寺山修司の死因は?競馬好き&ハイセイコーに惜別の詩!数々の名言とは

没後35年が過ぎた今でも、さまざまな表現分野で輝きを放ち続ける寺山修司(てらやま しゅうじ)さん。

手がけた演劇が多くの劇団により再演されているほか、作詞した数々のポピュラーソングも世代を越えて歌いつがれています。

青森県三沢市にある寺山修司記念館には、まるで聖地巡礼のように若い信奉者が絶えることなく訪れているそうです。

今回は寺山修司さんの死因を探るとともに、造詣の深かった競馬、昭和の名馬ハイセイコーをめぐる物語、「言葉の錬金術師」が残した名言を取り上げます。

寺山修司の死因は?

寺山修司さんは大学在学中からネフローゼ症候群(腎臓疾患)を抱えており、47歳で他界するまで健康な状態には戻りませんでした。


常に病気を抱えながら仕事をしていたことになります。

演劇は共同作業のため、体調が悪くても一人だけ休むことはできません。

天井桟敷の舞台は海外での評価が高く、海外公演を行うこともたびたびありました。

体調は悪化し、1979年に肝硬変で入院。

自らの命の限界を切実に意識するようになりますが、休もうとはせず、精力的に仕事に打ち込みます。

寿命の期限を意識したからこそ、次々と仕事をこなしたのかもしれません。

1981年には肝硬変で再入院。

45歳だった当時、医師にこう告げたといいます。

あと5年間は演劇をやりたい。

とにかく60歳まで生かしてほしい。

翌1982年には、詩『懐かしのわが家』を発表し、パリ公演。

そしてついに1983年5月4日、肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発して、息を引き取りました。

47歳でした。

寺山修司と競馬と昭和のアイドルホース・ハイセイコー

たいへんな競馬好きで知られた寺山修司さん。

1973年のJRA(日本中央競馬会)のテレビCMで、こうつぶやいています。

遊びっていうのはもう一つの人生なんだな。

人生じゃ敗けられないことも遊びでだったら敗けることができる。

競馬との出会いは1956年。

腎臓疾患で入院中、同室だった韓国人の影響でした。

新聞に競馬コラムを連載したり、競走馬にニックネームをつけて個性を浮き彫りにしたり、競馬特番のナビゲーターを務めたりと、競馬をこよなく愛していました。

ユリシーズという競走馬の馬主でもあり、メジロムサシが参戦した1972年の凱旋門賞も現地で観戦。

1974年の有馬記念で2着に敗れ、引退した国民的アイドルホース・ハイセイコーに捧げた別れの詩『さらばハイセイコー』も、往年の競馬ファンにはおなじみですね。

ふりむくと

一人の少年工が立っている

彼はハイセイコーが勝つたび

うれしくて

カレーライスを三杯も食べた

少年工への視線ではじまる詩は、病気の妻を抱える失業者、車椅子の少女、親不孝者の運転手、ボクシングの四回戦ボーイといった人々へ順に視線を移し、彼らの人生模様とハイセイコーへの思いを紡ぎ出していきます。

「ふりむくと」でファンの心情を描いた詩は、最後に「ふりむくな 」と転じます。

ふりむくな

ふりむくな

うしろには夢がない

ハイセイコーがいなくなっても

すべてのレースが終わるわけじゃない

競馬とファンの人生を重ね合わせた作風が人々の心に響いたのでしょう。

寺山修司さんは、競馬にドラマ性をもたらした功労者の一人であることはまちがいありません。

ハイセイコーについても少し紹介しておきましょう。

ハイセイコーは70年代の第一次競馬ブームの立役者でした。

地方競馬から中央競馬に移籍して連勝街道を突き進み、社会現象にまでなった国民的アイドルホースです。

当時は高度経済成長がかげりを見せ、オイルショックによりインフレが起きた、時代の転換期でした。

そんな中、地方から中央に果敢に挑んだ強者という痛快な図式に、閉塞感を感じていた国民は熱狂。


地方競馬の競走馬が中央競馬を制するという構図は、後のオグリキャップが巻き起こした第二次競馬ブームでも同じです。

引退記念盤としてリリースされた同タイトルの歌『さらばハイセイコー』(作詞は小坂巖さん、補作詞は山田孝雄さん)も大ヒット。

1970年生まれのハイセイコーは、2000年、奇しくも寺山修司さんの命日にその生涯を終えました。

寺山修司の名言オンパレード!

「言葉の錬金術師」と呼ばれた寺山修司さん。

物ごとを鋭く洞察し、真実を突いた名言を数多く残しています。

いくつかピックアップしてみました。

・人間に与えられた能力の中で、一番すばらしいのは想像力である。

・貧しい想像力の持ち主は貧しい世界の終わりを持ち、豊かな想像力の持ち主は豊かな世界の終わりを持つだろう。

・この世でいちばん遠い場所は、自分自身の心である。

・大体、不満屋ってのは世の中との折り合いが悪いんじゃなくて自分との折り合いが悪い奴のことなんだから。

・ほらほら、星がでている。

でているけど、屋根があるから、ここからは見えない。

だが、見えない星も人生のうちなんだ。

見えるものばかり信じていたら、いつかは虚無におちるだろう。

・悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。

いかがでしょうか。

この研ぎ澄まされた名言の数々。

元気になるどころか、むしろ反省を促されているようで、元気を失いそうな思いがします。


あなたの心に響くものはありましたか?

あらゆる活動を通じて「言葉」にこだわり続けた寺山修司さん。

その言葉には、今を生きる私たちにも指針となるメッセージがあふれています。

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