栗林誠一郎(くりばやしせいいちろう)さんはビーイングに所属していたシンガーソングライターです。
ZARDの「君がいない」や「Don’t you see!」、DEENの「永遠をあずけてくれ」の作曲者として有名です。
数々の名曲を残しましたが、1998年以降表立った活動が全くなく、消息不明の状態です。
そんな栗林誠一郎さんについてお伝えします。
栗林誠一郎のプロフィール
愛称:くりりん
本名:栗林誠一郎
生年月日:1965年(昭和40年)2月11日
出身地:東京都
栗林誠一郎は現在何してる?消息を絶ち引退状態
1990年代のJ-Pop業界を席巻していたビーイング系のメインの作曲家と言えば、織田哲郎さんと栗林誠一郎さんでした。
元々はシンガーソングライターでしたが、ビーイング系のアーティストに提供した楽曲が大ヒットし、作曲家としての認識の方が世間的には高かったようです。
作曲家としての本格的なデビューは、1987年にTUBEが発売したアルバム「SUMMER DREAM」に、「Stay in my eyes」と「憧れのハワイ航路」を提供したのが初めてでした。
ZARDを始めとるすビーイング系のアーティストに楽曲提供し、ミリオンヒットもいくつか出しました。
ですが、1997年の自身のライブのMCで、バックバンドのギタリスト・増崎孝司さんが「今後他アーティストに楽曲提供はしない。」と公表し、その後栗林さんの作曲した楽曲のリリースが激減しました。
そして1998年8月に9枚目のアルバム「Frosted Glass」を発表し、渋谷CLUB QUATTROにて1年振り行われたライブを最後に活動休止をしてしまいました。
活動休止を宣言してのライブだったかどうかが定かではないのですが、アンコールが終了しても観客からの拍手は鳴り止まず、終演のアナウンスがあってもその場を離れなかったファンがたくさんいたそうです。
それ以降、2023年現在に至るまで約26年間、栗林誠一郎さんに関する新しい情報は全く明らかにされていません。
ファンの間でも、ご存命であるかどうかも確認できず、生死を心配している書き込みやツイートも多々あります。
栗林さんがご無事である事を望むあまり、”印税の儲けで不動産をやって、悠々自適に暮らしているに違いない”などのストーリーを生み出してしまうほどです。
ですが、いくら印税で稼いだとはいえ、何十年も生活をして行くためには貯金を切り崩すにも限界があるでしょう。
ファンの方の妄想も、あながち的外れではないような気がします。
ZARD・坂井泉水との関係
ZARDが全盛期だった1990年代には、ファンの間で坂井泉水さんと栗林誠一郎さんは付き合っているのではないか、という噂がありました。
栗林さんはZARDに大量の楽曲を提供していましたし、坂井泉水さんの書く歌詞とのマッチングも素晴らしく、坂井さんも栗林さんの曲が好きだとインタビューでも語っていました。
ファンにお2人の仲を想像させた要因で最も大きかったのは、栗林さんがBarbier(バルビエ)という名義でリリースしたアルバムのアートワークでした。
Barbier first
ZARD+栗林誠一郎によるスペシャルユニットのファーストで唯一のアルバム。オリジナル3曲に加えZARDカバー7曲という構成。流しておくだけでオシャレでヨーロピアンな雰囲気が漂う。「first」っていうくらいだから、secondも出るんじゃないかと思って今でも待っているんだけど。 pic.twitter.com/oNmaNK7uGi
— pray (@zardeienforever) November 24, 2017
このアルバムのアーティスト名に使ったBarbierというのはジョルジュ・バルビエというアール・デコの画家から来ていて、アルバムジャケットもジョルジュ・バルビエの描いた男女のイラストを使用したものでした。
実は、昔のヨーロッパのアートコレクターの間では、「バルビエの作品をプレゼントしたカップルは必ず結ばれる」と言われていたのです。
更に栗林さんが、「描かれている男女は自分と坂井さんだ」と説明した事から、ファンの間で”お2人は恋仲なのでは?”と憶測を呼ぶこととなりました。
アーティスト名義をBarbierと名付け、イラストも使用するほどですから、その迷信のような話を栗林さんが知っていたとしても全く不思議ではありません。
これらの事を考えると「やはりお2人は・・・」とファンが盛り上がっても仕方がないように思われます。
このアルバムに収録された10曲中7曲はZARDへの提供曲の英語詞カバーで、坂井泉水さんもゲストボーカルとして参加しています。
ちなみに、2007年に執り行われた坂井泉水さんの葬儀・お別れ会では、栗林さんのお姿を見ることはできなかったそうです。
天才メロディメイカーを失ったビーイング
栗林誠一郎さんが活動を休止したのとほぼ同タイミングで、同じくビーイングで大量のヒット曲を作っていた織田哲郎さんもビーイングを離脱しています。
ほぼ同じタインミングだったのが単なる偶然なのか、何かがビーイング内で起こったのかは明らかになっていません。
ただ、織田哲郎さんとビーイングの創設者である長戸大幸さんの間には軋轢があった、という噂もあります。
この2人の天才メロディメイカーたちを失ったビーイングは、それ以降かつての勢いを失っていきました。
坂井泉水に上杉昇、織田哲郎に栗林誠一郎、そこに明石さんとか葉山さんとか池田さんとかの神アレンジャーで名曲の永久機関かのようだった頃のビーイング楽曲たまらなくすき…
— 歩未 (@summersail14) November 22, 2018
今だにビーイング系アーティストの曲といえばこのお2人の作曲された曲が取り上げられます。
織田哲郎さんはその後も作曲家として精力的に活動されています。
活動がなくなってから25年が経とうとしている現在でも、栗林誠一郎さんの新しい楽曲を待ち望んでいるファンは多数いらっしゃいます。
いつかまた、栗林さんの新しい曲が聴ける事を願いたいですね。
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