渡辺貞夫と結婚した妻&子供は娘が一人?家族が力の源、兄弟が殺害の真相

日本ジャズシーンのレジェンド的存在の渡辺貞夫(わたなべ さだお)さん。
渡辺貞夫さんがいなければこれほどまでに日本にジャズが浸透していなかったかもしれません。

渡辺貞夫が結婚した妻は?

最近では「レジェンド」という言葉が軽々しく使われている事は否めません。
ですが、渡辺貞夫さんをレジェンドと呼ぶ事に異論を唱える人はいないでしょう。


実家は電気屋でしたがかつて父は薩摩琵琶奏者として活動していたそうです。
そのため幼少期から音楽に親しんできた渡辺貞夫さん。

終戦後に進駐軍のラジオから流れるアメリカの音楽に大変な衝撃をうけたたそうです。

15歳の時に観た映画「ブルースの誕生」がきっかけでクラリネットを始めると高校生の頃には地元のアマチュアバンドに参加。
ステージで演奏するようになりました。

高校を卒業した1951年に渡辺貞夫さんは2年間という期限付きで上京。
上京後は数々のバンドに参加して演奏活動を行う日々。

そんな時に渡辺貞夫さんはトップ・ピアニストとして活躍していた穐吉敏子さんに誘われ1953年に「コージー・カルテット」に参加。
当初は2年経ったら実家を継ぐ予定だった渡辺貞夫さんですが、兄が出征から無事に帰ってきたためにその後も音楽に専念。

1956年に穐吉敏子さんが渡米した事でバンドリーダーとなった渡辺貞夫さん。
その翌年の1957年に貢子さんという女性と結婚しています。

気風の良さなど渡辺貞夫さんが望む性格を全て持っていたという貢子さん。
貢子さんにあやかりたいという思いから渡辺貞夫さんは貢子さんに結婚して貰ったそうです。

渡辺貞夫さんは結婚から5年目の1962年に穐吉敏子さんからバークリー音楽院への留学を持ち掛けられます。
今と違って海外に渡る事は大変な事だった当時。
日本での音楽活動も順調でしたが、貢子さんが快諾してくれた事もあって渡辺貞夫さんは留学を決意。

1965年に帰国した渡辺貞夫さんはジャズミュージシャンとしてそれまで以上に大活躍。
貢子さんが代表となり個人事務所も立ち上げています。

まさに公私に渡って渡辺貞夫さんを支え続けた貢子さんですが2010年11月に死去。
きっと渡辺貞夫さんは貢子さんの存在の大きさを日々、感じている事でしょう。

渡辺貞夫の子供は娘が一人?

1957年に貢子さんと結婚した渡辺貞夫さん。
その翌年に1人娘である長女の眞子さんが誕生しています。

ジャズミュージシャンとして活躍する渡辺貞夫さんですが娘は音楽の道には進んでいません。
動物を保護する活動や作家として活動しており、動物愛護に関する本も何冊か出版しています。
音楽の道には進まなかった娘ですが渡辺貞夫さんの仕事の手伝いをする事はあるようです。

現在、渡辺貞夫さんは娘と二人で暮らし。
妻に先立たれて寂しい気持ちも娘がいる事で癒されている事でしょう。

渡辺貞夫は家族が活力になっている?

80歳を過ぎた今でも現役のミュージシャンとして活躍する渡辺貞夫さん。
その力の源となっているのが家族だそうです。

妻が亡くなってしまった事で家族が娘だけとなってしまった渡辺貞夫さん。
娘には「かっこよく生きて欲しい」という思いがあり、そのためには自分が精一杯頑張らないといけないと思っているんだとか。


父の仕事をサポートする娘。
また、娘のために頑張ろうと思う父。

これ以上ないほど理想的と言える素敵な親子関係ですね。

渡辺貞夫の兄弟が殺害されていた?

2002年9月9日に渡辺貞夫さんの兄、渡辺登幾雄さんが殺害された事が大きく報道されました。

1人暮らしだった渡辺登幾雄さん。
9月6日の正午に知人と会ったのを最後に姿が見えなくなり捜索願が出されました。
そして9月9日、遺体が布団にくるまれた状態で押し入れの中で見つかったそうです。

その後、雑貨販売業の男性と無職の男性が強盗殺人の罪で逮捕。
裁判の結果、2名とも無期懲役が確定しました。

古美術品の収集を趣味としていた渡辺登幾雄さん。
2001年には古美術品などの研究に従事さいた事が評価されて文科省から地域文化功労者の表彰も受けています。

そんな渡辺登幾雄さんの収集品に目を付けた犯人達。
渡辺登幾雄さんの名前を騙って刀の鞘を売っていたそうで、それがバレたために犯行に及んだようです。


渡辺登幾雄さんが家業を継いでくれたから音楽活動を続けられた渡辺貞夫さん。
兄弟であり恩人と言っても過言ではない存在だったことでしょう。

そんな兄が殺害されたと聞いた時の渡辺貞夫さんの心境は察するに余りあります。

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