「ハンターチャンス」の名ゼリフで世の人々に愛された柳生博(やぎゅうひろし)さん。
2023年に86歳というご年齢で亡くなられました。
そんな故・柳生博さんの直近の活躍や亡くなられた原因についてまとめました。
柳生博のプロフィール
本名:柳生博
生年月日:1937年1月7日
沒年月日:2022年4月16日(85歳没)
身長:175cm
出身地:茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)
最終学歴:東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退
晩年の柳生博は八ヶ岳倶楽部に専念
かの有名な柳生一族の末裔にあたる柳生博さん。
テレビ朝日で放送されていたクイズ番組「100万円クイズハンター」での名ゼリフ「ハンターチャンス」はあまりにも有名ですね。
俳優やタレントとしてマルチに活動していた柳生博さん。
1989年に、山梨県北杜市大泉町の西沢に「八ヶ岳倶楽部」というギャラリー・レストランをオープン。
男子は12歳になったら一人旅をさせる
という柳生家のしきたりによって中学生の頃に一人旅をした柳生博さん。
この時に西沢を訪れていたことから西沢に「八ヶ岳倶楽部」を開設したそうです。
また移住した主な理由は、当時中学生だった長男が学校でいじめにあっていたようです。
そして祖父からの、「悩んでいるときは野良仕事をしなさい」という教えて従い、東京都の二重生活を始めたのだとか。
移住した西沢には松の人工林が広がっており、生涯にわたり紅葉やブナといった植樹を行い、森の復活に精を注ぎました。
晩年は芸能活動よりも八ヶ岳倶楽部に重点を置いているようで、レストランにもよく顔を出していたそうです。
装画を担当させていただきました。『森に暮らし、鳥になった人。』⁰
本日2022年7月30日「八ヶ岳倶楽部」では柳生博さんのお別れの会が開催されます。私は出席がかなわず(前日の宿まで抑えていたのですが)離れた場所ですが、本を手に、柳生さんを偲び、言葉を追いかけて一日過ごすつもりでおります。 pic.twitter.com/8e7vu3JtET
— Mako/真子*書籍『スケッチジャーナリスト』 (@makograpejelly) July 30, 2022
そして植樹活動以外にも、野鳥の保護にも力をいれ、2004年から2019年まで野鳥の会会長に就任をしていました。
あくせく働くよりも自然に囲まれてゆったりと生活するほうが性に合っていたのかもしれません。
柳生博の死因
自然に囲まれた生活を送っていた、柳生博さん。
2022年の4月16日に、家族に見守られる中、自宅で亡くなれました。
原因は、老衰です。
そして2022年7月30日には、八ヶ岳倶楽部でお別れ会が開かれました。
今年4月にお亡くなりになった #柳生博 さんのお別れ会が #八ヶ岳倶楽部 で行われました。
深いご縁から何かとご指導くださり本当にありがとうございました。
お披露目された「パパの石」、また会いに行きます。 pic.twitter.com/mE3Wv9FEip— 臼井友基(うすいゆうき) (@usui_yuki0812) July 30, 2022
同会には、お笑いコンビの爆笑問題が献花をしたり、俳優の平泉成さんがビデオメッセージを送ったそうです。
平泉は「柳生さんは、役者をするよりもっと大切なものを見つけられたのかもしれませんね。節くれだったその手は、大きな石と格闘をしてきた手でした」
喪主を務めたのは次男の宗助さん。
パパらしいお別れ会がでできたと語っていました。
自然と向き合い、自宅で家族に看取られる最後は、悲しいけれども幸せな最期だったのではないでしょうか。
柳生博の妻は峰不二子?
芸能界で活躍し今は悠々自適な毎日を送る柳生博さん。
女優や声優として活動していた二階堂有希子さんと結婚しています。
柳生博さんも二階堂有希子さんも有名人なのに結婚した時期は不明。
きっとお二人元プライベートを公にしたくなかったんでしょうね。
二階堂有希子さんはルパン三世のTVアニメ第一弾で峰不二子の声を担当していたことでも知られています。
また、グレース・ケリーやオードリー・ヘプバーンの吹き替えもしています。
既に芸能界からは引退している二階堂有希子さん。
柳生博さんと結婚したタイミングで家庭に入ったのでしょうか。
今は柳生博さんとともに八ヶ岳倶楽部の運営に携わっているようです。
柳生博の息子は有名人!長男と次男のどっち?
柳生博さんと二階堂有希子さんの間には二人の息子がいます。
長男の名前は真吾さんで、次男の名前は宗助さん。
長男・真吾さんは園芸家として活躍していました。
2000年から8年間、NHKの「趣味の園芸」でメインキャスターを務め、年配の人が楽しむ印象が強かった同番組を若い人にも普及させた功労者。
園芸家として活動しながら八ヶ岳倶楽部の代表でもあった真吾さん。
これから益々の活躍が期待されていましたが2015年の5月に咽頭がんにより47歳という若さで亡くなっています。
自然を愛する柳生博さんの血を色濃く継いで園芸家となった真吾さん。
一方、次男の宗助さんは園芸の道には進まず商社マンとしてシンガポールに赴任していました。
ところが自分の命が長くはないことを悟っていた真吾さん。
2014年2月にシンガポールにいる宗助さんの元を訪れ、八ヶ岳倶楽部を手伝うように頼んでいたそうです。
始めは難色をしめしていた宗助さんですが、真吾さんが亡くなった後でその意志を受け継いで八ヶ岳倶楽部の社長に就任しています。
一流の商社から八ヶ岳倶楽部に転職するとなると奥さんが反対しそうですが、宗助さんの奥さんも八ヶ岳倶楽部で一緒に働いているそうです。
真吾さんの思いが宗助さんのみならず奥さんの心も動かしたのかもしれませんね。
現在は八ヶ岳で悠々自適、俳優業は引退?
1989年にオープンさせた『八ヶ岳倶楽部』は現在(2023)、次男の宗助さんが代表取締役となりバトンタッチ。
八ヶ岳で悠々自適な生活を奥さまと満喫しているかと思いきや。
どうやら奥さまである元女優の二階堂有希子さんが認知症を患ってしまったようです。
二階堂有希子さんといえば、『ルパン三世』の峰不二子(初代)の声を担当したことで知られています。
柳生博さんと結婚する際は、まだ無名の俳優と人気女優の結婚に周囲から反対されたそうですが、柳生博さんの猛アタックにより2人は結婚。
二階堂有希子さんは1940年生まれですので、2023年現在は83歳ですが、認知症を患ったのは2013年の73歳。
人生100年時代といわれる現代、子育てや仕事から解放されこれから人生を楽しむ年齢ともいえます。
認知症を患ってしまった原因はわかりませんが、二階堂有希子さんは、長男を亡くしたことのショックで『解離性健忘』を併発していました。
解離性健忘とは、ストレスやトラウマにより、自分にとって重要な記憶が思い出せなくなる記憶障害です。
この病気を併発したことでさらに認知症の症状が悪化してしまったといわれています。
長男のお別れ会にも出席できなかったそうです。
2023年現在は、特別養護老人ホームに入っているそうで、柳生博さんは週に3回ほど奥さまに会いにいっていたとのこと。
空気の綺麗な八ヶ岳で、最愛の奥さまとのんびり過ごしてほしかったですが、こればかりは仕方ありませんね。
俳優活動としては、2019年、実に20年ぶりとなる連続ドラマ『やすらぎの刻〜道』に出演しました。
本人曰く、これが最後のドラマ出演と語っていました。
少し寂しい発言ですが、テレビでその活躍をみるのは、それが最後となってしまいました。
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