名曲『オリビアを聴きながら』で知られる歌手の杏里(あんり)さん。
近年はアメリカのロサンゼルスを拠点に活動しており、現地で人気を確立しています。
国際的に活躍している歌手ですが、親御さんも華やかな経歴の持ち主のようです。
杏里さんの実家が温泉という情報、実業家の父親、さらに母親の詳細を確認します。
併せて英語力の高さと出身高校の情報も見ていきましょう。
杏里のプロフィール
本名:川島栄子
生年月日:1961年8月31日
身長:168cm
出身地:神奈川県大和市
最終学歴:県立希望ケ丘高等学校中退
所属事務所:IVY Records
杏里の実家は裕福で、父親は温泉を経営する実業家
まずは杏里さんの実家と、実業家の父親について見ていきましょう。
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杏里さんは両親と兄3人の合計6人家族の元で生まれました。
父親は黒部ダム建設に関わった後、土木業や生コン業を営んでいたそうです。
1964年開催の東京オリンピックでは、施設建築に関わりました。
高度経済成長期において、日本の発展を第一線で担っていたのですね。
さらに大和市中央林間で温泉を湧出させることに成功し、温浴施設「中央林間ハッピーランド」を経営し始めました。
杏里の父親が経営していた中央林間の温泉施設ハッピーランドは、2000年代に入り改装で男専用施設に→経営者が代わりらいおんハートの湯に改名→年寄りのデイサービス施設になり一般の銭湯としての営業終了で現在に至ります。 pic.twitter.com/Ugu4P3H8aO
— 原子心鯔(マリー・アントワネット/細川ガラシャ) (@AtomHeartMullet) August 2, 2020
つまり杏里さんの実家は温泉ではありませんが、父親が温泉の経営者だったということですね。
父親は過酷な労働を経て、実業家として成功し、一代で財を築いた人だったのです。
その生涯がドラマ化されたら、さぞ面白い伝記作品になるでしょうね。
父親は昭和の男らしく厳格で、食事中にちゃぶ台返しを行うことがよくありました。
大抵は末っ子の杏里さんが父親の正面に座らされ、ちゃぶ台返しの被害を受けていたそうです。
それでも父親のことが大好きだった杏里さんは、北海道出張に無理やりついて行ったといいます。
厳格でも子供たちに深い愛情を注いでくれる父親だったからこそ、家族からは慕われていたのですね。
父親は2000年に急逝しましたが、何事にも臆さずチャレンジした生き方は、杏里さんの心の支えであり続けています。
杏里の母親は常に夫をサポート
杏里さんは父親についてよく語っていますが、母親についてはあまり話していません。
もちろん母親との仲も良かったのでしょうが、今もひっそりと暮らしている母親の個人情報を漏らさないようにしているのでしょう。
実業家の妻ですから、専業主婦として家庭を支えていた可能性が高いですね。
夫の出張には同行し、常に傍でサポートしていたようです。
杏里さんはハワイ公演を含め、全コンサートに両親を招いていました。
旅が大好きな両親への親孝行だったそうです。
口下手な父親は、娘に直接コンサートの感想を伝えることはありませんでした。
母親がいつも杏里さんに、父親の感想を伝えてあげていたそうです。
父親のコメントは「声が出ていた」「すごい数の人だった」など、短い感想ばかり。
それでも欠かさずコンサートに赴いていたことから、娘の活躍を心から喜んでいたことがうかがえますね。
杏里さんと両親のきずながうかがえるすてきなエピソードでした。
杏里の英語力はネイティブレベル
杏里さんは2000年以降、アメリカのロサンゼルスで暮らしてきました。
初めてのレコーディングを行った思い出の場所であり、長年「ロサンゼルスで暮らしたい」と夢見ていたそうです。
すでに20年以上現地で暮らしているため、英語力はネイティブレベルのはず。
ロサンゼルスでの生活に憧れていたのですから、デビュー当初から英語の勉強を続けていたのではないでしょうか。
デビュー曲『オリビアを聴きながら』でも、「Making good things better」という英語のフレーズを美しい発音で歌い上げています。
バイリンガルの国際的な歌手として、現地では『オリビアを聴きながら』をすべて英語で歌っているのかもしれませんね。
杏里は希望ヶ丘高校を卒業
杏里さんは神奈川県横浜市の公立高校・希望ヶ丘高校を卒業しています。
タレントの伊藤かずえさんや、バレーボール選手として活躍した佐々木太一さんら、複数の有名人を輩出した学校です。
2023年現在は全日制の偏差値が67と高いですが、定時制は偏差値が低下しつつあるようです。
かつては需要があったため、定時制ももう少し高偏差値だったといいます。
杏里さんは定時制に通って、歌手活動と勉強を両立させていました。
在学中から非常に歌がうまく、歌手デビューの話が持ち上がったことで、運命が変わったのです。
夏休みにロサンゼルスでレコーディングし、2年生のときに『オリビアを聴きながら』でデビューしています。
ただ当初はヒットせず、なかなか苦労したようです。
その後正確な時期は不明ですが、杏里さんは高校を中退し、歌手として本格的に活動する道を選びました。
1983年、角松敏生さんによるアルバム『Bi・Ki・Ni』のプロデュースを担当。
洗練されたアーティストとして、杏里さんは瞬く間に注目されます。
さらにアニメ『キャッツ・アイ』の主題歌『CAT’S EYE』を歌い、全国的な知名度を獲得しました。
やっぱりキャッツアイでしょ杏里さんはw
— unforgiven (@unforgi82430605) December 3, 2021
高校中退から数年の間に努力を重ね、チャンスをつかみ、見事にトップ歌手として花開いたのです。
杏里さんの華麗な活躍に、かつてのクラスメイトたちも驚き、喜んだことでしょうね。
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