放射能を描いた小説『マダム・キュリーと朝食を』が芥川賞候補となった作家、小林エリカ(こばやし えりか)さん。
漫画家・アーティストとしても活動し、エスペラントにも精通している才色兼備な女性です。
歌手の加藤登紀子さんとの対談で興味を持った方も多いと思います。
しかし小林さんは、表現に対する姿勢を述べることはあっても、ご自身の経歴についてはあまりお話をされない印象があります。
そこで今回は、小林さんの結婚と夫について、出身大学の東京大学と高校、父親の情報から経歴を紐解いていきます。
謎の多い小林さんの人となりをぜひ知ってみましょう。
小林エリカのプロフィール
本名:小林えりか
生年月日: 1978年1月24日
身長:不明
出身地:東京都練馬区
最終学歴:東京大学大学院学際情報学府修士課程
小林エリカ、夫の情報なく結婚していない?
小林さんは2017年、娘を出産しています。
しかし指輪をはめている様子はなく、夫についての情報も見当たりません。
離婚したか、未婚で出産したかはわかりませんが、シングルマザーの可能性もあるでしょう。
しかし「家の中がぐちゃぐちゃでも、子供は育つ」と発言していますので、前向きで明るい人柄がうかがえます。
育児の悩みは一人で乗り越えた?
2020年に山崎ナオコーラさんと対談した小林さんは、育児でひどく悩んだ経験があることを明かしていました。
なんでも、仕事も家事もうまくいかなくなり、すっかり落ち込んでしまった時期があるのだとか。
自分には努力が足りないのだと自分を責めて、出ない母乳を泣きながらしぼるという間違った方向の努力を重ねた毎日。
そんな経験から小説『トリニティ、トリニティ、トリニティ』を書けたそうですが、当時は本当につらかったことでしょう。
優しい聖母のような女性を母と思うことが苦しくなり、あえて残酷な番組など見たそうなので、精神的にもかなり追い詰められていたことが想像できます。
こうした過去のエピソードでも、夫については触れていない小林さん。
やはり、シングルマザーだからなのでしょうか。
協力して問題を乗り越えるようなパートナーがいなかったため、一人きりでがんばったとも考えられます。
実際はどうだったのかわかりませんが、本当に一人で乗り越えたとしたら、とても過酷ですね。
夫を公表していないだけ?
前述のとおり、夫の情報がなく結婚指輪も目撃されていない小林さん。
はっきり既婚者と分かる情報がないわけですから、シングルマザー説が浮上するのもわかります。
ですが、確実にシングルマザーとはいえないでしょう。
夫の情報はあえて出していないだけで、実は結婚している可能性もありますよね。
有名人が必ずパートナーを公表するとは限りません。
既婚者であることを長く公表せず、週刊誌報道などであとから発覚した芸能人もいます。
小林さんも、何らかの理由で夫の存在を公表しないことにしているなら、まるで独身のように見えるわけです。
結婚指輪についても、既婚者が必ずつけるものではありません。
生活で不便さを感じたり、傷がつくことを心配したりで、普段からつけない人もいますよね。
そのため、指輪がないとしても独身の証拠にはなりません。
他には、「パートナーはいるが入籍していない」ということもあるでしょう。
いわゆる事実婚の状態であれば、夫につながる明確な情報は出てこないかもしれません。
このように、小林さんの結婚についてはいろいろな可能性があります。
真実を知るには、本人が詳しく語るまで待つ必要がありそうです。
東京大学出身!高校は進学校だった?
小林さんは東京大学へ進学し、その後は同大の大学院学際情報学府修士課程を修了しています。
修士論文のテーマは『老人のためのコンピュータ』ですので、福祉や医療などに関心があったことがうかがえますね。
この論文で2001年度に東京大学から修士号を授与されました。
高校については情報がありませんでしたが、東京大学へ合格できるレベルの進学校であることは間違いないでしょう。
さらに小学校から高校まで、エスカレーター式で同じ学校に行っていたと発言しているので、国立か私立の小中高一貫校だったことがわかります。
いずれにせよ、エリート教育を受けた才女であることは事実ですね。
知性と同時に、読書やアート鑑賞などで感性も磨いて来られたことで、教養ある表現者としての小林さんが形成されていったのでしょう。
小林エリカの父は小林司
小林さんの父親は精神科医で作家の小林司さんです。
さらに日本シャーロック・ホームズ・クラブを創立するほどの熱心なシャーロック・ホームズファン、いわゆるシャーロキアンでした。
エスペラントにも精通しており、朝比賀昇(あさひが のぼる)名義で『日本エスペラント文献目録 1946-1972』も編纂しています。
妻で、小林さんの母にあたる洋子さんも、東山あかねという筆名でホームズ関連書籍を中心に作家活動をしながら夫のサポートをしていたと言います。
小林家はまさに作家一族だったのですね。
司さんは2010年、骨髄異形成症候群によって81歳で亡くなりました。
原発事故後、娘が放射能をテーマに書いた代表作『マダム・キュリーと朝食を』を読むことはなかったのです。
しかし彼女の作品には、医学や科学に造詣があった父の影響が大きい印象を受けます。
また小林さんも父と同じくエスペランティストなのは、幼少期から日常生活の中でエスペラント語に触れてきたためという可能性が高いでしょう。
例えば漫画家の小林エリカさんが、エスペランティストであるというのは、父親が著名なエスペランティスト小林司さんであって家庭内での会話がエスペラントであり日々過酷な訓練を受けたわけではなく、父から発するエスペラントの精神モードを受け取ったのではないかと考えるほうが自然だと思う。
— 丹羽良徳 Yoshinori Niwa (@YoshinoriNiwa) November 16, 2013
高い教養とセンスがある分、小林さんの表現の幅は年々広がっていくのではないでしょうか。
小林エリカの経歴まとめ
小林さんは前向きな性格の持ち主で、精力的に活動しています。
エリート校と思われる一貫校から東京大学を大学院まで進み福祉を研究、社会問題にも深く切り込む小説を書くようになりました。
その作品の背後には、父・司さんからの影響があります。
2011年に発表した『親愛なるキティーたちへ』では、アンネ・フランクと同い年である司さんとアンネを重ね合わせて描写。
戦時中の生活が克明につづられた父とアンネの日記を紐解きながら、その足取りをたどる旅をする小林さんの文体から、命の尊さや人間の強さを感じられる作品です。
最近は小林エリカさんの新刊『親愛なるキティーたちへ』を1ページ1ページ大切に読んでいます。同じ年に生まれた二人、アンネ・フランクの日記と、エリカさんの父の日記。この2冊と一緒に、アンネが過ごした土地へ、死から生へと遡りながら旅をしたエリカさん自身の日記と旅の記録。じーんときます。
— r (@eureka214) June 15, 2011
亡き父への思いを胸にした小林さんの書く小説は、より一層輝きを増していくでしょう。
イラストについても下向き加減の愁いを帯びた表情の人物が多いものの、同時に命の力強さを感じさせる明るい色合いも効果的に使われていますね。
並外れた教養とセンスを持ちながら、明るくおおらかな性格の小林さん。
21世紀の閉そく感漂う時代には、彼女の小説とアートが求められ続けることでしょう。
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