江戸時代を舞台にした時代小説を得意とし、直木賞をはじめとする文学賞を数多く受賞している朝井まかて(あさいまかて)さん。
小説家としては遅めのデビューでしたが、次々と作品を発表して売れっ子作家へと駆け上りました。
この記事では朝井まかてさんの家族や結婚した夫、出身高校、生い立ちなどプライベートに注目します。
ペンネームの朝井まかては家族から
歌人・中島歌子の生涯を描いた『恋歌』で本屋が選ぶ時代小説大賞と直木賞をダブル受賞した朝井まかてさん。
1959年8月15日大阪府羽曳野市生まれの小説家です。
甲南女子大学を卒業後、広告制作会社にコピーライターとして勤務したあと、2008年に『実さえ花さえ』で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞してデビューしました。
2018年には、デビュー10周年に華を添えるかのように『ぬけまいる』がドラマ化。
日々の生活にストレスを抱えるアラサー江戸娘三人が家庭や仕事を放りだして繰り広げる女子旅が大好評を博しました。
演じたのはともさかりえさん、田中麗奈さん、佐藤江梨子さん。
『ぬけまいる』を執筆したきっかけは、江戸時代に存在した「抜け詣り」という幕府公認のガス抜きシステムが面白かったから。
いきなり家庭や仕事を放棄しても、「抜け詣り」の印である柄杓を持って伊勢参りの旅にでれば食事と宿に不自由することはなかったそうです。
旅から戻ってもお咎めはなく、職場復帰も問題なし。
身分が保証されたプチ家出のようなものですね。
このドラマをきっかけに朝井作品のファンになった人もいたのではないでしょうか。
東山さんは、5/18、小郡市の「狸ばやし」で行われた落語会&葉室麟さんを語る会に行ってきたそうです。登壇は桂ひな太郎師匠、憲法学者の南野森先生、作家の朝井まかてさん。まかてさんと東山さんの打ち上げでの1枚。#東山彰良 #朝井まかて #rkbラジオ #radiko #狸ばやし pic.twitter.com/F4y5FrTxI2
— 東山彰良 イッツ・オンリー・ロックンロール (@rkbrock) May 20, 2019
「朝井まかて」の名は祖母・新里マカテさんにちなんだもの。
祖母の分まで生きたいという願いをこめたペンネームです。
マカテさんは琉球出身で、新里家は首里城に勤務する役人の家でした。
のちに兄とともに大阪に移り、愛媛出身の男性と結婚。
ところが36歳で胃がんを患い、5人の娘を残して他界します。
長女は朝井まかてさんの母で12歳、末娘は乳飲み子でした。
母とともに沖縄を訪れた際、サーターアンダギーを見た母は、おやつに作ってもらった記憶がうっすらとあると懐かしんだそうです。
沖縄の親戚に訊ねても「マカテ」という名の意味はわからないとのこと。
沖縄の血が4分の1流れている朝井まかてさん。
祖母の故郷については、落ち着いたら小説にしたみたいと話しています。
朝井まかてが結婚した夫について
夫とともに大阪に住んでいる朝井まかてさん。
結婚を機に会社をやめ、夫婦で制作会社・あんばい房を立ち上げました。
夫は広告業を営んでいますが、名前や年齢など詳細については明らかになっていません。
長年の夢だった小説の執筆に挑んだのは47歳の時でした。
一世一代の挑戦の間、温厚な夫は静かに見守っていてくれたそうです。
妻が小説家なんて、夫にしてみれば迷惑な話と朝井まかてさんは言います。
作家になったがために家事を分担するようになったわけですが、いつしか夫は買い物上手になり、料理の腕も上げてガパオ飯までつくるように。
洗濯のしかたも妻よりきめ細かくなりました。
直木賞受賞後の殺人的スケジュールとともにはじまった義母の在宅介護でも、夫の存在は大きかったようです。
江戸の介護をテーマにした『銀の猫』。現代の介護事情と同じところ、違うところ。身近なご経験を語り合う2017年の対談です。#朝井まかて #阿川佐和子 #銀の猫 #介護 #身内 #江戸 #文春文庫 #4月新刊https://t.co/fs2td2VtU9
— 文春文庫 (@bunshunbunko) March 11, 2020
朝井まかての出身高校と生い立ち
大学は甲南女子大学文学部国文学科を卒業しているのですが、出身高校については突き止められませんでした。
小学校は羽曳野市にある公立の丹比小学校(たんぴしょうがっこう)であることがわかりました。
出身者に笑福亭仁智さんがいます。
丹比小学校の卒業生は羽曳野市立河原城中学校に進学するとのことですから、朝井まかてさんも同中学校に進んだ可能性があります。
また2006年4月からは大阪文学学校の夜間部で創作を学びました。
在籍中に書いた作品に手を加えたものがデビュー作の『実さえ花さえ』です。
物心ついた時から物語が好きだったという朝井まかてさん。
自然な流れで書くことも好きになっていったそうです。
実家は愛媛県から引っ越してきた転入者でしたが、近所の住民とはとても親しく交流していました。
当時はまだ田や畑が残っており、田植えや稲刈りごっこをして遊ぶことができたそうです。
園芸や植物に関連した作品が多いのは、子供の頃に身近に豊富にあったから。
子供時代に見聞きしたり感じたりしたことが小説家としてのベースになっているのですね。
ちなみに、丹比小学校6 年生の時の担任だった畠山悦子先生は、朝井まかてさんを「正義感のあるガキ大将」と評しています。
小説現代長編新人賞授賞式!司会をするたーくんとまーくん! #塩田 #朝井まかて pic.twitter.com/KG9Ia7wYNU
— 中澤日菜子 「ブラックどんまい!」連載中 (@xrbeoLU2VVt2wWE) October 24, 2018
年齢に尻込みするのではなく、夢と真っ向から向き合って挑戦することを決意した朝井まかてさん。
朝井まかてさんについて調べるなかで、とても印象深い言葉がありました。
最近は本にしろ映画にしろ、まずスマホでレビューをリサーチするところからはじまります。
お金や時間を損したくないからですね。
けれども、損をすることはとても大切なのだそうです。
理由は、時には失敗しないと勘が鈍るから。
人間は動物であり、勘は身体的なものなので、痛い目をみないと勘は磨けないと話していました。
心に留めておきたい言葉です。
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