宮川泰の息子は宮川彬良、孫は3人。現在(2023)は故人。若い頃の裏話&死因は心不全

テレビの草創期から数々の名曲を発表し、日本のポップス界に大きな業績を残した作曲家の宮川泰(みやがわ ひろし)さん。

今回は、息子・宮川彬良さんが同じ作曲家を志したきっかけや、音楽活動をしている孫たちに注目します。

『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク作品で自作曲の再録音版が使用されたことからもわかるように、2023年現在も根強い人気を誇る宮川音楽ですが、笑いが大好きな性格から、若い頃はクレージーキャッツに誘われたこともあったそうです。

突然の死去は大きなニュースとなりましたが、死因はなんだったのでしょう。

宮川泰のプロフィール

生年月日:1931年(昭和6年)3月18日

出身地:北海道留萌市

最終学歴:大阪学芸大学(現・大阪教育大学)音楽科中退

宮川泰の息子は『マツケンサンバII』の宮川彬良

2003年からNHK教育テレビで放送されていた子供向け音楽番組『クインテット』。

パペットたちによる人形劇仕立ての番組のなかで、ただ一人の実写キャラ・アキラ役を演じて一躍知名度がアップした宮川彬良さん。

彬良さんは1961年2月18日に誕生した長男で、本名を宮川晶(読みは同じ)といいます。


おかっぱ頭に金色のメッシュというビジュアルは一度見たら忘れられませんね。

日本ポップス界の大御所を父にもつ彬良さんが「自分も音楽をつくる人になる」と決めたのは中学生のとき。

通っていた和光中学校には学級演劇祭という行事があり、3年生のときに、ニコライ・ゴーゴリの戯曲『検察官』をクラスで演じることになりました。

生徒一人ひとりが得意なことを活かしながら、力を合わせて、ひとつの舞台をつくっていくという楽しい経験。

劇中音楽を担当した彬良さんは、このときに「僕は将来、演劇の音楽をつくる人になる」と決めたそうです。

後年、「中学時代の3年間が今の僕をつくったと言っても過言ではないんです」とまで語っています。

東京藝術大学音楽学部作曲科を中退したあとは、宝塚歌劇団や劇団四季など多くの舞台音楽を手がけてきました。

蜷川幸雄さんが演出した舞台『身毒丸』『さらば、わが愛 覇王別姫』『ムサシ』の音楽も彬良さんによるものです。

2004年には松平健さんのショーのために作曲した『マツケンサンバⅡ』が大ヒット。

父・泰さんは生前、そんな息子について、「あいつはすごいよ、これまで何度も仕事を手伝ってもらったけど、彼を手伝ったことは一度もない」とべた褒め。

父の代表作である宇宙戦艦ヤマトシリーズにも10代の頃から関わっていたのです。

『宇宙戦艦ヤマトIII』の「第18機甲師団」や「バーナード星の戦闘」、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の「大ディンギル帝国星」などの作曲者は彬良さんです。

宮川泰の著名な孫は3人

宮川泰さんには彬良さんの下に娘がいることがわかっていますが、そのほかにも子供がいるのかどうかは情報がでていません。

したがって、孫が何人いるのかは不明でした。

広く知られている孫は、彬良さんの3人の子供たちです。


彬良さんが妻でヴァイオリニストの森由利子さんとのあいだにもうけた子供は、長女の宮川知子さん、次女の宮川安利(本名の読みは「みやがわ あり」、芸名の読みは「みやかわ あり」)さん、長男の宮川大典さん。

宮川知子はピアニスト

知子さんはリヨン国立高等音楽院ピアノ科を首席卒業し、同音楽院ピアノ伴奏科において修士を取得したのち、ピアニストとして活躍。

第14回オルレアン国際コンクールほか、数々の国際コンクールで実績を残してきた実力者です。

2021年より桐朋音楽大学嘱託演奏員をつとめています。

宮川安利は舞台女優

次女の宮川安利さんは1993年1月4日生まれ。

桐朋学園芸術短期大学演劇科を卒業したのちに渡米し、アルビンエイリーダンス学校、マリーマウントマンハッタン大学演劇科で研鑽をつみました。

2018年以降はミュージカル『ナイン・テイルズ』への出演や『ラヴ』の演出など、舞台を中心にダンサー・役者・歌手として活動の場を広げています。

宮川大典は幅広く音楽活動

長男の大典さんはピアノや和声学を学んだのち、2020年の時点で音響芸術専門学校に在籍していました。

姉弟で運営するYouTubeチャンネル「Aquaura(アクオーラ) Music」ではサウンドエンジニアをつとめています。


家族全員が何らかの形で音楽活動をしている宮川家は、時には家族コンサートを開くことも。

宮川泰さんの音楽を楽しむ姿勢は孫たちにもしっかりと受け継がれているようですね。

宮川泰は現在(2023)は故人

NHKの『紅白歌合戦』のエンディングでおなじみの『蛍の光』のタクトを2005年まで振っていた宮川泰さん。

突然この世を去ったのは、その3カ月後の2006年3月のことでした。

没後にスタートした『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクシリーズは、2021年の『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』まで制作されており、音楽を担当した彬良さんとともに泰さんも連名でクレジットされています。

泰さんが旧作用に作・編曲した楽曲が再録音版として使用されているからです。

スタッフとして名前がクレジットされていることから、旧作を知らない世代には、宮川泰さんは現役の作曲家と思われがちなようですね。

没後17年となる2023年現在も、和製ポップスの開拓者として多くのファンをもつ宮川泰さん。

生まれ故郷の北海道留萌市では、『宇宙戦艦ヤマト』をはじめとする宮川音楽の吹奏楽が今も盛んに行われているそうです。

宮川泰、若い頃にクレージーキャッツに誘われる

学生時代から関西地方にてバンド活動をしていた宮川泰さん。

大阪学芸大学(現・大阪教育大学)音楽科を中退して上京すると、まもなく渡辺晋とシックスジョーズのピアニストに迎えられ、アレンジャーとしても手腕を発揮。

渡辺晋さんは、のちにナベプロこと渡辺プロダクションを創業し、「芸能界のドン」と呼ばれることになります。

シックスジョーズを辞めたあとは独立し、作曲家・編曲家として活躍。


『ザ・ヒットパレード』や『シャボン玉ホリデー』など人気テレビ番組の音楽を担当する一方、双子の女性デュオ、ザ・ピーナッツを作曲家としてプロデュースし、『恋のバカンス』『ウナ・セラ・ディ東京』などの楽曲を提供しました。

宮川泰さんといえば、ザ・ピーナッツの育ての親というイメージが先行しますが、他の歌手にも数々の名曲を残しています。

園まりさんの大ヒット曲『逢いたくて逢いたくて』は、当初ザ・ピーナッツに提供した『手編みの靴下』に岩谷時子さんが新しい歌詞をつけたリメイク版だったのをご存知でしょうか。 

人を楽しませることが大好きで目立ちたがり屋な性格から、自らも積極的にテレビ番組に出演して笑いをとっていた宮川さん。

その派手なパフォーマンスを「主役の歌手より目立ちすぎ」と煙たがる出演者もいたようです。

一方で、お笑いのセンスを見込まれてハナ肇さんからクレージーキャッツに誘われたという裏話も。

ご本人はその気になったものの、ナベプロ社長の渡辺晋さんと妻の美佐さんに反対されてあきらめたということです。

宮川泰の死因は虚血性心不全

2006年3月21日、東京・世田谷区の自宅にて急逝した宮川泰さん。

75歳の誕生日の3日前に迎えたばかりで、死因は虚血性心不全でした。

彬良さんの話によると、前日には自宅近くで缶チューハイを購入するなどの買い物をしており、特に変わったようすはなかったとのこと。

翌朝、10時をすぎても起きてこない泰さんを心配した妻の禮子さんが寝室に行ったところ、身体が冷たくなっていたそうです。

就寝直後の午前1時ごろに死去したとみられています。

告別式では、出棺の際にブラスバンドが『宇宙戦艦ヤマト』のテーマを演奏して泰さんを送りました。

のちに彬良さんが明かしたところによると、これは故人の希望だったそう。

以前、知人の葬儀に参列した帰りに「おれの時はヤマトな」と彬良さんに託していたとのことです。


宮川泰さんが加入したクレージーキャッツを見てみたかったと思う人は多いでしょう。

でも、実現していたら『宇宙戦艦ヤマト』のテーマは生まれていなかったかもしれませんね。

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