萬屋錦之介の死因&病気とは。 殺陣は天下一品! 美空ひばりとは不仲だった?

萬屋錦之介の死因&病気とは。 殺陣は天下一品! 美空ひばりとは不仲だった?

映画が日本人の数少ない娯楽の一つだった頃、「錦ちゃん」「錦兄ィ(きんにい)」と呼ばれて愛された時代劇スターがいました。

梨園の名門・播磨屋に生まれ、映画界へ転身してトップスターとなった萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さんです。

今回は萬屋錦之介さんの病気や死因、殺陣について、また共演者としておなじみの美空ひばりさんにフォーカスしてお送りします。

萬屋錦之介は何の病気だった? 死因は?

1982年、萬屋錦之介さんは歌舞伎座公演中に倒れ、入院します。

重症筋無力症と診断され、8月には胸腺腫の摘出手術もしますが、驚異的な回復力をみせて克服。

1984年放送の『子連れ狼』で復活をはたします。

芸能生活50周年を迎えた錦之介さんは、テレビドラマの時代劇や現代劇をはじめ、歌舞伎座の舞台にも出演。

甥・五代目中村時蔵さんの息子たちの初舞台では口上を述べるなど、役者人生は順調に見えました。

錦之介さんが喉の不調を訴えたのは1996年春のことです。

診察を受けると、咽頭がんと判明。

このため翌年放送予定だった大河ドラマ『毛利元就』の尼子経久役を降板します。

7月に入り、扁桃と舌の半分を切除する手術。

この手術で錦之助さんは声がでなくなり、会話を筆談で行う状態になりました。

食べられる食事は流動食のみだったそうです。

そんな中、錦之介さんは復帰をめざして懸命に舌を動かし、声をだすトレーニングに励みます。


経過は良好で、翌97年2月には一時退院が許されるほどに回復。

しかし、25日に突然高熱に襲われます。

肺炎でした。

闘病生活で抵抗力が落ちていたこともあり、そのまま帰らぬ人となったのです。

(引用)3月10日、午後2時41分、大物俳優が千葉県柏市の国立がんセンター東病院で息を引き取った。

この俳優は萬屋錦之介。

同7日から危篤状態が続き、妻で宝塚の男役トップスターだった甲にしき(当時54)ら親族が毎日枕元で励まし続けたが、その願いはかなわなかった。

享年64歳。(引用)

中村玉緒さんが後に語ったところによると、錦之介さんの訃報を聞いた勝新太郎さんは、「俺の兄弟の一人がいなくなってしまった」と嘆き、自身も闘病中で葬儀への参列をはたせず、残念がっていたとのことです。

勝新太郎さんは錦之介さんの後を追うように、わずか3か月後に他界しています。

萬屋錦之介、殺陣は天下一品!

かつて時代劇をお家芸としていた東映。

萬屋錦之介さんはその看板俳優でした。

錦之介さんが時代劇の第一人者となりえたのはその容貌のおかげだけではなく、梨園育ちであらゆる稽古事に通じていたことや芸熱心であったことも大きいでしょう。

もちろん見事な殺陣もそのひとつですね。

『宮本武蔵』の宮本武蔵、『子連れ狼』の拝一刀、『柳生一族の陰謀』の柳生但馬守宗矩。

東映退社後も剣豪たちを迫力の殺陣で熱演し、時代劇の伝統を守る気概を貫禄十分にみせてくれました。

宮本武蔵役では二刀流も披露。

同じく殺陣では定評のあった松方弘樹さんの生前の言葉です。

(引用)「大好きだったのは、錦兄ィ(きんにい)の芝居ですね。

若い頃の僕の芝居を見たらほとんど錦兄ィのマネをしています。

『中村錦之助』の時の錦兄ィはセリフの切れも動きも天下一品ですよ。

それで『柳生一族の陰謀』の時に錦兄ィには『もうちょっとレベル落として』と言っていました。

他の人と差がありすぎて、浮いてしまうんです。

凄くできるから、やりすぎちゃうんですよ。

そうすると、例えば相手役の成田三樹夫さんもすばらしい役者でしたが、現代劇出身だからどうしてもバランスが悪くなってしまうんです」(引用)

萬屋錦之介、美空ひばりと共演、最初は不仲?

萬屋錦之介さんの映画界入りのきっかけは美空ひばりさんでした。

良い共演相手を探していたひばりさんの目に留まり、『ひよどり草紙』で相手役としてデビューしたのです。

後年、二人は対談でこんなことを言っています。

(引用)中村「ひばりちゃんは、はじめて会った人から誤解されて、ぶってるとかなんとか云われるだろう?」

美空「そうらしいわね」

中村「ぼくがそうだったんだ(笑)。

ほら、はじめておやじさん(時蔵)の楽屋でひばりちゃんと会ったとき、なんだかぶってるし、ぼくも短気だから、『なにおー』と思っちゃった。

それで、白状するとネ、まだ時間があったけれど、『もう顔をしますから』と言って、顔をこしらえに行ったんだ(笑)」

美空「こっちはこっちで、『なんてまあ、不愛想な人だろう』と思ったわ(笑)」

中村「ひばりちゃんはいいひとだな。

つきあうと好きになる」(引用)

二人の絆はひばりさんの最後の病床まで続きました。

ひばりさんの体調が思わしくない時、錦之介さんは毎日お見舞いに顔をだしたそうです。

梨園育ちでありながら、門閥も何もない実力主義の世界に憧れて歌舞伎界を飛び出した萬屋錦之介さん。


日本映画の黄金期を支え、時代活劇スターとして夢や希望を与えてくれました。

映画界への転身、3度の結婚、事務所の倒産、息子の死、病魔との闘い。

波乱万丈な芸能人生でしたが、その輝きはいつまでも色褪せません。

萬屋錦之介の息子・妻・兄弟まとめ!家系図がすごい&中村獅童は甥!