楳図かずおの吉祥寺にある家の中をレポート!赤白ボーダーシャツを着ている理由とは!

楳図かずおの自宅は吉祥寺の閑静な住宅地に

緑深く覆われた外壁から、中庭を通ると立派な洋風の館が楳図さんのお家です。
外観は話題になった赤と白の壁、そして玄関の扉は深い緑色です。

玄関には数多くのオブジェが飾ってあり、
壁には、まことちゃんや猫目小僧など楳図かずお作品に登場する人形たちでいっぱいです。

楳図かずおの家の中心は階段

一階大広間の床も赤と白のタイルで作られています。
また、シンメトリーで左右に広がっていく階段が存在します。
階段には相当のこだわりがあるらしく、ホラー漫画でも非常に重要な役割があると言います。
1969年に発表された「おろち」という作品に出てくる洋館をイメージを作られたとのことです。
地下室から逃げ出した少年が逃げようと必死に這いずる、恐ろしいシーンに階段が登場するのです。

赤白ボーダーをこよなく愛する楳図かずお

楳図かずおさん曰く、赤はお母さん、緑はお父さんの色らしく、赤と緑がいろいろな場所で使われている理由のようです。
ウォークインクローゼットには、トレードマークである赤と白のシャツがこれでもかというくらい掛けられています。

また、真っ赤な部屋から上がる屋根裏部屋には、へび女のオブジェが飾られています。

小学校の頃から漫画家のプロになると決めていた

楳図さんはプロを意識して、漫画を描いていたようです。


中学でデビューすることを目指していました。
11歳のときに出会った手塚治虫の新宝島は、楳図さんに多大な影響を与えました。
プロになるには、この絵を超えないと行けないと考えたと言います。

1955年、楳図さんが高校三年のとき、14歳で描いた「森の兄妹」がデビュー作として出版されます。
かわいらしい童話風のタッチで、ヘンデルとグレーテルの世界を描いたものです。
この作品が出版されたことで、漫画家になると決意を固めたとのことです。
そのときの裏表紙にはステンドグラスが描かれており、それが自宅の壁に本物のステンドグラスとして飾られています。

当時は、ホラー漫画を出版してはいけなかった?

貸本漫画家として人気を博していたが、デビュー当時はホラー漫画を出版できませんでした。
怖いものを漫画にするなどということは、常識的になかったためです。

しかし1966年、少女漫画誌に掲載された「へび少女」が爆発的にヒットします。
恐怖漫画ブームを全国へと広めました。

一時は、週刊誌と月刊誌を合わせて6本の連載を抱えるほど、多忙を極めていました。
恐怖漫画の名作を次々と生み出していきました。


ところが、1990年の「14歳」を最後に筆を止めてしまいます。
腱鞘炎が原因とされています。

映画「マザー」を監督

2014年、新たな活動として実写映画作品を撮りました。

「マザー」という映画は、楳図さんと母親の織りなす恐怖の物語で、
主人公の楳図かずおを演じるのは、歌舞伎役者の片岡愛之助さんです。

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