阿川弘之の家族まとめ。息子(阿川尚之)と娘(阿川佐和子)&自宅や介護について

戦時下の青春を描いた自伝的な『春の城』や、海軍提督の苦悩をテーマにした『山本五十六』など、激動の昭和の真っただ中にあった人々を書き続けた作家の阿川弘之(あがわひろゆき)さん。

故人であるうえに晩年は文筆活動を引退していたこともあって、若い世代にはなじみの薄い作家かもしれません。

この記事では阿川弘之さんの家族を紹介するとともに、息子や娘の阿川佐和子さんについて詳しくお送りします。

また自宅の場所や晩年の介護の様子にも迫ります。

阿川弘之の家族について


戦後、世の中に平和主義の気運が高まるなかで、世相に媚びることなく軍人を題材にした作品を発表し続けた阿川弘之さん。

海軍出身の阿川弘之さんには戦争で散っていった仲間たちへの鎮魂の思いもあったのでしょう。

「敗戦した祖国のお葬式をたった一人でやってきた人」とは評論家の半藤一利さんの言葉です。

主な作品は戦争文学、伝記文学、評伝ですが、児童文学も手がけており、古びた機関車が主人公の童話『きかんしゃやえもん』はロングセラーになっています。

阿川弘之さんは1920年12月24日、広島市生まれ。

東京帝国大学卒業後に海軍予備学生として海軍に入隊しました。

中国大陸で終戦を迎え、海軍大尉として復員しますが、そこで見たものは原爆により焼け野原となった故郷の光景でした。

自宅は全焼、しかし両親は生きていました。

父・甲一さんは実業家。

山口県の農家に生まれ、東京通信社を経て大陸に渡り、事業を興した人物です。

日露戦争後は長春で土木建築業・阿川組を立ち上げて財をなし、50歳で早々と引退。

隠居暮らしに選んだ広島に移り住みました。

母・キミさんは大阪の商家の娘。

弘之さんは阿川家の長男として生まれ、静栄さん、公子さんという二人の姉がいましたが、父には婚外子もいたようです。

異母兄・幸寿さんは甲一さんがハルビン時代にもうけた子供で、阿川家に引き取られて養育されました。

幸寿さんの出生を弘之さんが知ったのは小学生の時だったそうです。

弘之さんの妻は建築家・増田清さんの娘のみよさん。

みよさんとの間には3男1女に恵まれました。

阿川弘之の息子・尚之は法学者

子供は上から順に長男の尚之さん、長女の佐和子さん、次男の知之さん、三男の淳之さんです。

生年は尚之さんが1951年、知之さんが1961年、淳之さんが1972年。

末っ子の淳之さんは弘之さんが51歳の時の子供であり、その妊娠から誕生するまでの経緯が『末の末っ子』でユーモラスに描かれています。

長男の尚之さんはニューヨーク州とコロンビア特別区の弁護士資格を持つ慶應義塾大学名誉教授。

慶應義塾大学法学部を中退してアメリカのジョージタウン大学に学び、同大学のロースクールを卒業しました。

専門であるアメリカ憲法史や日米関係史に関連した著書もあり、『憲法で読むアメリカ史』は読売・吉野作造賞を受賞しています。

阿川弘之の娘は阿川佐和子

タレント、エッセイスト、小説家としておなじみの阿川佐和子さん。

以前は報道番組に出演していためキャスターのイメージがありましたが、『ビートたけしのTVタックル』以降はタレント性も存分に発揮していますね。

小説やエッセイの著作も多数あり、2012年の『聞く力』は年間ベストセラー1位に輝きました。

弘之さんは晩年、佐和子さんと名字が同じことに関心を持たれることが多かったらしく、旅行先などで、もしかして阿川佐和子さんと関係があるのですかとたびたび訊ねられたそうです。

父親だとわかると、お父様は何のお仕事をなさっているのですかと聞かれるのがお決まりだったそう。

これも時代の流れなのでしょう。

子供たちは戦時中の悲惨な話を聞かされて育ちました。

佐和子さんは、戦争を体験した世代はやはり強いなあと思うそうです。

今なら多くの人々が心の病になりかねないくらいの惨状を彼らはなぜ乗り切れたのか。


それを母に聞いてみると、だってあの頃は誰もが大変だったからという言葉が返ってきたのだそう。

戦争を身をもって体験した人々には、困難に直面した際に「あの時を思いだせ」という揺るぎない尺度があるのだろうと佐和子さんは述べています。

阿川弘之の自宅は?在宅介護ではなく老人病院へ

阿川弘之さんの自宅の場所について詳細は出ていないようです。

長男・長女の出生地は東京都で、子供時代に中野区鷺宮から新宿区四谷へ居を移したことはわかっています。

佐和子さんは父が94歳で亡くなるまで介護にあたり、2015年の夏に見送りました。

弘之さんは2012年に自宅で転倒し、病院で検査すると、 誤えん性肺炎も併発していました。

みよさんが認知症だったため、退院後は高齢者専門の病院で療養生活を送ることに。

日頃、俺を老人ホームに入れたら死んでやると言っていたという阿川弘之さん。

子供たちの提案を素直に受け入れたのは、病院食がおいしく、お酒も飲めるという理解のある病院だったからです。

病院食に飽きた時は許可をもらって病室に電磁調理器を持ち込み、すき焼きを楽しむこともあったとか。

兄や弟とは密に連絡を取り合い、手を貸すと申し出てくれた親戚や近所の人は頼れる人材として心の御守りに。

一人で抱え込まず、適度にガス抜きをしながら、何年続くかわからない介護と向き合ったそうです。

亡くなる前日にはローストビーフ3枚をおいしそうに平らげたという阿川弘之さん。


けれども、佐和子さん手作りのトウモロコシの天ぷらは、「まずい!」とティッシュに吐き出したそうです。

これが娘にかけた最後の言葉になりました。

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