の高身長で抜群のスタイル、妖艶さを漂わせたルックス、20代前半に一躍スターになった桐島かれん(きりしまかれん)さん。
若い頃に様々な経験をしています。
今回は桐島さんの若い頃のこと、父親のことや学歴、ミカバンドについてお伝えしていきます。
桐島かれんのプロフィール
本名:桐島渚(きりしまなぎさ)
洋名:Zoe
生年月日:1964年(昭和39年)8月20日
出身地:神奈川県
身長:175㎝
最終学歴:上智大学国際学部中退 (セツ・モードセミナー中退)
所属事務所:株式会社アブレ
桐島かれんの若い頃。父親のいない家庭で育つ
桐島さんは若い頃からずっと、父親のいない家庭で育ちました。
母親は作家の桐島洋子さん。
父親はどんな人で、どのような環境だったのでしょう。
父親はアメリカ人
桐島さんの父親は、スコットランド系アメリカ人の元海軍中佐。
世界最深潜水記録を保持したこともある程、ダイバーの草分け的存在だったそうです。
1962年にダイビングで出会い、父親が51歳、母親が25歳の時に交際が始まりました。
父親は26歳年上、しかも既婚者だったのです。
つまり母親は愛人で、1964年に未婚のまま桐島さんが産まれています。
その後1965年に妹のノエルさん、1968年に弟のローランドさんが誕生しますが、2人は結婚しませんでした。
しかも父親は元々の妻と離婚後、1968年に別の人と結婚しています。
他人にはわからないことがあったのでしょうが、なんとも破天荒な行動ですね。
父親のいない母子家庭
父親と別れた母親は、女手一つで3人の子供を育てました。
自伝的エッセイを出版して、世間から「飛んでる女」とかなりバッシングを受けています。
3人の子供を養うために母親はほとんど家に帰らず働き、お手伝いさんに育てられたそうです。
桐島さんも父親のいない母子家庭で育ったことから、世間からは冷ややかな目で見られることもあったとのこと。
またハーフでかわいい外見からも周りとの違いに戸惑ったことでしょう。
「普通の家庭に憧れていた」とインタビューで語っています。
桐島さんは父親をどのように思っていたのでしょうか。
今ではわだかまりも消えていることでしょうが、若い頃はかなり複雑な思いを抱えていたに違いありません。
母親の洋子さんは、子供たちの父親のフロリダのお墓参りに数年前に行ってきたそうです。
別れて半世紀近く経ち、今更感傷はないけれど「あなたのお陰で3人の子と7人の孫に恵まれました。本当にありがとう」と感謝を伝えました。
きっと今となっては桐島さんも同じ想いなのでしょうね。
桐島かれんの英語力や学歴
英語を流暢に話す帰国子女である桐島さん。
小学校は横浜市内の公立小学校に通っていました。
その後小学6年生の時に、家族4人でアメリカのニューヨーク州に移住。
桐島さんはNY州郊外の公立学校に入学しました。
英語がまったく話せなかった桐島さんたちが入学したことで、学校はパニック状態になったそうです。
「通訳をつけては」という学校の打診に「言葉は浴びて身につくもの」と母親が一蹴。
おかげで2年弱のアメリカ生活で、すっかり英語を習得したといいます。
しかし東洋人という人種差別から、ひどいいじめも受けたそうです。
そして改めて日本の良さを感じたといいます。
この経験が桐島さんの英語力を急激に高め、人生に大きな変化をもたらせたのでしょう。
日本に帰国後の学歴は、中学と高校共にサンモール・インターナショナルスクール。
神奈川県のインターナショナルスクールで、せっかく習得した英語が更に上達するように母親が通わせてくれたのです。
この学校には自分と同じような子が大勢いて、桐島さんはホッとして楽しかったといいます。
しかし高校卒業後の学歴は中途半端なものになってしまいました。
大学は上智大学国際学部に帰国子女枠で入学するも、1年で中退しています。
20歳の時には、服飾専門学校「エスモードジャポン」に通いますが、中退。
21歳で美術学校「セツ・モードセミナー」に通うも、中退。
高校を卒業してからの学歴は、すべて中途退学で終わっています。
母親からは、20歳になったら独立してするように言われていたため、実家を出て暮らしていました。
桐島さんは若い頃、自分の進む道に少し迷ったのかもしれませんね。
桐島かれんは「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカル
22歳の時に資生堂のキャンペーンガールに選ばれデビューを果たした桐島さん。
人気は一気に爆発し、モデルや女優、CM、歌手としても大活躍していました。
25歳の時には伝説のバンド「サディスティック・ミカ・バンド」でボーカルを務めています。
ミカバンドはこのように結成されたバンドです。
小田和正さん、坂本龍一さん、松任谷由実さんなど、名立たる方達が共同作業者として携わっています。
ミカバンドは1974年11月に解散しましたが、1989年にボーカルとして桐島さんを迎え、復活。
ミカバンドを復活させたことで注目を浴び、更に自由奔放な姿に人々は目を奪われました。
しかし奔放に見える桐島さんですが、演じていたのではないでしょうか。
本当は繊細で感受性が鋭かったのでしょう。
若い頃に経験した様々なことで敏感になり、何をすればみんなが喜ぶか感じたと思えてなりません。
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