ちばてつやの自宅は墨田区から練馬区へ。トキワ荘での日々。満州で敗戦を経験

代表作『あしたのジョー』で知られる漫画家のちばてつやさん。

実家があった墨田区から練馬区に転居し、長年同じ土地に暮らし続けて、練馬区名誉区民にも選ばれています。

今回は、練馬区にあるちばさんの自宅の情報を確認しましょう。

また漫画家が集うアパート「トキワ荘」での日々、満州での敗戦体験に迫ります。

ちばてつやのプロフィール

本名:千葉徹彌

生年月日:1939年1月11日

出身地:東京府東京市京橋区(現在の東京都中央区)

最終学歴:日本大学第一高等学校

ちばてつやは墨田区で幼少期を送る

ちばさんは幼少期を墨田区で過ごしました。

元々は父親の故郷だった千葉県海上郡飯岡町(現在の旭市)で暮らしていましたが、その後墨田区に移り住んでいます。

両親と4人兄弟の6人家族で、長男だったちばさんは、弟たちと仲良く元気に暮らしていました。


通っていた墨田区立小梅小学校では、言問橋や吾妻橋から川へ飛び込むという肝試しが流行していたそうです。

ちばさんは臆病でできなかったものの「飛び込める子は英雄だった」と語っています。

一家は小梅町で暮らし始めた後、何度か墨田区内で転居をくり返しました。

隅田公園のひょうたん池でザリガニを釣ったり、泳いだりと、楽しい毎日を送っていたそうです。

隅田川沿いにある桜並木、お祭りの風景、路地のドブ板。

風情ある下町の風景は、ちばさんの胸の中で長年、思い出として輝き続けていました。

日本大学第一高校に在学中、新聞で漫画家の募集広告を出していた日昭書店に応募します。

同社に採用された結果、本格的に漫画家として執筆活動を始めました。

1956年、17歳で描いた『復讐のせむし男』が貸本として出版され、高校生漫画家としてデビューを果たします。

その後は高校に通いながら、貸本漫画を描き続けました。

高校を卒業するとともに、実家がある墨田区を離れることになります。

ちばてつやの練馬区の自宅

ちばさんは高校卒業後、編集者からのすすめで墨田区から練馬区に引っ越しました。

以来、練馬区に暮らし続け、2017年8月には練馬区名誉区民となっています。

引っ越した当時の練馬は、まだ開拓されておらず、大根畑やキャベツ畑、草むらばかりの土地でした。

ちばさんは自然に恵まれたこの土地を気に入ったそうです。

また練馬区には手塚治虫さん、馬場のぼるさんなど、先輩漫画家が多く暮らしていました。

漫画家は孤独な職業ですから、すぐ近くに先輩たちが暮らしていることを、非常に頼もしく感じたそうです。

漫画家たちとのつながりを持ちやすく、自然も豊かな点が大きな魅力だったのですね。

ちばさんの自宅の正確な位置は不明ですが、大量の資料が詰まった仕事部屋のある、立派な一軒家であることがわかっています。

80歳を超えてもなお、仕事部屋として使っている屋根裏の部屋で、精力的に漫画を描き続けてきました。

屋根裏にこもって漫画を描く様子は、まるで勉強をせずに両親から隠れて漫画を描いている少年のようですね。

漫画が大好きな少年の心を持ち続けてきたからこそ、ちばさんはいつまでも変わらず現役で活動できたに違いありません。

トキワ荘での日々を漫画化

2021年6月、ちばさんは23年ぶりの短編集『あしあと ちばてつや追想短編集』を発売しました。

同時に漫画誌「ビッグコミック」に連載していたエッセイ漫画『ひねもすのたり日記』の最新4巻も発売。

いずれも豊島区にあった漫画家アパート「トキワ荘」での日々や戦争体験など、自身の半生を描いています。

前者の短編集に収録された『トモガキ』は、若い頃に大怪我を負い、トキワ荘の仲間に漫画を代筆してもらったエピソードです。

石ノ森章太郎さん(当時の石森章太郎)と赤塚不二夫さんが、1958年の作品『ママのバイオリン』を代筆してくれたといいます。

そもそもちばさんがトキワ荘に入ったのも、怪我を負ったことがきっかけでした。

怪我をしても仕事を継続できるよう、支え合える仲間を求めて暮らし始めたのですね。

4畳半ほどの狭い部屋に、野心を燃やす若手漫画家たちが、肩を寄せ合い生活していました。

木造の古いアパートで、階段はきしみ、トイレは悪臭が漂っていたそうです。


劣悪な環境でも、初めて同じ志を持つ仲間と共同生活を送ることに、ちばさんは大きな希望を見出していました。

同人誌に作品を投稿したり、勉強会をしたりと、切磋琢磨し合いながら充実した下積み時代を送っていたのです。

ちばてつやは満州で敗戦を迎える

墨田区での幼少期、トキワ荘での下積み時代は、いずれも非常に楽しそうな様子でしたね。

ただちばさんの人生に幸福な出来事ばかり起きていたかと言えば、そのようなことはありません。

戦時中は非常に過酷な体験をしていました。

ちばさんが中央区の病院で生まれた後、一家は朝鮮半島を経由し、満州国奉天(現在の中国の遼寧省瀋陽市)に渡りました。

6歳のときに満州で敗戦を迎えます。

両親と幼い弟たちとともに、命からがら日本に引き揚げることになりました。

多くの子供やお年寄り、足が不自由な人が、中国からの引き揚げ途中に力尽きて亡くなっています。

食べ物がなく、飢え死にする人も多かったそうです。

戦時中に占領者側だった日本人たちは、中国人たちから恨まれていました。

しかしちばさんの一家は幸運にも、父親と仲の良かった中国人男性と再会でき、かくまってもらえたのです。

日本人をかくまえば、中国人でも軍からにらまれる危険性がありましたが、その人は一家を守ってくれました。


つらい状況の中で人のあたたかさに触れた一家は、なんとか日本に帰国できたのです。

人を殺すのも、人を救うのも、いずれも人間。

思い出したくない体験を語り継いでくれたちばさんの気持ちを、しっかりと受け止めなければいけませんね。

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