エキゾチックな風貌の個性的な脇役として根強い人気を誇った范文雀(はんぶんじゃく)さん。
2002年に54歳という若さで他界しましたが、死因は何だったのでしょうか。
SNSではシシドカフカさんによく似ているとの声が飛び交っていますね。
荻島真一さん、余貴美子さんとの関係や、結婚歴のある范文雀さんに子供はいるのかについてもみていきます。
范文雀とシシドカフカはルックスが似ている!
台湾国籍の范文雀さんですが、日本育ちの両親の間に1948年4月15日に東京・中野区で生まれ、広島で育ちました。
「文雀」は本名で、命名の由来は「孔雀のように美しく」との願いから。
女優デビューは清泉女子大学在学中でしたが、一躍脚光を浴びたのは1969年にスタートしたスポ根ドラマの金字塔『サインはV』。
同作では、主演の岡田可愛さんとアタッカーコンビを組んで活躍する范文雀さんの野性味あふれる演技が大人気になりました。
ナイーブでありながら、表面的には突っ張ってみせるジュン・サンダースのキャラクターが視聴者の共感を呼ぶとともに、病に倒れる展開には「ジュンを死なせないで」という嘆願が全国から殺到したそうです。
当時、このドラマで「骨肉腫」という病気が一般的に認知された感がありますね。
ちなみに、ジュン・サンダースの黒い肌はドーランによるもの。
後番組の『アテンションプリーズ』にも出演し、その人気は不動のものになりました。
今日は女優の #范文雀 さんのお誕生日です。 #サインはV(画像)や #アテンションプリーズ などといった、70年代の名作ドラマに出演していましたが、2002年に病のため亡くなりました。#范文雀生誕 #birthday pic.twitter.com/pWGeUt8dNU
— Kinsho@コロナウイルスに負けるな❗️がんばろうニッポン🗾 (@knj30312) April 15, 2018
近年、范文雀さんにルックスが似ている芸能人としてシシドカフカさんの名前がよく挙げられていますね。
今はショートヘアですが、シシドカフカさんというと長い黒髪を振り乱してドラムを叩くイメージがどうしても離れません。
とりわけ范文雀さんに似ているという声が多いのは、『ひよっこ』の久坂早苗役でみせてくれた前髪なしのおでこ全開のスタイルのよう。
写真を見比べてみると、個々のパーツはさほど似ていませんが、顔全体の雰囲気が確かによく似ています。
よく「顔が似ている」といわれる人たちは、パッと見た時の顔の印象が似ているということなのでしょう。
\あす深夜0時/
【 #シシド・カフカ 、大変身!】
ブエノスアイレス市で生まれ育ち、生きざまやファッション感覚に誇りを持つ女性=ポルテニャ。
カフカさんがその秘けつを調査し、最新メイクで変身します!#旅するスペイン語
27日(水)午前0:00<火曜深夜> #Eテレhttps://t.co/VYmbGWfSu6 pic.twitter.com/0ELAr7HKaS— NHK Eテレ編集部 (@nhk_Etele) November 25, 2019
范文雀の死因
2002年11月5日に54歳の若さで死去した范文雀さん。
この時、死因は心不全と発表されました。
1998年頃に腋のリンパ節の悪性リンパ腫が発覚し、半年ほどの入院治療によっていったんは小康が得られていたそうです。
ところが2002年10月中旬から体調が悪化し、都内の病院に再び入院。
体調悪化からひと月を経ずにこの世を去ることになりました。
悪性リンパ腫による心不全というのが詳しい死因だそうです。
悪性リンパ腫は血液のがんのひとつで、白血球の一種であるリンパ球ががんになったもの。
はっきりとした原因はわかっておらず、確実な予防法もないそうです。
首のリンパ節や脇の下の腫れに気づいたら放置せず、受診することが肝心なのだそう。
早期発見するためには、やはり定期的な健康診断が大切になってきますね。
2002年11月5日 范 文雀 (はん・ぶんじゃく)【女優】
享年54#范文雀#野良猫ロック#サインはV#プレイガール#アテンションプリーズ#Gメン'75pic.twitter.com/YPFi1vi84W— 命日bot (@meinichi_bot1) November 4, 2019
荻島真一・余貴美子との意外な関係
サスペンスドラマといえば荻島真一さんを真っ先に思い浮かべる世代の人もいるでしょう。
それほど80年代の2時間ドラマには欠かせない顔でした。
『午後は○○おもいッきりテレビ』のコメンテーターとしてもおなじみでしたね。
ちなみに「荻島真一」は旧芸名で、改名後の表記は「荻島眞一」。
范文雀さんと荻島さんは一時期同棲をしていたことがあります。
馴れ初めは1977年のドラマ『愛の嵐』での共演。
二人の関係については公表されていたのですが、結婚には至らず破局。
その後、荻島さんは別の女性と結婚しています。
胆管がんでこの世を去ったのは范文雀さんの没後2年がたった2004年のことでした。
余貴美子さんは8歳年下の従妹にあたります。
台湾人の父・余鴻彰さんと日本人の母・京子さんとの間に横浜に誕生した余貴美子さん。
范文雀さんの母・鴻鸞さんと鴻彰さんは姉弟で、祖先は中国・広東省鎮平村出身の客家(ハッカ)です。
客家とは、漢民族のなかで独自の文化やアイデンティティを持つ民族。
戦禍に翻弄されながら南方へ移動し、やがて香港や台湾へも移ったと伝えられています。
余貴美子さんは、すでに女優として活躍していた従姉への憧れから女優を志したそうです。
范文雀と寺尾聰の間に子供はいる?
范文雀さんは人気が絶頂にあった1973年、『2丁目3番地』の共演者だった寺尾聰さんと結婚。
この時にいったん芸能界を引退しました。
仲人は石原裕次郎さん・まき子さん夫妻でした。
けれども翌年にスピード離婚し、芸能活動を再開。
離婚理由について寺尾聰さんは、仕事に打ち込んだけれど、結果として家を空けることが多くなってしまったとコメント。
范文雀さんは、性格の不一致というか、相容れない部分があったのかもしれないと明かしました。
短い結婚生活の間に子供には恵まれず、范文雀さんは生涯子供をもつことはなかったようです。
寺尾聰さんはその後再婚し、父親になりました。
聡明な人格で人に媚びず、納得がいかなければ大物俳優との共演も断ったという范文雀さん。
その名が示す孔雀のような美しさとプロフェッショナルな姿勢が人々を魅了したのかもしれません。
早すぎる死が悔やまれますね。
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