有吉佐和子が笑っていいともジャック!さんまが暴言?娘も小説家&結婚した夫とは

何度も映像化された「恍惚の人」の作者として知られる有吉佐和子(ありよし さわこ)さん。
数多くの賞を受賞するなど女流作家としての地位を確固たるものとしていました。

有吉佐和子が笑っていいともをジャック事件とは

小説家に劇作家、演出家と多才な活躍で知られる有吉佐和子さん。
大学在学中から演劇評論家志望だったそうです。

在学中に歌舞伎専門誌の「演劇界」の懸賞俳優論に入選するなど早くから才能が開花。
そのため卒業後は評論の世界に進むと思いきや、大蔵省外郭団体の職員に。


有吉佐和子さんは現実と安定を考えて大蔵省関係の団体職員になったのかもしれません。
ですが演劇、文学への思いを断ち切ることはできなかったのでしょう。

その後、有吉佐和子さんは舞踊家の吾妻徳穂さんの秘書を経て雑誌「演劇界」のライターに。
並行して同人誌の「白痴群」、第15次「新思潮」に参加するなど個人での執筆活動も行っていました。

すると1956年に発表した「地唄」が文學界の新人賞と芥川賞の候補に選出。
更に翌年には「白い扇」が直木賞候補に。

残念ながらいずれも受賞は逃しますが、世間にも広く知られるようになった有吉佐和子さん。
当時、流行語となっていた「才女」の代表的存在とも言われていました。

世間の認知度も上がった事でNHKのクイズ番組「私だけが知っている」のレギュラーにも抜擢。
ただ、執筆業を優先していた有吉佐和子さんはそれ以降、あまりテレビ番組に出演していません。

ですが国民的な人気番組となると話は別。
出演しないと娘に馬鹿にされる、という理由で「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演。

テレフォンショッキングは通常ならば20分前後のコーナー。
ところが有吉佐和子さんは42分にも渡ってタモリさんとのトークを展開。
その後のコーナーが潰れてしまうという事態に陥ってしまいます。

「笑っていいとも!ジャック」として知られるこの一件。
出演から2か月後に有吉佐和子さんが亡くなった事からも「奇行だった」と大きな話題となりました。

ですが、「笑っていいとも!ジャック」は番組側から依頼されて行ったこと、と娘が明かしています。
いわゆる「ヤラセ」だったんです。

あまりにも長すぎるトークに観客席からは不満の声も上がっていたようです。
それでも有吉佐和子さんは頼まれたことをやり遂げるために頑張ったそうです。

この一件は今の時代であれば大問題に発展するはず。
番組が打ち切りになっても不思議ではありません。

それだけ当時のテレビ番組ではヤラセが横行していたのでしょうが、有吉佐和子さんが不憫でなりません。

有吉佐和子がさんまに暴言を吐かれた?

デビュー作の小説にタモリさんのエピソードを入れるほど、タモリさんが好きな作家の樋口毅宏さん。
「タモリ論」という書籍も出版するなどまさに「タモリ信者」。

その「タモリ論」にはもちろん「笑っていいとも!ジャック」に関する記述も。

同書によると「テレフォンショッキング出演時の有吉佐和子さんは明らかに様子がおかしかった」。
また、当日のレギュラー出演者だった明石家さんまさんが「死ねババア」と発言したとも書かれているようです。

何事も面白おかしくする明石家さんまさん。
時に暴言のような言葉を口にすることはありますが「死ね」なんて言葉を言うとは思えません。
これが事実であれば驚くべき事ですよね。

ですが前述のとおり、この一件は番組側から頼まれてやったこと。
そのため有吉佐和子さんの娘が「事実誤認である」と樋口毅宏さんに抗議をしています。

抗議を受けた事で樋口毅宏さんは当時の映像を再検証。
すると有吉佐和子さんは番組を通して冷静で穏やか。
さらに明石家さんまさんが「死ねババア」と発言した事実もなかったそうです。

樋口毅宏さんは事実誤認を認めて有吉佐和子さんと娘、明石家さんまさんに謝罪。

きっと樋口毅宏さんは話題性のために話を大袈裟にしてしまったのでしょう。
ですが話を「盛る」にしても限度というものがありますよね。

有吉佐和子の娘も小説家

有吉佐和子さんの娘の名前は有吉玉青さん。
現在、母である有吉佐和子さんと同じく小説家として活動しています。

有吉玉青さんは東京都立富士高校を経て早稲田大学に進学。
そして大学3年生の夏休みにイギリスに短期留学している時に有吉佐和子さんが亡くなってしまいました。

最愛の母の死、という苦境にもめげる事なく有吉玉青さんは早稲田大学卒業。
その後、東京大学への学士入学を経て東京大学大学院へ進学しています。

すると在学中に発表した「身がわり – 母・有吉佐和子との日日」が坪田譲治文学賞を受賞。
それ以降、有吉玉青さんは小説家、随筆家として活動しています。

また、夫の海外赴任によりニューヨークに滞在した際にニューヨーク大学大学院へ入学し無事に修了。
小説家という事もあって常に新しい刺激を求める日々を送っているのでしょうね。

母譲りの文才に加えて国際的な知見も持ち合わせる有吉玉青さん。
有吉佐和子さんが受賞を逃した芥川賞や直木賞を受賞する日も来るかも。

有吉佐和子が結婚した夫はだれ?

有吉佐和子さんが結婚したのは1962年のこと。
気になるお相手は当時、興行師だった神彰さん。

アート・フレンド・アソシエーションを設立し、ボリショイ・バレエ団やボリショイサーカスなどを招聘した神彰さん。
冷戦時に鉄のカーテンをこじ開けた事から「赤い呼び屋」と呼ばれたことも。

また、手塚治虫さんのSF漫画「人間ども集まれ!」には神彰さんに由来する「木座神明」というキャラクターが登場しています。

今も漫画の神様と呼ばれ、多くの漫画家に影響を与えた手塚治虫さん。
その手塚治虫さんの漫画にモチーフとなったキャラクターが登場するなんて。
いかに神彰さんが凄い人物か良くわかりますよね。

そんな神彰さんと結婚した有吉佐和子さん。
結婚した翌年には有吉玉青さんが誕生。

その後も幸せな日々が続くと思われましたが、1964年に二人は離婚してしまいます。
この離婚の原因といわれるのが神彰さんの事業の失敗。

離婚した直後に神彰さんが設立したアート・フレンド・アソシエーションは経営破綻。
この債務が有吉佐和子さんに及ばないように離婚したといわれているんです。

嫌いになったから離婚したのではなく、好きだからこそ離婚を選択したようです。


その後、神彰さんは居酒屋チェーンのはしりである「北の家族」を設立。
低価格の居酒屋として大人気となりました。

一度や二度の失敗にめげることなく成功をつかみ取った神彰さん。
こんな気概のある人だからこそ有吉佐和子さんと結婚することができたのでしょうね。

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