山田太一の娘は宮本理江子、妻は寺山修司の同級生。兄弟が早世。川崎の自宅&死因は老衰

『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』などの名作ドラマを手がけた脚本家の山田太一(やまだ たいち)さん。

数々の名作を生み出してきたものの、2023年11月に亡くなっています。

そんな山田さんの娘・宮本理江子さんは演出家、妻は寺山修司さんの同級生なのだとか。

併せて兄弟の情報、自宅がある川崎市での生活の様子を見ていきます。

山田太一のプロフィール

本名:石坂太一

生年月日:1934年6月6日

没年月日:2023年11月29日(89歳没)

身長:不明

出身地:東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)

最終学歴:早稲田大学教育学部国文学科

娘はテレビ演出家の宮本理江子とTBSの元社員

山田さんには2人の娘がいます。

長女はフジテレビの演出家である宮本理江子さんです。

1986年に国際基督教大学(ICU)を卒業し、フジテレビに入社。


ドラマ制作に関わり、演出家・監督として活動を続けてきました。

大ヒットドラマ『101回目のプロポーズ』では、武田鉄矢さんが「僕は死にません!」と叫ぶ有名なシーンを演出しています。

2013年に『最後から二番目の恋』の演出で芸術選奨新人賞に輝き、親子2代での受賞という快挙を成し遂げました。

私生活では、35歳でオブジェ制作などをするアーティストの男性と結婚しています。

公私共に充実した日々を過ごしてきたようですね。

また次女はTBSの元社員とのこと。

一般人のため情報は少ないですが、今では姉と協力し合いながら父の面倒を見ているようです。

さらに息子の石坂拓郎さんも、アメリカで映画製作を学んだ後、撮影監督として活躍。

映画『世界の中心で、愛をさけぶ』には撮影助手、『さくらん』『るろうに剣心』などには撮影監督として参加しています。

優秀な血を継いだ子供たちは、山田さんにとって自慢の存在に違いありませんね。

山田太一の妻は山田和子、寺山修司と早稲田大学で同級生

山田さんを陰で支えてきたのは、妻の和子さんです。

2人は早稲田大学の同級生で、同時に劇作家の寺山修司さんとも同級生でした。

何と寺山さんは和子さんに想いを寄せていたとのことです。

しかし2人は結ばれることなく、和子さんはテレビ朝日にアナウンサーとして就職。

その後は山田さんと結婚し、長く彼を支えてきました。

ちなみに寺山さんは女優の九條今日子さんと結婚しています。

和子さんは2人の大物シナリオライターから愛された、稀有な女性と言えますね。

山田太一の兄弟は早世

山田さんの親族については、いずれも一般人で、詳細は不明です。

ただご本人の話によると、2人の兄は戦時中に肺結核で早世したとのこと。

両親は営んでいた食堂を、食糧難で畳むことになります。

家族で地方疎開をしたものの、母は疲労で亡くなりました。

残されたのは山田さんと、10歳年上の姉、妹、父だったそうです。


姉が母代わりとなって料理をすることになりましたが、なかなか大変だったとのこと、

それまでは食堂のメニューを食事にしており、一から料理を作ったことがなかったため姉は戸惑っていたといいます。

つらい戦時中も協力し合い、戦後まで生き残った山田一家。

まるで苦難によって1つになった、『岸辺のアルバム』に登場する家族のようです。

山田さんは自身の思い出も反映させながら、逆境を乗り越える家族の姿を脚本に描いてきたのかもしれません。

山田太一の自宅は川崎市

山田さんは神奈川県川崎市に暮らしてきました。

自宅は『岸辺のアルバム』で描かれた多摩川近くの住宅街にあるそうです。

和子さんと2人暮らしをしていたものの、脳出血で倒れてからは2階の仕事部屋ではなく1階のリビングで過ごしていました。

転倒に気を付けながら過ごしていたことがうかがえます。

先述の通り、今では自宅を出て老人ホーム、または娘たちの家で暮らしているとのこと。

仕事の関係者と顔を合わせず、ひっそりと過ごしているようですね。

なるべく健康に気を付けて、家族との時間を存分に楽しんでいることを願っています。

山田太一の死因は老衰

山田さんは、2023年11月29日、89歳で亡くなっています。


すぐには報道されず、同年12月1日に家族から発表がありました。

山田さんの手がけた作品に触れ、心を揺さぶられた経験がある人は、訃報に驚いたことでしょう。

素晴らしい作品を生み出す作家がまた1人いなくなってしまったのは、とても寂しいことですね。

老衰による静かな旅立ち

公表された山田さんの死因は、老衰でした。

重い病気などで亡くなる有名人もいるので、訃報を見かけて、まず死因が気になった人も多いのではないでしょうか。

そんな人たちは、病気でなかったことを知り、少しほっとした気持ちになったようです。

この気持ちはよくわかりますね。

闘病生活の中で亡くなったと聞くと、そのつらさを想像してしまうものです。

しかし、山田さんのように老衰で亡くなった場合は、ゆっくりと静かに旅立つことが多い印象です。

もちろん、体が衰えていく中では、苦労もたくさんあったでしょう。

それでも病気でなかったとすれば、ひどい症状に苦しめられることはなかったと思われます。

実際、報道では静かな最期だったことが伝えられていました。


訃報は悲しいことですが、安らかに旅立ったとわかれば、やはりほっとする部分がありますよね。

とはいえ、作家である山田さんとしては、心残りもあったのかもしれません。

いつか世に出したいと思い、長く温めていた作品のアイディアなどが存在していた可能性もあるでしょう。

それがもう見られないのは、やはり残念ですね。

訃報で名作を思い出すファン

山田さんの訃報を知ったファンは、SNSで追悼の言葉を多く投稿しています。

その中には、作品名を含むものも多数ありました。

訃報がきっかけで改めてドラマを視聴したり、小説を読み返したりした人もいたかもしれません。

また、有名な作家が亡くなったことを知り、初めて作品に触れた人もいたのではないでしょうか。

山田さんが亡くなったことはとても残念ですが、数々の名作たちは、これからもずっと愛されていくのでしょうね。


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