赤川次郎の年収と売上印税、今は減少?子供&妻など家族まとめ

若者向けユーモアミステリーの旗手であり、超人的な多作でも知られる赤川次郎(あかがわじろう)さん。

かつて高額納税者・作家部門の常連だったこともあり、今も年収や売上印税に関心を寄せる人が多いようです。

泥棒、殺し屋、弁護士、警察官といった風変わりな一家が主人公のシリーズもありますが、実際の家族はどんな人たちなのでしょう。

子供や妻についてみていきたいと思います。

赤川次郎の年収が気になる!売上印税とは?

サラリーマン時代の28歳の時に『幽霊列車』でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、小説家としてデビューした赤川次郎さん。

ユーモアあふれる明るいミステリーのほか、青春ものやホラーなど作品のジャンルは多彩です。


難解な表現のない読みやすい文章も特徴ですね。

30年前の作品に古さを感じないのは、その時々の流行を盛り込まないように意識して執筆しているから。

時代の移り変わりを表すものを登場させないことで、時代を特定しないように心がけているそうです。

他人には真似できないスタイルを貫きながら、多くのベストセラーを送り出してきた作家といえますね。

雌猫のホームズが活躍する「三毛猫ホームズ」シリーズは代名詞ともいえる作品。

誕生したきっかけは愛猫の死でした。

15年近くも家族の一員だつたミーコには経済的に苦しかった時に癒された恩があり、小説に登場させたのはそのお礼だったそうです。

個人情報保護法のため公示が廃止された高額納税者ですが、作家部門においては赤川次郎さんが80年代から90年代半ばにかけて1位を独占していました。

この頃は小説本がよく読まれていた時期で、作家にとっても印税収入を中心に大きな収入があったはず。

週刊誌よると、書き下ろし20冊、文庫27冊が刊行された1984年度の赤川次郎さんの申告所得額は8億6100万円。

ここで小説家の主な収入源である原稿料と印税について少し説明しましょう。

原稿料とは、文芸誌や雑誌の連載などで得られる収入のこと。

一般的には400字詰め原稿用紙が単価の単位となっており、作家のキャリアや掲載誌によって開きがあります。

印税とは刊行された書籍に対する収入であり、売れた部数に対して一定の印税率で計算される報酬のこと。

印税率は本の単価の10%前後が相場といわれますが、これも出版社や契約によってさまざまです。

また、印税には発行印税と売上印税の二種類があります。

発行部数で印税を計算する発行印税は作家にとって有利な契約。

一方、売り上げ部数で印税を計算する売上印税は出版社にとって有利な契約。

さらに、原作の映画化などメディアミックスに伴う印税や原作使用料が発生するケースもあります。

赤川次郎の今の年収は最盛期より減少?

2000年以降は本離れに伴う出版不況のあおりを受けて、年収が1億円でもベスト10にランクインできる状況になりました。

高額納税者の公示が廃止され、年収を推定することは難しいですが、最盛期よりは下回っているとみていいでしょう。

ですが、赤川次郎さんは今も年間10冊刊行のペースを維持しており、10本前後の連載も抱えている売れっ子作家。

2019年12月時点で、出版した本は620作品を突破しています。

仕事量が多く、執筆しない日は年に2、3日あるかどうかと発言していますので、締め切りに追われる日々を過ごしていることがわかります。

時間がないため小説を読めないのが心残りで、いつか引退したら長編小説をゆっくり読みたいそうです。

赤川次郎の子供・妻など家族まとめ

桐朋高校卒業後、兄の紹介で日本機械学会に就職した赤川次郎さん。

サラリーマン生活を続けながら小説を書き続け、新人賞受賞を機にデビューをはたし、『三毛猫ホームズの推理』で一躍脚光を浴びます。

専業作家になる決意をしたのは妻の「なんとかなるでしょ」のひと言でした。


この直後に発表したのが『セーラー服と機関銃』で、以降はベストセラー作家の道を突き進むことになります。

赤川次郎さんは25歳で結婚し、2年後に娘が誕生しましたが、二人については情報がほとんどありません。

2008年5月30日、ホテルオークラで開かれた著書500冊と還暦を祝う会では、ビオラを弾く一人娘の実和子さんと音楽仲間によるクラシック音楽が流れるなか、赤川次郎さんが感謝の言葉を述べました。

父はかつて満州で満洲映画協会に勤務していた東映プロデューサーの赤川孝一さん。

赤川次郎さんによると、外に女性がいたこともあってあまり家にはおらず、幼少時はほとんど顔を合わせたことがなかったそうです。

高校2年の時に父が出向先の上司と衝突して仕事をやめ、赤川家は生活に困窮。

姉は大学を中退し、同じく大学生だった兄は自宅で学習塾を開業しました。

赤川次郎さんは進学をあきらめ、高校卒業後に就職。

初期の作品に父親がまったく登場しないのは、こうした生い立ちの影響なのだそう。

家庭にいる父親というものを知らなかった赤川次郎さんは、父親が家で何をするのかわからなかったと述べています。

小説に父親が登場するようになったのは、結婚して娘が生まれ、自身が父親になってからのことでした。


小説家としてデビューしてからも、しばらくは父親の影響から逃れられなかったのですね。

どこにでもいる普通の人間が引き起こす、ちょっとした過ちを巧みに描きだす赤川次郎さん。

そこには誰でも犯人になりうるけれど、誰にも犯人になってほしくないという作者の願いや祈りがこめられているように思えます。

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