レオナルド熊の死因は心不全。結婚した嫁は中川加奈、息子も芸能人&性格ひどく相方25人?

破天荒を絵に描いたような人生を送ったレオナルド熊さん。

それでもレオナルド熊さんを慕う人は少なくありませんでした。

レオナルド熊のプロフィール

本名: 井上千蔵(いのうえ せんぞう)

生年月日: 1935年6月27日

没年月日: 1994年12月11日(59歳没)

出身地: 北海道樺戸郡新十津川町

最終学歴: 高校中退(学校名は不明)

レオナルド熊の死因

1994年12月11日に59歳という若さで亡くなったレオナルド熊さん。

同年10月には末期の膀胱癌が判明していますが死因は癌ではなく急性心不全。

家族と共に外食をした直後に体調を崩し、運ばれた国立第二病院で亡くなっています。


晩年は石井光三さんと「劇団七曜日」を立ち上げて後進の育成にも力を入れていたレオナルド熊さん。

良くも悪くも古き良き時代の芸能人を地で行く人でした。

癌と心不全の関係は不明

レオナルド熊さんの死因については、意外に感じる人もいるかもしれません。

亡くなる前に膀胱癌が見つかっているので、訃報が流れた際は「癌でなくなった」と想像してしまいそうです。

有名人の訃報では癌が死因ということも実際にあるので、勘違いするのも仕方ないかもしれませんね。

ただ少し気になるのは、癌と心不全の関連です。

急性心不全とは、文字通り急に心筋梗塞などが起こること。

激しい呼吸困難や血圧の低下など、体調不良がいきなり襲ってきます。

そうした症状が癌を患っている人に起こった場合、「癌の影響で」と考えてしまいますよね。

ですが、そのあたりは詳しく報道されておらず、なぜ急性心不全になったのかは不明です。

噂の中には「本当の死因は癌」といった話もあるかもしれませんが、発表されたのはあくまでも心不全なので、簡単に信じ込まない方がよさそうですね。

心不全を引き起こしたのは何か?

急性心不全の原因は、1つではないのだとか。

よくない食生活などがもたらす高血圧や、心臓の筋肉に異常が起こってしまう心筋症、正常な脈拍が乱れる不整脈など、心不全につながる要素はいくつもあります。


その中には慢性的な心不全も含まれており、何らかの理由で一気に症状が悪化した場合、急性心不全で亡くなることがあるようです。

レオナルド熊さんも、以前から心不全を患っていたのでしょうか。

ですが、生前に発表された病気の中に心不全はありません。

亡くなる前に発見された膀胱癌の他には、30代の頃に入院の原因となった結核がありますが、それだけです。

となると、もともとあった心不全が悪化した可能性は低いかもしれませんね。

急性心不全が起こる直前には、家族と一緒に焼き肉を食べていたというレオナルド熊さん。

普段の食生活まではわかりませんが、高血圧で悩むこともあったのでしょうか。

情報が少ないので想像するしかありませんが、急性心不全に関係する何かを抱えていた可能性はあるでしょう。

レオナルド熊が結婚した嫁は誰?

レオナルド熊さんは1984年2月の元女優の中川加奈さんと結婚し話題となりました。

中川加奈さんは14歳も年下でお腹の中には既に子供が。

以前から同棲していたものの、なかなか結婚できなかったのはレオナルド熊さんに原因がありました。

それは10年も元妻の行方が分からなかったから。

実は下積み時代に結婚していたんです。


ですが妻はそんな苦しい生活に耐えられなかったのか行方が分からなくなっていたそうです。

その妻とようやく連絡が取れたことで1983年に正式に離婚が成立。

めでたく中川加奈さんとの再婚する事が出来たんです。

レオナルド熊の息子も有名人?

出来ちゃった婚だったレオナルド熊さんと中川加奈さん。

お腹の中にいたのは男の子でその後、女の子も産まれています。

娘は一般人のため詳細な情報は見つかりませんでした。

一方、息子は「レオナルド小熊」という芸名で芸能活動をしていました。

父と同じ舞台に立った事もあるようです。

現在は「井上”KB”幸法」という名前でギタリストとして活動しているようです。

2歳の時からピアノを習い、ギターを始めたのは小学生の頃。

高校卒業後はロサンゼルスに渡りギタリストのBrian Madiganさんに師事。

帰国後は国内外のアーティストのサポートにドラマ、CMの楽曲製作。

最近ではギターの他にもキーボードやコーラスのサポートも行っているそうです。

レオナルド熊は性格のせいで相方を何度も交代?

多くの人に慕われ弟子も多かったレオナルド熊さん。


その一方で性格にはかなり問題があったようです。

弟子と「コント・レオナルド」名義で営業をしたり、コンビのギャラを折半せずにレオナルド熊さんの方が多く取る事もあったんだとか。

このような態度に石倉三郎は激怒。

コンビ解消と同時に交流を絶ち、亡くなるまで会う事はなかったそうです。

また、当初「コント・レオナルド」を組んでいたブッチー武者さんはノイローゼになっています。

その原因はレオナルド熊さんの虐め。

ブッチー武者さんが怪我をして舞台に出られなくなった時には「指詰め」を迫った事も。

典型的な「パワハラ」ですよね。

むしろ脅迫と言う方が適切とさえ思えてしまいます。

そうした性格が影響してか、相方は何度も変わっており、その数は何と約25人。

こんなに相方が変わっているにも関わらず性格を治す事がなかったレオナルド熊さん。

芸能界で成功するには図太さも必要なのかもしれませんね。


コンプライアンスや規律の正しさを求められる現在の芸能界。

きっとレオナルド熊さんのようなアクの強い芸人は今後出てくる事はないでしょう。

レオナルド熊の経歴まとめ

コメディアン、俳優として活躍したレオナルド熊さん。

高校卒業後に役者を目指して上京するもなかなか日の目を見る事が出来ず。

十年以上も下積みを経験した後に浅草のストリップ劇場で幕間コントを行うようになります。

それでもなかなか表舞台に出る事は叶わず。

その間に持病の結核が悪化してしまい5年も入院生活を送り、生活保護を受けていた時期もあるそうです。

そんな生活を送っている時に弟子のホープさんに紹介された石倉三郎さんと「ラッキーパンチ」というコンビを結成。

二人の息のあった掛け合いが人気となりレオナルド熊さんは注目を集める存在となりました。

ですが、体調不良で舞台を休むことが多かったため仕事が激減。

それと同時に石倉三郎さんとの関係も上手くいかなくなってしまい解散してしまいます。

その後、弟子のブッチー武者さんと「コント・レオナルド」を結成。

ところがブッチー武者さんのノイローゼや怪我が原因でコンビを解消しています。


その後は、芸能界を引退していた石倉三郎さんを呼び寄せて「コント・レオナルド」を再結成することに。

当時、漫才ブームだった事もあって「コント・レオナルド」は大ブレイク。

CMやドラマにも進出し人気を不動のものとしました。

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