1980年のテレビドラマ「翔んだカップル」で人気を博した桂木文(かつらぎあや)さん。
アイドルの期間は短かったものの、人気絶頂期には絶大な人気を誇りました。
今回はそんな桂木文さんの結婚や轟二郎さんとの噂、現在の情報などお伝えしていきます。
桂木文のプロフィール
本名:蟹江文(かにえあや)
生年月日:1960年12月16日(昭和35年)
出身地:愛知県名古屋市
血液型:O型
デビュー:テレビドラマ「ムー一族」(1978年)
代表作:「翔んだカップル」(1980年)
#一目惚れした俳優女優を明かす
桂木文さん
テレビ版「翔んだカップル」の圭ちゃんで好きになりましたね pic.twitter.com/8WNrXXyqrB— 映画はディナーの後で🍇 (@dream_high777) July 17, 2022
桂木文の結婚はわずか7か月でピリオド。
1980年の「翔んだカップル」のヒロインに抜擢され、一躍人気アイドルの仲間入りをした桂木文さん。
愛らしいルックスで絶大な人気を誇りました。
40年以上経った今も、当時の世代の人が好きだったアイドルとして挙げることも少なくないほどです。
そんな桂木さんは25歳だった1985年、電撃的に結婚を発表。
相手が「ツッパリ落語」などと言われ一風変わった落語家だったため、多くの人が驚いたそう。
林家しん平が桂木文と結婚したとき、落語家同士が一緒になったとかん違いしたひとがいたとかいないとか。 pic.twitter.com/7FZdElAXr6
— 磯田勉 (@isopie_) May 25, 2022
2人は知人女優からの紹介で1985年1月に出会いますが、この時相手が桂木さんにひとめぼれ。
押しの一手だったそうですが、その一途さに桂木さんも惹かれての結婚だったそうです。
しかしそれからわずか7か月後、世間は再び驚かされることになりました。
出会いから約1年後、入籍してから7か月が過ぎた1986年2月に2人が離婚を発表したのです。
この時離婚会見が開かれましたが、桂木さん自身は涙をぬぐいつつ「私がすべて至らなかった」と言い、それ以外には多くを語りませんでした。
出会いから婚約に至り、そして結婚、離婚まで含めても約1年間での出来事。
離婚に至るまでは、両家の親も仲裁に入り何度か話し合われたこともあったそうですが、解決はされませんでした。
きっかけは2人が喧嘩をして桂木さんが家を出たことで、それまでの不満が一気に噴き出したとも言われています。
また、この結婚生活では桂木さんが摂食障害に陥っていたとも噂され、結婚相手からも「太って丈夫になれと言われた」と離婚会見で語っていました。
猛アタックされて結ばれ、幸せな結婚生活が待っていたはずの桂木さんを不憫に思う人も少なくなく、多くの同情が寄せられたのだそうです。
桂木文は共演した轟二郎と交際していた?
桂木文さんをトップアイドルの座に押し上げたテレビドラマ「翔んだカップル」の共演者の中に、真剣交際を噂された人物がいます。
それがコメディアンでタレント、俳優など多岐にわたりお茶の間の人気者だった轟二郎さんでした。
実は現在でも桂木文さんと結婚した相手が、轟二郎さんだったと思っている人も少なくありません。
交際について当時どのような噂だったのかは詳細が確認できませんでしたが、熱愛報道は実際にあったようです。
そして報道は事実で、真剣交際をしていたという噂が有力だとの見方がありました。
しかしこの時の桂木さんは将来を期待された人気アイドル。
所属事務所としてはアイドルから立派な女優として大事にしていきたい時期でした。
轟さんは桂木さんの所属事務所の社長から呼び出しを受けたとされています。
そして社長からは「彼女にとってはこれからが大事な時期。真剣に愛しているのなら彼女のために別れてほしい」という申し出があったのだとか。
今でこそ有名人の恋愛や結婚は昔よりも自由に、そして尊重されるようになりましたが、当時は将来のために泣く泣く別れること、この類の話や噂は当たり前とされていた時代でした。
轟さんは全盛期後もタレント活動を続け、家庭も築かれていたそうですが2020年8月、病気により65歳という若さで他界されています。
轟二郎さん他界の報道により、桂木文さんを思い出された人も少なくなかったそうで、それほど2人の印象が強かったということなのかもしれませんね。
桂木文の現在は再婚して引退?別格のルックスだった若い頃
桂木さんは離婚後もドラマ出演などを中心に芸能活動を継続していました。
しかし話題となるような役回りはなかなか巡ってこず、単発での出演が目立つように。
多くのファンに支持されながら伸び悩んだ背景には、ヌード写真集の影響や離婚によるイメージダウンなどが囁かれました。
そして2002年のドラマ出演を最後に、活動の形跡を見ることはまったくなくなってしまうのです。
引退したという発表も特になく、桂木文さんの情報は一切不明のまま現在に至っています。
一般男性と再婚をして子供も儲けたという噂もあるようですが、真偽は不明です。
現在の消息はわかっていない桂木文さんですが、人気絶頂の若い頃にはそのルックスは別格だったという声も多く聞かれます。
父親は日本人ですが母親が日本人とインド人のハーフだそうで、桂木さんはクオーターです。
【本店2F尊いジャケ新入荷】TVドラマ『ムー一族』でデビューしたアイドル、桂木文'79年の2ndシングル『目覚めの午後』。TV版『翔んだカップル』のヒロインを演じていた彼女にメロメロだった私なので、今日これが入荷しただけで良い日。 pic.twitter.com/F9pycMKFos
— サウンドパック本店(中古レコード・CD) (@soundpak) March 7, 2020
本当に愛らしい顔立ちで、デビュー後すぐに人気が爆発した理由がよくわかりますね。
どの局もコロナと総集編ばかりだな
そんな私はBS12で『ムー一族』
桂木文が可愛いんだよなー
長野にイベントで来た時レコード買ってサインと握手して貰ったなァ。
デビューシングル短編小説ね
そして今年還暦なのか…#BS12トゥエルビ #ムー一族 pic.twitter.com/3tjJgMP5VN— M0 MI M0 MI (@Junjohayasuura) May 4, 2020
これだけ愛らしいルックスの桂木文さんの活躍が2002年以降見られなくなり、惜しんだファンも当時は少なくなかったのではないでしょうか。
若い頃これだけ可愛いのですから、現在の桂木文さんもきっと可愛らしく年を重ねているに違いありませんね。
桂木文の離婚会見に同席した海老名香葉子が残酷と噂
ここでもう一度離婚した時の出来事で、当時話題となっていたことを振り返ってみたいと思います。
桂木さんの離婚に関しては、実は離婚会見に多くの注目が集まりました。
元夫は仕事のため出席していませんでしたが、桂木さんと同席したのはなんと、元夫の師匠林家三平の妻である海老名香葉子さん。
しかも離婚会見が行われたのは林家三平の自宅だったのです。
この会見では海老名香葉子さんの発言が元で、桂木さんに同情が寄せられることになりました。
話ずらそうにしている桂木さんをよそに、離婚の原因について「林家しん平も大人じゃなかったけど、文さんは肉体的にも精神的にも大人じゃなかった。女性になりきれなかったということ」などと発言。
「文さんはぬいぐるみを抱いて寝るようなウブでかわいい子だから」とも語りました。
当然記者からはその発言について「肉体的に、とはどういうことか」と問われます。
これに対しても「文さんを病院にも連れて行った。自分は子供なんだと文さんは悩んだ。これで察してほしい」と海老名さんが返答。
そこで桂木さんは「私がすべて至らなかった」と語ったのでした。
桂木さんの身体的なことを晒されるようなものだったため、当時この離婚会見を見ていた人からは海老名香葉子さんが残酷だという意見も多かったと言われています。
桂木さんが悪いわけではないのに、この離婚会見の内容は胸がいたくなりますね。
様々なことに配慮されることが多くなった今の時代では到底ありえないような会見です。
このような辛い出来事も乗り越え、桂木文さんの現在は幸せであって欲しいと祈りたいですね。
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