アーティストとして高い評価を受けていた石井竜也(いしい たつや)さん。
それに満足する事なく様々な挑戦をしますが必ずしも良い結果だけではなかったようです。
石井竜也のプロフィール
生年月日:1959年9月22日
出身地: 茨城県北茨城市
血液型:O型
身長:175cm
最終学歴:学校法人 文化学院
石井竜也の出身高校と大学は?
正統派の楽曲からコミックソングまで幅広い楽曲を世に送り出した米米CLUB。
奇抜な衣装とステージパフォーマンスも人気の要因でした。
そんな米米CLUBの象徴的な存在だったのが石井竜也さん。
最近は歌手だけでなく空間プロデュースやデザイン制作など芸術家としても活動しています。
茨城県北茨城市で生まれ育った石井竜也さんは3歳の頃から油絵を習い始めたそうです。
美術科を設置する高校もありますが石井竜也さんが進学したのは磯原高校の普通科。
高校に進学しても絵画を続けた石井竜也さんは高校1年生の頃、日展に最年少で入選する快挙を達成。
東京芸術大学への進学を希望していたそうですが入試に落ちてしまい文化学院へ入学しています。
文化学院の美術科で油絵を専攻し、19歳の時には画商が付く程の腕前だった石井竜也さん。
絵画の他にも女装やドラキュラのコスプレなど様々なアートパフォーマンスを行っていたそうです。
大学生の頃に行っていたパフォーマンスの進化系が米米CLUBのステージパフォーマンスなのかもしれません。
石井竜也さんは文化学院を卒業後、サークル仲間だった小野田安秀さん、大久保謙作さん達と共に米米CLUBを結成。
13社ものレコード会社の争奪戦を経てメジャーデビューするとその後の活躍は皆さんご存知の通り。
日本のミュージックシーンを語る上で欠かすことが出来ない超人気バンドとなりました。
石井竜也の実家は石井屋?
幼少期から油絵を習っていた石井竜也さん。
子供の習い事としては油絵は非常に珍しいですよね。
そのため実家が美術関係の仕事をしているのかと思いきや、石井竜也さんの実家は和菓子屋。
店名は「石井屋」といい100年以上も続く老舗の和菓子屋だったそうです。
石井竜也さんの祖父は和菓子作りの名人というだけででなく、龍の絵を筆で描くのも得意だったんだとか。
また、石井竜也さんの父も絵画が好きだったそうです。
石井竜也さんは油絵を習い始めたのは祖父と父親の影響だったようですね。
100年以上も続いた石井屋ですが後継ぎがいなくなってしまったため閉店。
また残った建物も2011年の東日本大震災で全壊してしまったそうです。
名実ともに無くなってしまった石井屋。
ただ、石井竜也さんのファンの心の中には間違いなく残り続ける事でしょう。
石井竜也を救った父の一言とは?
米米CLUBの活動と並行して様々なソロ活動も行っていた石井竜也さん。
ソロライブツアーや展覧会の開催、イベントプロデュースなど成功した活動もあれば失敗した活動も。
特に大きな失敗となってしまったのが映画監督。
石井竜也さんは1994年の「河童 KAPPA」、1996年の「ACRI」で監督を務めますがいずれも興行的には失敗。
「ACRI」の興行失敗が米米CLUB解散の原因になったとも言われています。
監督を務めた映画の失敗により約15億円もの負債を抱えることになった石井竜也さん。
一時期は自殺を考えるくらい思いつめてしまったそうです。
そんな石井竜也さんを救ったのは父の言葉。
お前はたぶん今人を恨んでるだろう。お前は今夢を売って、夢を作ってきたんじゃないか。人を恨んだり憎んだりして良い作品ができるか?
金なんてものは結局心がないものだろ?そんな心のないものにお前は命を預けちゃうのか。こんなくだらないものに命を預けるなんて、お前はそこまで馬鹿じゃないよな
元々、雄弁ではなかったという父の言葉に石井竜也さんは奮起。
必死でコンサートを行い、2006年には米米CLUBを再結成するなど負債の返済のため身を粉にしています。
いいじゃないか、借金があっても。多少あった方ががんばれるわ
と語るなど負債を前向きに捉えられるようになった石井竜也さん。
既に負債は全て返済し終わったようです。
15億円を完済するのは並大抵の努力ではなかったはず。
必死に仕事に取り組んだ石井竜也さんが人として一回りも二回りも成長出来た事は間違いないでしょう。
石井竜也の娘サリーナは芸能人。結婚歴、妻マリーザとの再婚騒動
コメント