羽田健太郎の死因とは。家族と息子&娘について。ヤマトとマクロスのエピソード

世間一般的にも知名度が非常に高かった羽田健太郎(はねだ けんたろう)さん。
もしかすると羽田健太郎さんほど知名度が高いピアニストは今後出てこないかもしれません。

羽田健太郎の死因となった病とは

クラシックからポップス、ドラマやアニメの楽曲まで非常に多岐に渡る活動を行った羽田健太郎さん。
タレントや司会者としても活躍し「ハネケン」の愛称で親しまれていました。


アーティストは生まれ持った才能がその後を左右する事が多いですが羽田健太郎さんは「努力の人」。

3歳の頃からピアノを始めた羽田健太郎さんですが、協調性を学ぶために4歳から東京少年少女合唱隊に入隊。
再びピアノに戻ったのは小学2年生になってからでした。

その後もピアノを続けた羽田健太郎さんは中学2年生の頃に音楽学校への進学を希望。
長年、ピアノを習っていた羽田健太郎さんですがそれまでの教師は全て「町のピアノ教師」。

音楽学校への進学を決めてから師事した有賀和子さんが初めての専門的な講師でした。

専門的な講師と町のピアノ教師ではどうしてもレッスンに差が出てしまうもの。
そのため羽田健太郎さんの演奏を初めて聞いた有賀和子さんは「1年半で間に合うか?」と感じたそうです。

猶予の無い状態だったものの有賀和子さんは基礎から教え直すことを選択。
やはり何事も一番大事なのは基礎という事なのでしょう。

有賀和子さんの指導のおかげでブービーの成績ながら桐朋女子高等学校音楽科に合格。
ですが桐朋女子高等学校音楽科はエリート揃いで全国コンクールでも入選するような生徒ばかり。

きっと羽田健太郎さんも入学後にレベルの差を思い知らされたのでしょう。
高校1年生の夏休み期間中、1日12時間という猛練習をすることで急激に実力が伸びたそうです。

羽田健太郎さんは高校卒業後、私立の音大で1,2を争うと言われる桐朋大学へ。
そして大学1年生の頃に第36回日本音楽コンクールに出場するも1次予選で落選。

ただ、失敗を無駄に終わらせないのが羽田健太郎さんの凄いところ。
ホテルでピアノの演奏をするアルバイトで経験積むと同時に舞台度胸も鍛えたそうです。
きっと羽田健太郎さんには自分に何が足りないのか分かっていたのでしょうね。

その甲斐あって第39回日本音楽コンクールでは3位を獲得。
また、大学の卒業試験では最高得点を記録し桐朋音楽賞を受賞しています。

音大出身者の多くがクラシックの世界に進みますが、羽田健太郎さんが選んだのは軽音楽。
渡辺真知子さんのバックバンドとしてピアノを演奏していた時期もありました。

ですが1982年にNHK交響楽団の定期公演でソリストを依頼された事で再びクラシックの世界に。
その後の羽田健太郎さんはクラシックと軽音楽の両方で活躍するようになりました。

ピアニストとしての知名度が上がった事で音楽バラエティ番組に出演する機会が増加。
軽快なトークで人気となりコメンテーターや司会者としても活動するようになりました。

ピアニストの中で有数の知名度と人気を誇った羽田健太郎さん。
その一方、私生活では朝、昼、夜と飲酒を繰り返す日々。

適量であれば薬にもなるお酒ですが、羽田健太郎さんは明らかに飲みすぎ。
家族に勧められて訪れた病院で倒れICUへ緊急搬送。
2度の血液透析を行ったおかげで一命をとりとめた事もあったそうです。

記念すべき音楽家生活35周年のコンサートの直前にも飲酒による肝障害で入院。
コンサート当日は高熱に耐えながらの演奏となってしまいました。

度重なる飲酒により羽田健太郎さんの肝臓にはかなりのダメージが。
その結果、2007年6月2日に肝細胞癌により58歳という若さで亡くなってしまいました。

羽田健太郎さんは見えないプレッシャーから逃れるためにお酒に頼っていたのかも。
努力家で真面目すぎるが故に肝臓を傷めてしまったのでしょうね。

羽田健太郎は家族のおかげでピアニストになれた?

人一倍の努力を積み重ね人気ピアニストとなった羽田健太郎さん。
その陰には家族の協力がありました。

クラシックの世界で活躍するアーティストの中には実家が裕福という人が少なくありません。
楽器そのものが高いですし、一流の講師に習うとなればレッスン代も馬鹿になりません。

また、羽田健太郎さんが通った桐朋女子高等学校音楽科の初年度費用は約180万円。
桐朋大学の学費は4年間で何と約850万円。
普通の家庭では簡単に払えない金額ですよね。

そのため多くの人が羽田健太郎さんも裕福な家庭に生まれ育ったと思うでしょう。
ですが、羽田健太郎さんの家庭は決して裕福と言えるものではありません。

というのも羽田健太郎さんは中学2年生の時に父を亡くしているんです。
その後は住宅会社の外交員をしていた母と祖父に育てられたそうです。

裕福とは言えない生活のなか、高校1年生の時に母がグランドピアノを購入。
それと同時に羽田健太郎さんが気兼ねなくピアノが弾けるようにと自宅を防音仕様に改築したそうです。

楽器の価格はピンキリですがグランドピアノともなると新品だと200万円は下らないと言われています。
きっと羽田健太郎さんのために母はお金を貯めていたのでしょうね。

どんな高価なピアノにも代えられないグランドピアノ。
羽田健太郎さんは人気ピアニストとなってからも大事に使っていたそうです。

また、上述の通り羽田健太郎さんは大学卒業後、軽音楽を選んでいます。
その理由の1つには長年苦労をかけた母に早恩返しをしたいという思いもあったそうです。

結果的に軽音楽を選んだ事で音楽の幅が広がった羽田健太郎さん。
世間に知られるピアニストとなれたのはまさに家族のおかげと言っても過言ではありませんよね。

羽田健太郎には息子と娘がいる?

羽田健太郎さんの妻は元タカラジェンヌの蘭ひできさん。
そして二人の間には子供が二人誕生しています。

羽田健太郎さんには息子がいるのかと話題になっているようですが息子はいません。
子供は二人とも娘です。

長女の名前は羽田紋子さん。
母である蘭ひできさん同様、宝塚歌劇団出身です。

青山学院高校から宝塚音楽学校に進んだ羽田紋子さん。
1994年に宝塚歌劇団に入団するも僅か3年で退団。
退団後は羽田紋子さんの母校である桐朋学園大学音楽学部に入学しています。

その後、東海北陸地方のラジオ番組でパーソナリティーとして活躍。
2008年から2010年にかけてはショップチャンネルにキャストとして出演していました。

現在、有限会社「羽田音楽事務所」の代表取締役を務める羽田紋子さん。
羽田健太郎さんの著作権や出版等の管理をしているそうです。

なお、次女については情報が全く見つかりませんでした。
そのため音楽の世界には進まなかったものと思われます。

羽田健太郎はヤマトの楽曲も担当

1974年に放送が始まったアニメ「宇宙戦艦ヤマト」。
その後も多くの続編や映画が製作され2010年には実写映画化。

公開日は不明ながらハリウッドでも実写映画の製作が予定されるなど、今もなお国内外に多くのファンを持つ不朽の名作です。

羽田健太郎さんは1978年に公開された「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版第2作から参加。
当初はピアニストとしての参加でしたが1983年に公開された劇場版第4作「宇宙戦艦ヤマト 完結編」からは正式に音楽担当として参加することに。


ストーリーやキャラクターだけでなく主題歌や劇中のBGMも人気が高い「宇宙戦艦ヤマト」。
その人気の高さを基に始まったプロジェクトが「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」。

このプロジェクトに抜擢された羽田健太郎さん。
他の仕事は全て断り半年以上もの年月を費やして交響曲を制作。

まさに羽田健太郎さんが心血を注ぎこんで制作した「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」。
多くの人々の心を揺さぶる名作として今も高く評価されています。

多くの作品を手掛けた羽田健太郎さんですが作曲後は楽譜を処分していたそうです。
ですが、「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」に関する楽譜だけは全て保管していたんだとか。

羽田健太郎さんが製作した唯一の交響曲でもある「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」。
宇宙戦艦ヤマトファンだけでなく羽田健太郎さんにとっても思い出深い作品となっていたようですね。

羽田健太郎のおかげでマクロスは人気作品に

1982年に第1作目が製作された「超時空要塞マクロス」。
シリーズ化されるほどの人気作となり、これまでにいくつもの作品が製作されています。

羽田健太郎さんは第1作目で主題歌とBGM、劇中歌等を制作。
自身の「ハネケン」という愛称から「ヘルシー・ウイングス・オーケストラ」と名付けたオーケストラを率いて演奏も行っていました。

今も昔も子供向けというイメージが強いアニメ。
ですがいくら子供向けであっても羽田健太郎さんは楽曲制作で手を抜くことは決してありません。

そのため羽田健太郎さんが手がけた「超時空要塞マクロス」の楽曲は高評価。
1983年には日本アニメ大賞の音楽賞を受賞しています。


また、「超時空要塞マクロス」の放送35周年と羽田健太郎さんの10回忌という節目だった2017年には初となるオーケストラ・コンサートが開催されています。
今でも「超時空要塞マクロス=羽田健太郎」と考えるファンが大勢いるのでしょうね。

これは羽田健太郎さんが「超時空要塞マクロス」に多大な貢献をしたという証明でもあります。
もし「超時空要塞マクロス」の楽曲制作をしたのが羽田健太郎さんでなければここまでの人気作とはなっていなかったかも。

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コメント

  1. なるほど!本当に凄い音楽家だったんだと改めて良くわかりました。今生きておられたら、どんな活躍をされていたかと思うと残念でなりません。良い楽曲をたくさん残してらっしゃるので、改めて聴いてみたいと思いました!