向井亜紀の夫・高田延彦との馴れ初め。双子の子供はアメリカ留学。養子縁組で親子に

2003年にアメリカで代理出産に成功し、双子の男児を授かって反響を呼んだ向井亜紀(むかいあき)さん。

不妊治療で悩まれていたというのは、向井さんの有名なエピソードです。

ところが日本には代理出産の法制度がないため、戸籍や国籍などの問題が山積みでした。

その後子供たちと養子縁組したようですが、これまでの経緯を詳しくみていきたいと思います。

その前に夫・高田延彦さんとの馴れ初めも紹介します。

高田延彦は向井亜紀に一目惚れで猛アプローチ!

ラジオ番組『ミスDJリクエストパレード』のパーソナリティーとして人気を集め、グラビア、トレンディドラマ、エッセイの執筆など多方面で活動してきた向井亜紀さん。

1964年11月3日生まれ、埼玉県さいたま市出身です。


夫は「出てこいや!」でおなじみの元プロレスラー・総合格闘家の高田延彦さん。

総合格闘技・PRIDEの立ち上げに尽力した人物で、草創期にはヒクソン・グレイシー選手と二度対戦し、いずれも敗退。

とりわけ初戦では日本のエース格が敗北を喫したことに衝撃が走り、スポーツメディアには叩かれ、プロレスファンの失望を招きました。

特に強烈だったのがアントニオ猪木さんの「よりによっていちばん弱い奴が出た」というコメントです。

1994年に結婚した妻のことは「向井」と呼んでいるそうですが、亜紀さんの本名は「髙田亜紀」。

亜紀さんの母は娘の彼氏の試合を観てめまいをおこしたことがあり、結婚式の引き出物は2㎏の鉄アレイセットでした。

テレビに出演していた向井亜紀さんを見て一目惚れした高田延彦さん。

猛烈なアプローチを重ねてようやく初デートにこぎつけます。

二人でワインを13本を空けたあと、帰りのタクシーの中で高田さんはいきなりプロポーズ。

けれどもご本人は酩酊状態でその時の記憶がまったくなし。

普段はお酒が強い高田さんもプロポーズには酒なしで告白できなかったようです。

そして1週間後に週刊誌が「高田&向井熱愛!」とスクープ。

自分が「結婚してくれ結婚してくれ」と繰り返し叫んでいたことを記事で初めて知りました。

そこにはあの時のタクシーの運転手の証言が。

渡る世間は鬼ばかりとはこのことですね。

このあと、およそ5年間の交際期間を経て二人はゴールインすることになります。

結婚後はおしどり夫婦として称され結婚から約18年後の2012年11月には『第5回プラチナ夫婦アワード』を受賞されました。

その授賞式のインタビューでは「結婚して18年も経った今でも仲良しである秘訣とは」という質問に対しお2人は「喧嘩後は必ず握手すること」と答えています。

高田さん曰く「夫婦喧嘩も試合と同じ。物事をうやむやにせず二人で締めることが大事」だそうです。

向井さんはその握手について「先に手を差し出すのは私」と言いその場を沸かせました。

お2人の絆の深さが感じられますよね。

代理出産で双子誕生&子供たちはアメリカ留学

高田延彦さんと結婚した向井亜紀さんは、2000年9月に妊娠と子宮頸がんが同時に発覚。

子宮の全摘出手術を受けるとともに、新たな命も失う悲しみを味わいました。

子供が産めなくなったことで夫に離婚を持ちかけると、「それは離婚の理由にならない」という返答。

代理出産を選択したのは、「高田の遺伝子を残したい」という強い思いからでした。

2002年8月、夫妻はアメリカ・ネバダ州へ渡り、代理出産に挑むことに。

三度目の挑戦で、体外受精を経た胚を代理母シンディ・ヴァンリードさんの胎内に移したところ、二つの胚が着床。

2003年11月28日、シンディさんは帝王切開により双子の男児を出産しました。

翌2004年1月、帰国した夫妻は満面の笑みを浮かべて会見を開き、双子の写真を披露。

二人のこれまでの迷いや決断、代理母となる母体のリスクなどが注目され、大きな話題を呼んだニュースでした。

長男の万里(ばんり)くん、次男の結太くんは2023年に20歳を迎えます。

出生の事実については子育ての中で伝えてきており、自宅には代理母シンディさんの写真も飾ってあるのだそう。

子供たちは都内にある自宅近くの幼稚園に通い、小中学校も公立学校で過ごしましたが、中学3年生の途中からアメリカへ留学。

2年生の時の短期留学プログラムで現地が気に入ったらしく、みずから留学を希望したそうです。


2023年現在、向井亜紀さんは息子たちと遠く離れて暮らしています。

大学進学はアメリカになるのか日本になるのか現時点では不明ですが、手塩にかけて育てた息子たちが手を離れていく時は確実に近づいているようです。

向井亜紀は子供を特別養子縁組していた

アメリカでは認められている代理出産ですが、日本にはまだ法制度がありません。

そのため万里くんと結太くんには国籍や戸籍の壁が立ちふさがりました。

出生時の国籍取得は、アメリカは出生地主義の国。

出生した国の国籍が与えられる方式です。

一方、日本は血統主義の国。

親の国籍を受け継ぐ方式です。

アメリカ生まれの息子たちはアメリカ国籍であり、日本の役所は向井亜紀さんを母とする出生届を受理しませんでした。

日本の戸籍法では、出産した女性でなければ母親と認められないからです。

子供たちの実母はシンディさんでした。

戸籍をめぐる争いは最高裁までもつれ込み、3年以上かかりましたが、結局万里くんと結太くんは亜紀さんの実子とは認められず夫妻は敗訴。


とはいえ、海外での代理出産により子供を授かった日本人夫婦の多くは事実を隠し、実子として出生届を出して受理されるといいますから、有名人として出生秘話がオープンになっていた高田・向井夫妻は不運といえば不運でしょう。

けれども向井亜紀さんは、のちに特別養子縁組が成立したことを2009年のブログで告白。

これにより家族の戸籍は新しいものになり、また二人の息子は日本とアメリカの二重国籍になったそうです。。

母親の条件は血のつながりか、それとも出産という行為なのか。

いろいろなことを考えさせらた向井亜紀さんの代理出産。

そして特別養子縁組が成立したとしても2人のお子さんは21歳までにどちらの国籍を取るか決めなければなりません。

2人の息子さんたちが成長する中で様々なドラマがあった向井さんと高田さん。

双子の息子さんたちが中学2年生になったころ高田家では大きな変化があったと言われています。

それは長年住まわれていた豪邸を売却し引っ越しをしていたのです。

まだ二人のお子さんが中学生だったということもあり何故そのタイミングで豪邸を売り払い引っ越しされたかご近所の方もとても不思議だったようです。

引っ越しをしてから約1年後に2人の息子たちはアメリカにある高校へ進学することとなりました。

もしかすると彼たちが中学生のころからアメリカへの進学を決めていたのではないでしょうか。

そのため今まで育ってきた豪邸を売却し今後向井さんと高田さんの二人で生活する用のお家に引っ越されたのではないでしょうか。

代理出産を経験しそのことについて今までオープンに語ってきた向井さんだったからこそお2人に代理で出産してくれた二人の実母であるシンディーさんについても詳しくお話されたのではないでしょうか。

お2人の息子さんも中学生となり今後の進路についても深く考え始めた時期だったのでしょう。

ですが向井さんの愛情は誰よりも育んできたのではないでしょうか。

常に2人の息子のことを考え「わざわざ進学校に通わさず伸び伸びと育ってほしい」、「双子だからと比較せずそれぞれの個性を活かした子育て」

を意識して母親として育ててこられたと、ご近所さんやテレビ関係者の方が公言されています。

やはり今まで愛情を育み育ててきても本当の母を知りたいという探求心は止められなかったのでしょう。

そして「代理出産」についても日本ではまだまだ浸透されていません。

またお2人の息子さんは日本の父である高田延彦と代理出産をした実の母であるシンディーさんの日本とアメリカのハーフです。

まだ日本ではハーフ差別が残っていることもあり代理出産として高田さんと向井さんが愛情を込めて育ててきても世の中の見方は理想より厳しいようです。


息子さん達もその部分では日本で生活することが難しかった部分ではないでしょうか。

またアメリカには実母のシンディーさんやそのほかの多くの国籍の方が住まわれています。

子供たちがアメリカ留学を決めたのは、複雑なルーツを持って育ってきたからこそもっと幅広くいろんな方と交流し経験を積んでいきたいという息子さんの新たな願いだったのかもしれません。

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