山下洋輔が病気?妻と息子、家族について。タモリを発見、自宅立川の交流大使

ジャズピアニストとして第一線で活躍し続けてきた山下洋輔(やました ようすけ)さん。

最近は病気という噂があるようですが、本当でしょうか。

併せて妻、息子、家族はいるのか確認。

タモリさんの発見者としてのエピソード、長年住んでいる立川での活動にも迫ります。

山下洋輔のプロフィール

本名:山下洋輔

生年月日:1942年2月26日

身長:不明

出身地:東京都

最終学歴:国立音楽大学作曲科

山下洋輔は若い頃に病気で療養

山下さんが病気という噂があるようですが、近年はとくに大きな病気を患っていない様子です。

2013年に病気を患ったものの、すぐに回復したようで、大病ではなさそうでした。


彼が病気で療養したのは、1967年から1年半ほどの期間です。

肺浸潤にかかった結果、演奏家生命を脅かされるほどの状態に陥りました。

しかししっかりと療養したおかげで、約1年半後にはステージに上がれるようになります。

復帰後の1969年、テナーサックスの中村誠一さん、ドラムの森山威男さんと共に「山下洋輔トリオ」を結成しました。

コードやテンポに関係なく、自由に演奏する「フリージャズ」で一世を風靡。

また山下さんは、学生運動で殺気立っていた早稲田大学のバリケード内での演奏も快諾しました。

闘争心を燃やす学生たちに囲まれながらも、見事なピアノ演奏を見せたのです。

一時は病気により、二度と演奏できないかもしれない状況に追い込まれた山下さん。

だからこそ復帰後は、型に捉われない演奏で、音楽への情熱を存分に表現するようになったのでしょう。

妻は田村洋子。状況劇場公演のピアノは妻の実家から持参

山下さんの妻は田村洋子さんです。

山下さんは1967年8月、花園神社で行われた唐十郎さんの「状況劇場」公演に音楽担当として参加。

ピアノ、ドラム、サックスを持参し、即興演奏を披露しました。

このとき持参したピアノは、妻の洋子さんの実家から入手したそうです。

しかし秋には山下さんが病気になったため、洋子さんはきっと必死に看病したのでしょう。

彼女は長きにわたって、仕事面でも生活面でも夫を支え続けていたようですね。

息子は営業マン。家族は歴史上の重要人物が多数

山下さんの息子は、営業マンとなりました。

「父にはまともな家に住んで欲しい」と考え、住宅展示場で働き続けてきたそうです。

父親想いのしっかりした息子さんですね。

また山下家には、歴史的に重要な役割を果たした人々が多くいます。

山下さんの父方の曽祖父・山下房親は、薩摩藩士でした。

西郷隆盛の計らいで上京し、警察組織の設立に貢献。

父方の祖父・山下啓次郎は、建築学を修めたのち、司法建築専門の建築家となりました。

祖母・直子の妹は、末弘ヒロ子です。

日本のミスコンテストにおける最初の優勝者とされ、野津鎮之助侯爵の妻となります。

その娘の夫には正田美智子様の弟がいるそうです。

さらに山下さんの父・山下啓輔さんは、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業し、三井セメント会長に上り詰めた実業家でした。

母方の祖父・小山松吉は司法大臣を歴任した重要人物のため、両親共に名家出身だったことがわかりますね。

山下さんは名門一族に生まれ、音楽の才能にも恵まれたサラブレッドといえるでしょう。

山下洋輔はタモリを発見。芸能界デビューのきっかけを作る

山下さんは、タモリさんが芸能界デビューするきっかけを作った人でもあります。

これまで2人は度々、ラジオ番組やイベントなどで対談してきました。

タモリさんのファーストアルバム『TAMORI』の単独曲『ソバヤ』を作曲したのも山下さんです。

「ソバヤソバーヤ」というコーラスにもかかわらず、アフリカ風の音楽に聞こえる面白い曲ですね。

さまざまな形で交流してきた2人が初めて出会ったのは、1972年のことでした。

渡辺貞夫さんのグループと共に福岡公演中だった「山下洋輔トリオ」。

終演後は宿泊先である「タカクラホテル福岡」の一室で、楽しく飲みながら騒いでいました。

テナーサックスの中村誠一さんは、籐のゴミ箱を頭からかぶり、虚無僧の物真似をしていたそうです。

そのとき、彼らと同じホテルにいたのがタモリさんでした。

彼もまた、早稲田大学のジャズ研究会でトランペットを吹いた経験のあるジャズマンです。

学生時代の仲間が渡辺さんのグループに参加していたため、タモリさんは彼らに会いに来ていたのです。

帰りにホテルのエレベーターに向かう途中、山下さんたちがいる部屋の騒音を聞きつけます。

当時の部屋はオートロックではなかったため、タモリさんは彼らの部屋のドアを開け、どんちゃん騒ぎを目撃。

瞬時に「俺のいるべき場所だ」と悟り、踊りながら騒ぎに乱入したのです。

山下さんたちは、見知らぬ男がいきなり乱入してきたため、面白さのあまりさらにテンションが上がったようでした。

彼が何者かもわからないまま、大爆笑しながら騒ぎ続けたのです。

しかしタモリさんが籐のゴミ箱を中村さんから取り上げ、頭にかぶって踊り始めたとき、ついに中村さんが怒ります。

彼が得意だったでたらめの韓国語を使い、「誰ニゲンナ」「ゴスミダ」などと言ったのです。

するとタモリさんは、さらに面白いでたらめの韓国語で返答。

おまけにフランス語やドイツ語、イタリア語まで続き、山下さんたちは爆笑のあまり呼吸困難になるほどでした。

その後彼らは「面白い男がいる」と周囲に言いふらした結果、タモリさんは3年後に全国区の有名人となったのです。


見知らぬ人が入って来ても、面白さによっては一緒に騒げる。

まさにジャズのジャムセッションの精神ですね。

ジャズマンのタモリさんだからこそ、ジャズバンドのメンバーと意気投合し、大きなチャンスをつかめたのでしょう。

山下洋輔の自宅は立川。たちかわ交流大使に就任

2021年現在、山下さんは東京都立川市に暮らしています。

30年以上前に3匹の猫と共に引っ越して以来、長年住み続けてきました。

引っ越した当初、白猫のミオが新しい自宅に慣れないためか、出かけてから帰って来なくなってしまいます。

山下さんはミオを探し続けて17日目、阿豆佐味天神社(あづさみてんじんじゃ)に参拝し、「猫を返して欲しい」と願いました。

すると翌日、すすけたミオが台所に戻っていたのです。

阿豆佐味天神社は「猫返し神社」として話題となりました。

山下さんは神社への恩義を感じ、この街に暮らし続けようと考えたのでしょう。

またゆかりの地である阿豆佐味天神社の神楽殿でソロライブを開催しています。

山下さんの立川に対する愛が感じられますね。

2015年には「たちかわ交流大使」に就任。


立川の中学校への出張ライブや、音楽イベントへの参加などを通し、街を盛り上げてきました。

立川の人々にとって、山下さんは希望の星と呼べる存在なのでしょう。

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