死体役、斬られ役などがメインの大部屋俳優としてキャリアをスタートさせた、川谷拓三(かわたに たくぞう)さん。
1995年に54歳の若さで肺がんにより、惜しまれつつ亡くなりました。
しかしその生涯はドラマにもなり、通な映画ファンには今でも根強い人気がある名脇役です。
女優だった仁科克子さんを妻に持ち、その間に生まれた子供たちもやはりエンタメ業界で活動した経歴があります。
息子である仁科貴さんと娘の仁科扶紀さんの詳細や、孫の存在についても見ていきながら、その知られざる素顔を紹介したいと思います
川谷拓三のプロフィール
愛称:拓ボン
本名:仁科拓三
生年月日: 1941年7月21日
身長:160cm
出身地:高知県安芸市出
最終学歴:市立安芸中学
所属事務所:なし(故人)
息子・仁科貴について
川谷さんの父親は日活の撮影カメラマンだった川谷庄平さん。
さらに母親の二三子さんは女優という、まさに映画一族でした。
1970年に生まれた長男の仁科貴さんも、当然のように俳優になります。
大女優・高峰秀子さんの夫としても知られた松山善三監督の、『虹の橋』にエキストラとして出演したのがデビューとなりました。
朝の連続テレビ小説『オードリー』にも出演し、代表作と言われています。
さらにオフィス北野に所属し、北野武監督の作品にも出演するなど、デビュー当初は順調でした。
しかし2002年に大麻所持で1年間の謹慎を命じられます。
その後はあっという間に復帰を果たし、2018年にフリーになるまで北野作品をメインに活躍しました。
近年では2019年のテレビドラマ『サウナーマン〜汗か涙かわからない〜』に出演しており、父親の面影を思わせる風貌で、二世の脇役俳優としての地位は確立したと言えるでしょう。
汗と一緒に涙も流せますhttps://t.co/Pl0Un25ogv #女性自身 @jisinjp
— takashi_nishina 仁科 貴 (@takashi_nishina) March 2, 2020
娘・仁科扶紀の現在
川谷さんの長女で、仁科貴さんの姉にあたる仁科扶紀さんも、「仁科ふき」名義で女優としての活動経験があります。
1966年生まれのため2023年で57歳ですが、1997年の大河ドラマ『毛利元就』への出演を最後に、その姿はとらえられていません。
実質引退しており、現時点で俳優として活動しているのは仁科貴さんのみのようです。
川谷拓三の孫はいるのか
川谷さんに孫がいるかについては、ネット上でさまざまな噂が飛び交っています。
音楽グループである「ゲスの極み乙女。」のメンバー、川谷絵音さんが孫ではないかと考える人もいるようですがまったくのデマです。
孫の情報については一切記載がありませんので、仮にいるとしても芸能界隈の関係者である可能性はまずないでしょう。
川谷さんは生前、金銭感覚がないうえにお人よしで、すぐ人にお金をあげてしまうところがあったようです。
それどころか個人事務所のお金を経理担当社員に横領され、7,000万円を失うなどした結果、亡くなった時点で貯金はゼロになってしまったのです。
子孫に遺す財産もないうえに、若くして病魔にむしばまれてしまったことを考えると、自身の医療費をねん出するのにも苦労する不遇の晩年だったのでしょう。
息子の貴さんも地道にキャリアを積んでいるものの、もしかすると父親のような面があると自覚しているからこそ、子供を育てるよりも川谷家の損害を埋めるために必死で働くことを選んだのかもしれません。
扶紀さんについては完全な推測になってしまいますが、父親や弟の失敗を通して芸能界に嫌気がさしたのだとすれば、子供がいるとしても芸能界とは無関係のところで秘かに守り育ててきた可能性が高いでしょう。
大部屋から上り詰めた悪役俳優であり、室田日出男さんの「ピラニア軍団」の一員でもあった川谷さん。
地道な努力で俳優としては大成したものの、家族を支えられるだけの遺産を失ったことからも、優しすぎた人柄がうかがえるでしょう。
せめて今後も川谷さんのファンが絶えることなく、その人柄が忘れ去られることのないよう願わずにいられませんね。
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